p.s
目を覚ますと、霧は消えていた。いつの間にか太宰さんは着替えていて(きっと霧が消えてすぐ、なのだろうけれど)、その姿はもういつもの太宰さんだった。
「さて、行こうか。敦くんが待っている」
「…、はい」
ふと見た自分の手には、帽子。
細くチェーンの絡み付いた、黒い中折れ帽子。
風に舞い上がりながらわたしのところに飛んできた帽子は紛れもなく中也さんの帽子だった。なぜなら、わたしが帽子を持っているのに気づいた太宰さんが、心底嫌そうな顔をしていたのだから。
「…なまえ、その帽子は捨てなさい。君まで背が低くなってしまうよ?」
「中也さんが起きてたら殴られるだけじゃ済まないだろうな、…」
帽子を中也さんの近くにそっと置いて、重しに石も乗せておく。風で飛んでいってしまわないように。
「…お疲れさまでした、中也さん」
「えっ、…なまえ、私には労いの言葉は無いの…?」
「さっき言っただろう。ほら、」
呆れながらも太宰さんに手を差し出すと、太宰さんはきょとんとした顔をしている。こうなることはたぶん、解っていただろうに。
「ケガをしているだろう?歩き方が少し、ぎこちなかったぞ」
「あれぇ?解っちゃう?」
「…解るよ。何年一緒に居ると思っているんだ」
砂色のコートがはためく。思わず目を細める。その色は懐かしいような、そうでないような。太宰さんとふたり、瓦礫の山をゆっくりと歩いていくと、開けた場所に出た。
そこに、敦くんと鏡花はいた。芥川くんは見当たらなかったから、おそらく彼はもう引き上げてしまったのだろう。…もう少しここに居れば、太宰さんに会えただろうに。
ゆっくりと陽がのぼる。朝日が眩しい。
遠くから国木田さんの声が聞こえた。探偵社の皆の声もする。皆も無事で何よりだ。
「…その方が、幾分か、素敵だから」
敦くんのその言葉にはっとする。太宰さんの手が、わたしの手にそっと触れた。
『その方が、幾分か素敵だ』
あの人の想いが巡りめぐっているようで。想いは確かに繋がっているようで、それは織田作から太宰さんへ、太宰さんから敦くんへと繋がっていって、きっと、そこからまた誰かへ繋がって。
見上げた太宰さんが、とても嬉しそうに微笑んでいたから、
わたしは太宰さんの手にそっと、指を絡めた。
大丈夫だよ、そんな風に想いを寄せて。
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