静かなる交渉(研磨&黒尾)
「ホントにやんねー?」
「やりません」
家がバレてからと言うもの、何かとうちへやって来ては同じ勧誘を受ける。
幸い今日は親が在宅していたので玄関先で話を済ませる予定だ。
「実は最近宮城の奴らとも交流があって珍しく研磨がやる気になってんだよ」
「別にそんなことない…」
何やら私がだらだらと過ごしていた夏休みの始めに合同合宿と言うものがあったらしい。
その際他校には可愛い女子マネージャーがおり、部内では自分達の置かれた環境に嘆く者も少なくなかったとか。
以来、音駒高校排球部はマネージャー…もとい、女子の存在を渇望していると言う。
そして先日の体育館でのやり取りを見られていた私に白羽の矢が立った。
「もうすぐ大会もあるし何かと人手が欲しいんだよネ」
また合宿とかもあるだろうし、とクロさんは続ける。
中途半端なことができない私は部活なんて始めてしまった日にはきっと義務のようになり、逃げることもできず苦痛の日々を送ることになるだろう。
そんな目に見えている苦労、誰がするものか。
「名前、困ってる…」
今日も無理矢理付き合わされているであろう研磨がクロさんに目配せする。
しかしクロさんは勧誘の手を緩めない。
「俺達と一緒に青春しようぜ」
――青春。
それは夢や希望に満ち溢れた若き日々を人生の春に例えたもの。
夢も希望もない私がどう青春しろと言うのか。
そんなことを考えながら遠い目をしていた私を現実に引き戻すようにクロさんが私の顔の前で手をヒラヒラとさせる。
「おーい」
「…何でしょう」
「ちゃんと聞いてんの?」
「聞き飽きましたよ」
「名前ー、長くなるなら上がってもらったら?」
ため息混じりに応じていると話を掻い摘まんで聞いていた母が台所から顔を出す。
(余計なことを…)
夕飯の支度をしているらしく味噌汁のいい匂いを漂わせながらの母の要らぬ気遣いに内心舌打ちするも、意外なことにその心配は杞憂に終わった。
「あ、ボク達今日はもう帰りますのでお気遣いなく」
「そう?じゃあまた今度来た時ゆっくりして行ってね」
再び台所へと姿を消した母にクロさんと研磨が小さく頭を下げる。
どこぞの営業マンのような笑顔で丁重に話すクロさんは何だか気持ちが悪かった。
「つーワケで、取り敢えず今日は帰るわ」
「そうですか」
「マネージャーの件、考えといて」
「毎回それ言われるんですけど…」
そもそも考えた結果がこれなのだ。
しかしながら、今日は妙にあっさりと引き上げる二人に呆気に取られながらその背中を見送る。
と、クロさんが先に玄関を出たところで研磨が振り返った。
「名前、」
「どうしたの?」
何事かと思わずサンダルを履いて距離を縮める。
「マネージャーとか…多分、面倒臭いと思う…」
「うん。私もそう思う」
「だから…」
「おい研磨、行くぞ」
何か言い掛けた研磨の言葉は閉じかけの扉越しに急かすクロさんの声に遮られた。
「…うん」
研磨はまだ何か言いたそうな顔をしていたがその続きを口にすることはなく「またね」と言って扉を閉めた。
研磨は何を言おうとしたのだろう。
こんなこと今まで一度もなかった。
気になりつつ部屋に戻ると携帯のLEDが点滅していることに気付き電源ボタンを押して画面を覗き込む。
研磨からのLINEだった。
(気が向いたら練習見に来てほしい)
刹那、私は眩暈に襲われた。
あの研磨が人を誘うだなんて…
もし行かないなんて言ったら研磨はもう一生人を誘うなんてことをしなくなってしまうのではないだろうか。
とんでもなく心配だ。
バレーなんか別に興味はない。
これは人助けだ。
そう自分に言い聞かせて返信を打ち込む。
(わかった。でもクロさんには内緒ね)
止まっていた人生の季節が動き出す。
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