ばたばたとやかましい足音は真っ直ぐに自室へ向かっているらしいと察して、吉継は深々と嘆息した。明白に含まれた心情は実に面倒と語るがそれを拾うものも無ければ慮ってくれるものもない。もひとつ嘆息して、吉継は書を閉じた。それとほぼ同じくして襖の外より掛かる小姓の声がやたらめったらに吉継を急かすのを窘めてから、傍らの杖を取った。ゆるりと杖を付き現れた主人に一層の焦燥を浮かべた小姓を吉継は素知らぬ顔で従えた。
 ほどほど歩いた城の庭先で見る光景は煩わしいが、しかし慣れも覚えてしまった。それこそが嘆かわしい。好くもない顔を三成に張り飛ばされた男が足元に転がるのを鬱陶しげに見下ろす。青痣を乗せた瞼が覆う目が吉継に向くと、それが嫌悪と恐怖をないまぜにしながらも「あれをなんとかしろ」とばかりに縋ろうとするのが酷く滑稽で吉継は小さく喉を引き攣らせた。その些細な声をよくもまあ拾い分けて、三成がぐるりとこちらを見遣る。

「刑部、」
「やれ三成、なんの騒ぎか」

 吉継の声に三成はみるみる眉間に皺を寄せて、掴み上げていた男をぞんざいに放って吉継に寄り来る。不機嫌そのものを相に貼付ける男は背丈こそひょろりと伸びて吉継を越したというのになんとも幼い様子に可笑しさ半分、呆れ半分。周囲に倒れ伏した男どもの中に重臣だとか面倒の種がないのを確認して、小姓と、騒ぎに寄り集まったあれそれにひとしきりの指示を出し三成を伴い自室への道を辿る。三成に悟らせぬほどに小さく息を落とす。今日はもう書の続きを読めそうにもない。

 さて、と。吉継の自室隣の茶室に向かい合う二人の空気はどこか重たい。「またか三成」と吉継が呆れを滲ませれば、不満げながらに視線を余所へ遣る三成に吉継は吐いても尽きぬ嘆息を落とす。

「やれ何度も言うがな、三成。われへの雑言をぬしが気にする意味はない。囀るしか知らぬ阿呆は捨て置け」
「しかし刑部」
「しかしも案山子もないわ。ぬしは吐いて捨てるほどの阿呆の数だけ騒ぎを起こしやる気か」

 ぴしゃりと切り捨てれば三成の不満が吉継の膚を刺す。ぶくぶく膨れ上がる怒りはまっすぐ吉継に向く。これも幾度目の遣り取りかと思えば空しさを感じぬでもない。言葉で御するには三成は直情過ぎた。不機嫌に染まった三成の目が吉継を見る。

「貴様は私に、愛する者が謗られるのをただ黙って聞いていろと言うのか」

 今度、眉を顰めたのは吉継の方である。三成が吉継に惚れた腫れただのを言うようになって久しい。始めの内こそ向けられる好意が友愛の域を決して出はせぬそれと思っていたが、ある折に男の欲をまざまざと知らされれば考えを改めざるを得なかった。だが決して受け入れるわけではない。この不幸に満ち満ちた、大層醜い体躯を美しい友に触れさせる訳にはいかなかった。日常の延長ならばまだよい。しかし情交は決してならぬ、早に捨てやれと口をすっぱく続けたが、尚も三成はそのようなことを言う。
 友の好意が煩わしいわけではない。確かにそれは友の域を逸しているが不快などではないのだ。前の理由もある。しかしそれ以上に、吉継はそれに慣れないでいるのだ。解らないとも言える。過ぎ去った幼い頃に与えられたきりの好意(こちらは欲を含まない、親愛だとかだったが)を受け入れるためのうつわを、吉継は疾うに割ってしまっていた。そうすればがらんどうの空しさも感じはしない。それならば吉継は不幸でないと、そういう。ゆえに吉継は、三成が真っ直ぐに向けてくるその好意をどう納めたものかがとんとわからない。行き場のないそれがぎちぎちと吉継の臓腑を締め付けて、どうにもしがたい息苦しさを覚えた。憐憫やら同情やら、そのような愚ならば多分の不幸を塗り付け返してやればよい。慣れたことだった。病が身を蝕んでしばらくならいざしらず、今ともなればそのような暗愚もいない。恐怖と嫌悪を乗せて遠巻き口々に囀るか、或いは毛ほども気にせぬ変わり者だけが残った。三成はその内でも群を抜いた変わり者だ。この男はむしろ吉継の思案の遥か向こうを行く。例えば今回の行為もその類いだ。吉継に向けられた雑言に心底怒り、慣れぬ拳を振るう三成を吉継は到底理解できない。しかしそれを窘めればむしろ吉継の方がおかしなことを言っているような顔を見せる。吉継は恐らく本人より三成という男の為人を知っているが、時たま吉継にも訳のわからぬことを平然と、さも世のことわりでも解くようにしてのけるのだからややこしい。考えて、吉継は眉をしかめた。厚く包帯で覆われた顔が歪むのを目敏く視て、三成はむしろ自身こそが不服とばかりに眉間を寄せた。柳眉を吊り上げる男に、吉継は益々以って不可解と嘆息する。

「三成、よう聞きやれ。ぬしはわれに好いた惚れたなど言うがそれは気の迷いよ、マヨイ」

 途端、三成の顔が明確な怒気に歪むのを見た。吉継を刺すのは最早殺気に等しく鋭い。伸ばされた腕が吉継の痩せた肩に掴みかかる。腰を浮かせた三成が顔色ひとつ変えない吉継に歯を鳴らした。薄い唇が噛み付かんばかりの勢いで開かれるより早く、吉継は否定し続けた。

「勘違いするでないぞ三成。ぬしのそれは恋慕などでない、われに欲を覚えるも一時の迷いよ」
「貴様こそ勘違いするな、刑部」

 喉の奥から吐き出されたそれに、吉継はひくと目を眇めた。吉継の肩を掴む指が一層の力で薄い肉に食い込めばその下の骨が軋む音を聞いた。きつく食いしばられた歯列の隙間から洩れる三成の息は獣に似て荒い。

「私が貴様を美しいと思うのも愛しいと思うのも触れたいと思うのもすべて私のものだ。貴様だとて口を出すのは許さない」

 ぴくりと跳ねた指先は吉継の内に納まりきらなかった怒りか、動揺か。ただ異彩の目は珍しくもそこに激情を湛え、苛烈に光る浅葱色の瞳を見据える。

「やれ、それは勝手が過ぎるとは思わぬか」
「思わんな」

 とうとうぐにゃりと面を歪めた吉継は、さながら苦虫を噛みしだいたかの如くである。互いとも妙な、敵意に似たなにかを向けあうものだから落ちる沈黙はいやに重たい。部屋の外すらしんと静まり返っているのか、二人の耳が拾うのは互いの息遣いやら些細なきぬ擦れやらである。そうして、先に目を反らしたのは吉継だった。珍しく苛立たしげに三成の腕を払い、きつく掴まれていたそこを幾度か摩ると再び暗い色の目が三成を見据えた。

「ぬしは思うたよりも愚かな男よな」

 対し三成はようやく腰を落とすと胡座に肘を付き、掌に顎を乗せて吉継を見据えて鼻をひとつ鳴らした。








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