七転び八起き(及川)
side:岩泉 名前
「ただいま」
時刻は16時半を回ろうとしていた。
玄関の扉が開くのと同時に弟の帰宅を告げる声が聞こえる。
「お邪魔しまーす」
次いで気の抜けた男の声がした。
一の友達だろうか。
そう言えば、月曜日は部活が休みだとか言っていた気がする。
そんなことを考えながら台所でコップに牛乳を注いでいると声の主達が通り掛かった。
「あっ、名前ちゃーん!」
「ゲッ…」
「俺のこと待っててくれたんだね。遅くなってごめーん」
ペロッと舌を出しておどけて見せるその男の名は及川徹。
先日不慮の事故のような再会を果たした相手だ。
「月曜だから休みなだけ。君に会ったのは不本意だわ」
「月曜って毎週?」
「……」
「否定しないってことはそうなんだね」
私が返し倦ねていると弟が怒声を浴びせ彼を引き摺るようにして二階へと上がって行く。
弟よ、頼むからしっかりと手綱を握っておいてくれ。
「何しに来たんだお前は」
「名前ちゃんに会いに!」
「放り出すぞ」
「岩ちゃん目が恐いってば…」
私の就職先はインナーファッションに力を入れているそこそこ大きなアパレル会社だ。
平たく言うと全国展開の下着屋である。
入社するやすぐに都内で研修を終えその後は神奈川の店舗で暫く働いていたが、宮城の店舗が人員不足で早くも異動することになった。
北から南まで転勤のリスクはあるが曜日固定の完全週休二日制で残業も少なく、なかなか好条件の職場だと自負している。
牛乳を飲み干し部屋に戻ると未だ開封していない段ボールの山々に自然とため息が溢れた。
いい加減片付けないと不味い。
ガムテープに切り込みを入れ、メモ紙を頼りに中身を所定の場所へと収納して行く。
途中、壁越しに弟の怒鳴り声が聞こえたがあの男はまた何かやらかしたのだろうか。
「今日中には終わらせたいな…」
また一つため息を溢して独りごちる。
隣の部屋も次第に静かになり私も黙々と作業を進め、現状出来る事は全て終わらせた。
残る荷物を片付けるには小物を収納するラックやケースが必要だ。
時計を見るとまだ18時。
次の休みまで引き伸ばしたくなかった私は街に出ることにした。
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side:及川 徹
俺の頭の中は基本的にバレーのことと女の子のことで一杯だけど、学年が学年なだけに勉強も疎かには出来ない。
いつもは適当に過ごすオフの夕方を今日は岩ちゃんに声を掛けて勉強に充てることにした。
うちには今日甥っ子が来ていて煩そうだから岩ちゃんの家にお邪魔したんだけど、仕事でいないと思っていた名前ちゃんがいてビックリ。
行くって決まった時、岩ちゃんが何となく嫌そうな顔をしたのはこう言うことだったんだね。
隠していた岩ちゃんを恨めしく思いつつも結果的に名前ちゃんと会えた俺は上機嫌だった。
今日は絶対に連絡先を聞く!
そんな使命感に燃えながらトイレに行くフリをして岩ちゃんの部屋から出る。
勿論トイレなんか行くつもりはない、目的地は名前ちゃんの部屋だ。
俺は部屋を間違えたフリをして今出て来た部屋の隣の扉を開ける。
「あれー、岩ちゃんの部屋どっちだっ…」
言いかけた言葉は音になることなく喉へと戻り、目の前の光景に頭が真っ白になった。
「黒、いいですね」
反射的ににっこりと屈託のない笑みを浮かべてはみたものの内心は冷や汗だくだくだ。
なにせ、名前ちゃんは絶賛お着替え中なのだから。
俺は勿体無くて扉を閉めることもできず取り敢えず間を持たせようと言葉を続ける。
「何処かにお出掛けですか?それなら俺も一緒に…」
「お前は一人で地獄にでも行ってこい!」
見事顔面に怒りの鉄拳を喰らった俺は静かに扉を閉じて鼻血を垂らしながらふらふらと岩ちゃんの部屋に戻る。
流石岩ちゃんのお姉ちゃん、いい拳だった。
でも俺は地獄じゃなくて天国を見た気がしたよ!
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