三成の背に花が咲いた。中天に掛かる陽が大気を焼く音が聞こえそうな夏のことである。
 三成の背はたいそう美しい。しゃんと通る背筋、対称に浮かび上がる肩甲骨はあまりに整然としていて、それは繊細な細工物にも似る。あれは庇護欲を、或いは破壊欲をよくよく煽る背だ。家康は破壊欲を視た類であった。けして表層には出ぬそれであったが、しかし家康の底で何時々々の何処其処であれくすぶるのだからいかんともしがたい。
 鍛練ののちなのだろうか、井戸の水を頭っから浴びる三成をすこうし遠くから見つけて家康は足を止めた。ああうつくしいせなだなあ。家康は三成の真っ白い背を見て、目を瞠った。あ、と思わず漏れた声もしかたあるまい。花である。鴇より濃い色の厚ぼったい花弁が大輪と為る。重たげな大輪は三成の白い膚に映えて、鮮やかにすぎた。井戸水でししどに濡れれば血にも似る。だがしかし、あれは確かに花だ。家康はぱちぱちと目をしばたかせた。人に生える花など聞いたことがない。重ねてよくよく見ようとしたが、さきに漏らした声をしっかと聞き留めた三成はくるりと振り返った。そうして花は三成の影となって、家康はもう一度、あ、と漏らした。三成は訝しげに眉を寄せた。

「何か用か」
「あ、いやその、なんだ」

 いかんともしがたくただ「はは」と笑うと訝しげだった眉は不機嫌そうに吊り上がる。大股にこちらへ寄る三成の道程は拭われぬままししどに滴る水で色濃く染まった。

「何か用か、はっきりしろ」

 三成は少し苛々とした様子さえ伺わせて真っ直ぐに家康を見た。三成の膚を落ちていた水滴さえも疾く疾く渇く程の暑気は家康に少しばかりの眩暈を覚えさせた。あれは白昼夢だろうか、いやしかし。家康は重ねて口を開こうとした三成を遮った。

「なあ三成、ちょっと後ろを向いてみてくれないか」
「何故だ」
「いいからいいから」

 相応に筋肉こそついているけれどそもそもの骨格からして薄い三成の肩を掴んで促してみれば、不信感は拭わぬままながらに彼は易々背を向けた。わしがなにもしないと思っている辺りなとがなんともいとしい。家康の口唇がゆるく弧を描くが、その視線はただ三成の背に注がれた。やはり、花だ。家康ははて、と首を傾げた。

「三成、これは」

 何気なしに触れてみれば――触れてみようとすれば濃密な色の花弁はその指先をするりと抜けた。実体がないのか。家康は益々もって目を丸くしてそれをまじまじと見つめた。偽物にも見えないがしかし只の花でもないようである。人の背に咲く時点で既に普通でないのは確かだが、だとすればこれはなんだというのだろう。思わず言葉を無くした家康を、首だけを巡らせた三成の瞳が訝しげな色を湛える。この様子では気付いていないのだろうか。或いは己にしか見えていないかのか、なんなのか。

「なんだ」
「ああ…」

 はてさてこうなってしまえばなにがなにやらとんとわからない。家康はしばし逡巡して「いやすまない、わしの勘違いだったようだ」と笑った。たちまちに眦を吊り上げた三成の、ひとつふたつでは済まぬ怒鳴り声を「悪かった悪かった」と諌める。ひとしきり声を荒げれば満足したのか、三成はひとつ鼻を鳴らして再度井戸へと踵を返す。すっかりと乾いていた膚が、今度は汗が滲み出していた。膚を伝うほどではないそれは陽を受けてほんのりきらめいて見えて、ほうと息をついた。やはり三成の背は美しい。大輪の花が咲き誇る異形の背であったがやはり美しかった。触りたいなあとぼんやり思う。触れたならば鴇色をした花弁がひとつ欲しい。いびつに欠けた花はあの美しい背に映えて実に愛おしいだろうに。頭から水を被った三成の背にも当然水が伝う。水を浴びるままにばしゃばしゃと濡れる花弁はやはり触れられるような気がしてきて、家康は自身の掌を陽に翳してみた。









101028