ゆるりと息を吸い、一層のまどろみを以ってそれを吐き出す。鼻孔と言わず喉と言わず肺と言わず、四肢全てにどろりと絡む甘い香に三成は瞼を落とした。己の投げ出すように頭を預けた友の脚に頬を寄せれば吉継は静かに包帯に包んだその指先で三成のこめかみ辺りをゆるくくすぐった。病を患って以降は必要以上の触れ合いを拒み続け、ようやく三成が触れることを許したばかり(言葉での許可では無く明確な拒絶を示すことは無くなったというだけだが、素直とは言い難い友人のこと、それで十全である)の吉継である。自身から三成に触れるということはなお稀な友であったから、触れるか触れないか、そよ風より緩やかな指先にさえ三成のこころは満たされた。
 三成は更に息を吸う。殊更言うまでもなく、三成が少なくとも身体が人ならばそうせざるを得ないことである。しかし当の三成からすればこの一息一息がもっともっと儀式的、或いはもっともっと俗事的であった。香の匂い、薬の臭い、陰のにおいと停滞した死のにおい。吉継が纏うにおいだけで満ちたこの部屋はただ一枚の襖を隔てただけだというのにまるで幽世だと三成は思う。死のにおいはするが彼岸ではない、生物として当然呼吸し活動しているから此岸というわけでもない。三成と吉継、ただ二人の世界だ。廻ることもなくたった二人。この友のこころを害するものもなく、重たく血水を滴らせることもないならば呼吸もしやすい。死のにおいにつられて肺が溶けていくようにさえ思う。吉継の身に這い寄る死はいつかは友を自身から攫ってゆくであろう。しかしそんなことが到底許せるべくもなく、時たまその痩せぎすの身体を無理に腕の中に閉じ込めたりもする。しかし今この時の三成にはこの停滞した幽世から友が去るなどとは到底思えなかった。思えないのだから、いっそのこと此処で生きればよいとさえ。此処でしか呼吸出来ない生き物になれば友は傷つかぬのではないだろうか。少なくとも己がこの友の命を削ることは無くなるはずだ。

「刑部、」
「あい」

 瞼を上げようとすると思ったよりもずっと重たく、応える友の声も帳ひとつ隔てたように遠い。舌もうまく回らず根がふわふわとしている。指先を震わせて、重たい腕をふらふらと上げれば(そうしたつもりでいた)包帯を隔てて細枝のような指が掌を撫でてくすぐったい。寝入ってしまいそうだ。睡眠欲とかそういうの以前に、そうなることが自然(じねん)のように身が重たい。それでも三成は咽を震わす。どれほどまどろみに沈んだ言葉でも友ならばきっと拾うだろうと思うまでもなく確信した。薄く開いた口唇から流れ込む香が喉の辺りで澱む。

「死のう」

 共に、とこの咽がそこまで言ったかはもう解らなかった。暗い、眠い。友がどのような顔をしたか、どのように応えたかなども勿論解らない。違うと叫びたかったのに、そのころ既に三成の意識は無い。違うのだ、私は貴様に、生きてほしいと



 吉継はふうと息を吐いた。ひとつ遅れてやかましく鳴り出した心の臓を宥めすかして、強張った指先をゆるりと解く。

「ほんに…心の臓に悪い」

 なんとはなしに口に出してみるがどうにも軽い口では収まらない。友は死のうと言った。誘った。声にならないまでも「共に」と動いた舌を視た。あああ。膝に乗った友の頭を落とすわけにも行かず身動きの取れぬまま、じわりじわりと身に湧くなにか、もどかしいなにかが臓腑を握り締める。三成はそのような男ではなかったはずだ。この男はむつごとのように死を囁く男ではない、はずだ。ああそうだこれはむつごとだ。抜き身のような男が漏らす甘い響きはいやに吉継の身を焼いて、またそのような己が浅ましいとさえ思う。浅ましい、そう浅ましいのだ。

「三成」

 自身の首に掛かった紐を三成の首にも掛けてやり二人で絞める。連動するように、連鎖するように注意を払う。

「三成」

 聞かなければ良かった、何故言うたと祈るように背を丸めた。浅く上下する胸、深く吐かれる息が刺のように身を刺す。三成は存外ひどい男だ。吉継はあんまりに痛くて今に死んでしまうのではないだろうかと思った。








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どんより