朝の攻防(赤葦)
基本的にうちの朝食は和食だ。
勿論好きだからと言うのもあるが加工食品が栄えた現代では納豆もお新香も簡単に手に入るので単純に楽だからと言う方が正しいかもしれない。
そこに味噌汁と残り物の煮物に焼き魚の一匹でも添えれば十分だろう。
味噌汁に関しては最悪お湯さえあればオッケーなのだが、何となくそこはきちんとしたものを口にして欲しくて朝も早くからわざわざ鰹出汁を取る自分に苦笑していると気怠げに目を擦りながら名前さんが現れた。
「いい匂いー。赤葦天才」
「おはよう御座います」
俺より大分遅れて起床した名前さんは挨拶代わりに片手を挙げ、ボサボサの頭のままソファに座ってテレビをつける。
少し寝癖がついたストレートの髪が座った反動でパラパラと胸元に落ちた。
「グリルがないのでフライパンで焼いただけですけど」
そう言いながら既に他のおかずが盛り付けられたプレートの真ん中に今しがた焼けた鮭を乗せて名前さんの前に置く。
寝ぼけ眼な名前さんがその匂いに徐々に覚醒して行く様子が可笑しくて堪らない。
「なにニヤニヤしてんの」
「気の所為じゃないですか?」
それ以上突っ込まれぬよう早々と踵を返した俺は狭いシンクを占領する調理器具を先に洗ってから自分の分の皿を持って名前さんの隣に腰を下ろす。
名前さんは小さく「いただきます」と呟くとソファなのに膝を抱えたまま煮物の里芋に箸を刺した。
「行儀悪いですよ」
「赤葦はさ、お嫁さん要らないね」
突然の脈絡のない会話に一瞬戸惑ったがこんなことにイチイチ動じていてはこの先持たないと言うことは長い付き合いで熟知している。
さてどう切り返そうかと悩んでいるとこっちのことなどお構いなしに名前さんは続けた。
「赤葦は仕事も出来るし家事も完璧で結婚の需要を感じない」
そう何処か拗ねたように里芋を頬張る姿はリスのようで思わず笑いそうになったが、朝っぱらからの面倒事は避けるべきだと判断した俺は見て見ぬ振りをし、大して量のない納豆ご飯を食べ終えると箸に着いた粘着質な糸を落とすようにお椀の底に沈んだ味噌を溶く。
「俺だって出来ないことくらいありますよ」
視線はそのままに会話を続けしっかりと混ざった味噌汁に口をつけると綺麗に切り揃えたつもりだった豆腐に不揃いな直方体を見つけ、一番先に口内へ吸い込みなかったことにする。
「何それ」
俺につられるようにして味噌汁を混ぜ始めた名前さんが不機嫌に問う。
猫舌な彼女は何度も器に唇を寄せては息を吹き掛けなかなか中身が減る様子はない。
「教えて欲しいですか?」
「赤葦に拒否権はないでしょ」
「相変わらずですね」
先に食事を済ませた俺は横目にその姿を楽しみつつ食器を重ね、この後告げる言葉の反応が見たくてわざと名前さんの正面に回り空いた皿を回収する。
そして勿体振るように少し間を置いてから口を開いた。
「……子供を産むことです」
途端、名前さんがフリーズする。
「なので、それは任せます」
そう彼女の肩を叩いて立ち上がりキッチンに戻ると背後で名前さんの箸に刺さっていた鮭の切り身が味噌汁の中に落ちる音が聞こえた。
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