駅前のアーケード街はイルミネーションできらきらしく飾られていて、いっそ目に痛い。夕方ゆえにさほど目立ちはしないがもう少し陽が傾き沈んでしまえばますますもってきらびやかに輝くのだろう。むやみに明るいのは嫌いじゃないがきらびやかなのに伴って増す浮足立った雰囲気は妙に肩身が狭く思えてならない。独り身のクリスマスなんてのは毎年そんなもんだと溜息を吐いた。そんなクリスマスにも慣れたもので今更嘆く気にもなれない。人混みを縫って走る冷たい風に肩を竦めると肩に乗っかった重みがぐらりと後ろに揺れて慌てて肩の向こうに手をやった。

「とっ、と」

 再び腰を落ち着かせると、ちっさい手が官兵衛の髪をぐいぐいと引いた。ちっさいだけあって大した力ではないがしかし引っ張られれば相応に痛い。そのようなことを訴えればそこそこに満足したのか、ふんとひとつ鼻を鳴らして元のようにゆるく置かれる程度に落ち着いた。

「われを落としてみよ。さんざめく不幸を降らせてやろ」
「うげ、」

 うひひ、と嫌ぁに引き攣った笑い声を上げてくいくいと髪などを引いた。可愛げのないことを言う声は幼く、憎らしいことを言う口もさほど腹立たしく思えない。しかしその口からぽんぽん吐き出される話の縁起の悪いったらない。不景気そうに吐き出した溜息に吉継はまたも笑い声を立てた。

「やれ景気のよい不幸よな」

 勘弁してくれと漏らした。おめでたい日くらいそんなものとは無縁でいたい。しかしそれが叶わないから不幸なのか。それこそ凶星を引きよせてしまう程に。当の凶星はと言えば人の肩の上でやはり上機嫌に笑う。

「なに、ぬしに限ったことではない。こういうオメデタイ日こそたんまり不幸もあろうというものよ」
「はぁん、そういうもんかね」
「そうよ、そう。幸在らば不幸もまた在り、よな」

 吉継はほれそこに、やれそことそこにも、と指した――貰いもんの古ぼけた赤いミトンを着けていたから、ただ手をひよひよと振ったようにしか見えなかった――が官兵衛には到底見える筈もない。「わかるかよ」などと返せばひひ、と小さな体躯が揺れた。

「つまりはぬしが不幸ならばそれだけ幸降り注ぐ者がおるということよ。やれめでたきな」
「めでたいわけあるか!」

 苦々しく顔を歪めれば、吉継はふむ、などと白々しく頷いてなどみせた。体を傾け官兵衛を覗きこんだ顔は子供らしからぬ表情でにやにやと白黒の引っ繰り返った目を細めた。

「なんならばこれからぬしに降り注ぐ不幸でも教えてやろうか?」
「……聞いても避けられんのだろ」
「おお、ようわかったな。良い子、良い子」

 適当にまとめただけの髪を子供などにするようにぽんぽんと叩かれる。羞恥とか屈辱よりも、吉継曰くこれから降り注ぐ不幸に気が重たくなって漏らした溜息に白いのが混ざりだして寒さを実感する。しかしこの一歩を踏み出すのが恐ろしい。平和な、少しいつもより浮ついただけのアーケード街が途端地雷原に成り果てた心地さえした。地雷原通って砂糖買いに行くって何だ。ええいもうなるようになれとばかりに早足に踏み出した一歩に吉継が小さく笑った。

 それが良くなかったのか、まあそうでなくとも結局はこうなったのだろうと思えば多少諦めがつかなくもない。官兵衛は頭から肩の辺りまでに生クリームをべったりと被って呆然と思案した。
 案の定と言えば案の定の予定調和ではあった。あったがしかし、路傍の排水溝が何故だか一か所だけ蓋が外れていてそこに足を突っ込み、吉継から散々っぱらからかわれつつもすっぽり嵌った足に四苦八苦し、ようやっと抜けたと思ったその瞬間に頭からケーキが降ってくるなど誰が予想できようか。バラエティーでだってこんなベタな話、一昔戻りでもしなきゃお目にかかれまい。ワゴンごと突っ込んでこなかっただけましか、とケーキ屋の前に構えられた簡易のワゴンを見遣った。小さなツリーなどは刺さったら地味に痛そうだ。

 むしろこちらが圧倒される勢いで何度も何度も頭を下げるサンタ衣装のお姉さんに適当に手を振りつつ目元のクリームを拭うとようやく視界も良くなる。ちょっと見下ろせば吉継が手を叩いて「やれまっこと見事、ミゴト」などと笑っていた。

「ぬしはほんに運に見放されておるなァ。いっそ憐れでならぬわ」
「…るせー……」

 お姉さんから受け取ったタオルでごしごしと顔を拭う。水道でも借りようかと思って、止めた。独特の油っぽさが残って気持ち悪かったがこうなりゃ余計なことせずさっさと帰るに限ると吉継を抱え上げる。

「あ、あの」

 ん、と振り返れば先程のお姉さんと店長らしきオッサンが居た。「なんだ」と問うとお詫びにだとかなんだかで差し出されたそれは、間違いなくケーキの箱である。見た所ワンホールとか、それくらいのサイズ。ついさっきの今だ、正直生クリームはなあ、と思ったところでくいくいとダウンが引かれる感触に抱えた吉継を見た。まんまるい目と視線がばっちり合って、官兵衛は小さく溜息を吐いた。まあま、ガキが砂糖をぼりぼり食ってる光景見るよかよっぽどましか。ありがたく受け取れば目を輝かせた吉継に疲労も吹っ飛んだとまでは言わないが。



 陽もすっかり落ちて月は屋根よりも高い位置に上がっている。そいや出会い頭言ってた三成というのはお月さんだったかなどと思い出しつつ、冷たいベンチの背もたれから背を離して前のめりに肘をついた。隣を見れば吉継がいそいそとケーキの箱を開いているところだった。
 夜の公園である。家に帰るまでにケーキをだめにされては敵わないだとかなんとか。こんな寒い中なにが楽しくてなどとかは思いこそしたが実際その可能性がゼロじゃない以上官兵衛は大人しく口を噤んだ。機嫌を損ねると、吉継はなにやらよく解らない力でもって家中のものをしっちゃかめっちゃかに浮かせて飛ばしてとしてくるのである。後片付けの手間もさることながら、そういった騒音に大家が良い顔するわけもない。追い出されなんてしたらそれこそ敵わない。あんな安い物件なんてそうないのだ。代わりに狭くてぼろっちいがそれ以上に官兵衛は貧乏だった。
 そのようなことを考えて妙なさもしさが胸中を走り去る。吉継が頬につけたクリーム拭ってやると、さっきまでずっと絶え間なくホールケーキをコンビニで貰ったプラスチックフォークで切り崩していた手が止まった。あれなんかまずいことしたか、と思っていると吉継がゆるりと首を傾げた。

「どうした?」
「いや……こちらの甘味は白いのばかりよなァと思っただけよ」

 そう言って再びそのフォークをケーキへざくりと刺した吉継に官兵衛は肺をきゅっと掴まれた心地だった。官兵衛としては砂糖よりよほどまともなもんを食わせてやれた心地であったが吉継からすれば双方同じく『白くて甘いもの』ということである。思えば吉継がねだるのはプリンばかりで、それ以外にはさしたる執着もないようだった。つまりそうか、吉継の甘いものとはプリンとそれ以外かと思い至る。
 今度は頬につけないよう小さめに切った一口を飲み下してから「ん、偶に黒いのもあるか」とひとり言のように呟いたのを聞いて更に肺がぎゅっとなる。世の中にはピンクやらオレンジやら色々あるぞと言ってやりたかったが、言ったところで官兵衛の財布でそれを買ってやれるはずもなく、ただきゅうきゅう苦しい肺を抱えてじっと黙った。

「やれ……」

 ふと、落ちた声はあんまりに小さくか細く、いっそ官兵衛の空耳かとさえ思った。ようやく俯けてた顔を上げて吉継を見れば生クリームのべったりついたフォークを手にぼんやり空を見ていた。食い終わったのかと思えばまだ半分以上は残っている。その小さな体に対しては多すぎるほどに食う吉継である、まさか腹いっぱいになったということもあるまい。

「どうした?」
「ん? ああ、いやなに、空がな、違うのよ」
「空?」

 吉継の視線を追うようにふいと視線を向ければ、よく晴れた夜空にはちらほらと星が瞬いている。もう少し郊外、山だとかのほうにでも行けばもっと見えるのだろうが、ここいらじゃよく見えてる方といったところ。天体に興味関心の薄い官兵衛でさえ知っているような有名な星座が二、三見える程度である。そういやあの中に吉継の対だという星があるのだろうかと思って、ふと横を見れば官兵衛はぎょっと目を剥いた。デジャヴュ。子供らしいふっくらした頬にぼろっぼろと涙を溢す吉継は出会った時に見たそれそのままで、官兵衛は慌てた。

「お、おい!どうした!?」

 ぐずっ、と鼻を鳴らした吉継が涙でぐちゃぐちゃな顔で官兵衛を見た。ぼろり、ぼろり、その合間にも涙は落ちてゆく。

「紀之がみつからぬ、三成もあんなに遠くに見えやるっ……もう、かえ、帰れなんだらどうしよう」

 どうしよう、どうしようと繰り返し泣く吉継に官兵衛は泣きやませる術も解らずみっともなく手を彷徨わせた。どうしよう黒田、と嗚咽混じり。むしろ小生が聞きたいと思ったところ、ぱっと横方向から照明の気配。嫌な予感に官兵衛はいやにゆっくり首を巡らせた。

「おい、そこでなにやってるんだ?」

 いやほんと、これどうしよう。官兵衛の頭を巡ったのは走馬灯に等しかった。


 そこからお巡りさんの目から疑惑の色が消えるのに二〇分しかかからなかったのはいっそ奇跡に近かった。姉夫婦の子供を預かっているところで、星を見ながらクリスマスをしたいと言うから公園に来たんだ、だとか中々苦しい言い訳ではやはりお巡りさんは納得してくれるはずもなく。しかし少々鼻声ながら泣き止んだ吉継がだいたい同じようなことを言い、父母が恋しいあまり叔父には迷惑を掛けてしまったと続けた。それを横に聞く官兵衛は子供らしさのかけらもないと思ったが、それでもお巡りさんはようやくなるほどと頷いてくれた。謝罪に重ねてのあまり遅くならないようにだとかの注意と共に去るお巡りさんの背中を見送る。
 自転車が角を折れたとこで、あんまりの脱力感に自然長々とした溜息が零れた。吉継は早々フォークを持ち直したかと思えばまたもくもくとケーキを突いている。ふとその瞳と視線が合えば吉継は楽しげにひひ、と笑った。

「ぬしの不幸には目を瞠るものがあるよなァ」
「うるへー」
「いやしかしまたも醜態を晒してしもた。やれ恥ずかし、ハズカシ」
「そいやよく小生の手助けする気になったな。お前さんなら小生の不幸を喜ぶと思ったが」
「まあなァ。考えぬでもなかったがほれ、われは家の鍵を持っておらぬゆえ」
「……」

 なんだか、腹の辺りがむずがゆくなった。口を妙な形に歪むのを抑えられないが吉継にも見られたくなく、ニット帽の上から少し強めにわしゃわしゃと頭を撫でた。

「ぬ、なんぞなんぞ」

 どうにも慣れない心地だ。子を持った父ってのはこんなもんなんだろうか、少し違う気もしたが女の影すらない官兵衛にはそんなことはわかりはしない。今年だって独り身にこそ違いないが同僚とどんちゃん騒ぎするでも家でのんびり年末特番見るでもないクリスマスも悪くはなかった。
 要するに油断していたのだ。しかしすぐ隣の自販機でコーラを買った酔っぱらいがなにを思ってかそれを思いっきり振って開封するなど、そしてそれは酔っ払いの手をすっぽ抜け見事小生に掛かるなど、誰が予想できようか。さすがの吉継も目を丸くして、普段の軽口すら出なくなっている。声も出ない官兵衛の脳裏にふと過ぎったのは、数時間前吉継が口にした「幸在らば不幸もまた在り」という言葉だ。しかし、しかしだ。これはどうにも釣りにあわない気がする。寒空の下、カップルすら姿を消した閑散と公園になぜじゃああ、と空しく響いた。






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お星さま蝶かわいい