厳しく、だが丁寧に指導してくれる父
優しく接してくれる母
常にそばに居てくれる双子の兄
たまにしか来なくて人数も少ないが、この寺院を大切にしてくれる参拝者。
それだけあればいい。
それだけあればよかった。
魔法とは御仏の力を一部拝借して行う術の一つだ。
そう、私達双子に言い聞かせたのは父だ。
代々家が寺院であった我が家に生まれる子は、魔法の才能に非常に恵まれた存在だと言われている。
周辺に住まう人々も、私達双子の才能が恵まれていると、そう認識しており、奇異な存在だと避けられていた。
だから、私達双子には強いてあげられる親しい友達が居なかった。
そして才能に関しては、 ……実際に恵まれていた。
父の指導もあったからか、6か7になる頃には私も兄も、世の魔法中等教育合格レベルをクリアしているという、異様な才能を発揮した。
才能だけだったとは言いたくない。だが、実際に才能が無いとできないことであることだけは、私も理解していた。
錫杖に呪符、軽い数珠。
それらを活用した少し特殊な魔法。
魔法を使う際には本来使わない道具の数々を扱って行う魔法。
それが、人々は怖いのだろうか。 でも、
「あの人たちはなにかあると父様のことを頼るのよ。 …おかしいと思わない?」
ある日の自宅に隣接するように建てられた寺院の裏にて、
少し声を張り上げながら、私はそうぼやく。
兄はそれを聞いて、
「……あの人たちは、父上を通して仏様を求めているんだよ。
父上を崇めているわけじゃない」
と、至って冷静に答えるのだから私は愉快になれないわけだ。
「でも、でも変よ、おかしいよ。今、私達のことすっごく嫌ってるのよ!
なのに、兄様が父様の跡を継いだら、次はきっと兄様を頼るのよ、嫌にならない?」
「……確かに、腹を抱えて笑えるほどの愉快さは無いだろうね」
兄は決して声を荒げず淡々と言う。
「あの人たちが求めているのは、ただ仏様…… 神様に救われたいだけさ
父上を利用してるだけだよ」
だから気にすることはない、と兄は言う。
言動には寺院の息子としては些か含むところはあるが、私は特別気にはしない。
そんなことより、言われた言葉にはいそうですかと返せない私は、まだ子供なんだろうか。
「……きみが怒ることじゃないさ、栗花落?」
気付いたら怒ったような顔をしてしまっていたらしい。
それにどうしようもない気持ちでいっぱいになったが、とりあえず兄の手前落ち着こうと自分の頬をぺちりと叩く。
「ほら、術の修行をしよう。
同年代と比べたら秀でているとは言っても、ぼくら自身は初心者なのだから」
そう言った兄は、軽い口論で放置してしまった魔法の練習の続きを始めてしまった。
寺出身である私達は、魔法を術と呼び、練習を修行と言う。
私も再開しようと地面に置いてあった符を取り出した、
その直後に起こった、出来事だった。
一瞬何が起こったか分からなかった。
目の前で兄を囲む複数の男性の声。
兄の魔法で吹き飛ばされた私。
余程遠くに吹き飛ばされたのか、見知らぬ森に落ちてしまった。
だから、その後兄がどうなったか、私は未だ知らない。
犯人はは見たことのない衣服を着た複数の男性だった。
教会を営む彼らはただ、私達の力が怖かったのだと言う。
存在を消してしまいたかったのだと。
だがあまりに兄の魔力は強大だったそうで、兄は抵抗の末彼らを殺してしまい、その後兄は行方不明になってしまった。
今、兄は殺人犯として手配されている。
あれから兄が私達家族の元に戻ってきたことはない。
両親は兄を人殺しだと罵り、兄を死んだことにしてしまった。
偽物の書類を提出し、死体も無く葬式を取り行った。
両親は兄を忘れたいのかもしれない。
でも私は、兄がかばってくれたことを、きっと一生忘れない。
綺麗に切りそろえられた腰まで届きそうな髪、少しぶかぶかだったため裾を切ろうとしたら切りすぎてしまった袈裟、
傍らにある軽めの錫杖、目の前に置かれた無数の呪符、呪符を書く為の道具が一式に、いくつかの数珠と、それなりの量のお金。
「……ぼくは、まだ弱いんだろうね」
ある呪文のようなものが終わってから、つぶやく。
すると御堂の中でその声が響き渡る。
目の前には仏が居て。ぼくはその前に正座をして、ただ手にある数珠を遊ばせていた。
経を唱える、父の真似。 それこそ生まれた時から何度も見て覚えた行為のため、それはただの真似ではなく、きっと正確に行えるのだろう。
だが正式に修行をしたわけではない、しかも女性の自分では、その行動に意味が無いのだろう、きっと。
それでもつい、たまに習慣のようにそれを行ってしまうのは、つまり、自分が弱いのだろうと。
数年前にやっと踏ん切りがついて、やめようと思っていた男のふりも、抜け切れることはなかった。
口調は戻らず、行動も、思考も。ぼくはきっと、女性より男性に近いだろう。
比べる相手が居ないので、どうなのかは分からないが。
女性は、寺院を継ぐことはできない。
兄が継ぐはずであったのだが、兄はもうこの寺には居ないのだ。
だから、家の将来が不安になって、当時9歳であったぼくがたどり着いた答えは一つ。
自分が男になりきればいいのだということだった。
でも身近にいる男性なんて、兄と父以外居ない。
父はぼくにとっては大人の象徴であった。なのでぼくが男のふりをするには、兄をトレースすることしか思いつかなかったのだ。
長かった髪は後ろでまとめ、服も女性らしい服は排除した。
あとは口調と仕草さえなんとかすればいいだろうという安直な考えの末にたどり着いたのが、自分の現在の姿。
だが年齢を重ねるごとに、次第に自分の行動の幼稚さに気付いて行き、
やめようと思いはしたが、それを決意するにはもう遅すぎた。
すっかり定着してしまった男の……兄のような喋り方に、自分はもう開き直るだけだ。
「……ぼくね、ここを出るよ
だから、ここで経を唱えるのは今日で最後」
これも、決意するのに随分と時間が掛った。
けれども、ここに居ても自分にできることは、何も無い。
「なんでも叶う、不思議な宝物があるって、聞いたんだ。
それは凄いものなんだって」
参拝者がうわさ程度に話していた、そんな話。
信じるのは馬鹿らしいかもしれない。でも父に冗談めかして話した時に、父が言葉を濁したことで心に妙な気持ちが芽生えてしまった。
嘘を言わない父がごまかすのだから、もしかしたら事実なのでは、という一抹の希望が。
確信がない情報を信じるなんてと思われるだろう。
でもここには、家に伝わる術の全てを会得し終えた自分のすることはなにもないのだ。
―――……もしできたら、ぼくは全てをやり直したい。
兄が居なくなったあの日からの人生を、もう一度。
現実味があまりにもないかもしれない。
もしかしたら叶わないかもしれないけれど、
……夢で良い、嘘でもいいから、もう一度。
「行ってきます」
静かに音が響き渡り、御堂の扉が、ゆっくりと閉じられた。
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