「行ってらっしゃい」 「はぁ、はぁ……っ!」 顔にかかる髪を鬱陶しく思いながら自転車をこぐ。 赤信号も警察につかまらないよう注意しながら、とにかく事故だけは起こさないようにとあちこちに視線を走らせながら急ぐ。 藤代は今日で締め切りだと言っていた。カズが練習から帰ってきてからでは遅いのだ。はやく、はやく伝えなければ。 「カズのあほんだらー!」 スタジアムまであと何キロあるだろうかと思いながらカズに悪態をついた。 「功刀はどうするんだ?」 「あー……いや、行こ思っとおたい」 ゴールの前で渋沢がグローブをはめながらカズに訊ねた。カズは帽子を脱いだり被ったりしながら、はっきりしない様子で答えた。その様子に、渋沢が首をひねる。 「悩んでるのか?」 「いや、ちゅうか…まだ言うとらんけん」 「言ってない?……ああ、桔梗か」 「……おう」 ばつが悪そうに言ったカズに、渋沢は合点がいったように頷いた。 中学生のときから、合宿に顔を見せては選手の活動をサポートしにくる桔梗に、渋沢はもちろん他選抜であったカズも随分世話になった。何の因果か、今カズは桔梗と付き合っているが、もともと東京選抜にくっついてきた桔梗はカズが嫉妬を感じる暇もないほど選手たちと交流を深めている。 「あいつには早くいったほうがいいぞ。それで前、藤代がビンタされてたからな」 「げ」 本当にやりかねないので、さすがにマズいかと顔をしかめる。 「というか知ってそうなものだがな」 「ああ、いや、そげんと違およ。俺ば行くゆうが伝えとらんけ」 ちゅうか、と前置きをおいて足元のボールを拾い上げた。 「あいつば残して行くんが心配けん。まだ迷っとう」 「それはまた、…桔梗が怒りそうな」 渋沢が苦笑いすると、カズは「帰りまでには決めるけん。ほっとき」とおもむろに練習を始めた。 「カズー! このばか! 何迷ってんのさ!!」 突如として頭上から降ってきた声にビクリと肩をはねた。江戸の女らしい気っ風の良さ、よく通る声、何より、この場に現れることのできる女といえばただ一人しかいなかった。 「桔梗! おま、なんばここにおらんや!?」 「シャラップ!」 電車でもかなり時間をかけないとこられない場所なのに、汗を流して、どうやら自転車で来たらしい桔梗を見上げる。凄いとしか言いようがない。 「藤代にきいたけど、まだ遠征合宿申し込んでないの?! なんでよ!」 「な、なんぜっちゃ……」 気迫だけですでに負けそうだ。桔梗の噛みつかんばかりの勢いに、思わず帽子を深くかぶり直す。 「あたしなんかの心配してる暇があったら、さっさと韓国でもどこでも行っちゃえばいいでしょ!!」 言われっぱなしは、性に合わない。珍しくカズのところまで下りてこない桔梗を見上げる。 「いつも勝手に決めて、勝手にどっか行っちゃうのがカズでしょ!! 帰ってきたら、平気な顔でただいま、なんて言ってさ!」 「言わせとれば……」 帽子のつばが邪魔をして、桔梗の表情がよく見えない。 「桔梗! お前は俺がどんだけ考えとうと思っとりゃあ!! 俺かてバリ悩んどうよ。やけどお前は俺が行かん言うたら怒るし行く言うたら黙るし、ええ加減にせろ!!」 一気にまくし立てて帽子を脱ぎ捨て桔梗を見ると、桔梗は顔をゆがめていた。はっとして口をつぐむ。 「だったら行けばいいじゃない! プロになりたいなら行かなきゃいけないんでしょ。あたしが寂しいからって、そんな理由でとめられるわけないじゃない!」 「桔梗……、」 泣いている。 そう思うと同時に、カズは駆けだした。 「渋沢、すぐ戻るけん」 「あ、ああ」 一生懸命涙を拭う桔梗に近付くと、そっと手を伸ばす。 「触んなこのあんぽんたん。どこへでも行って女つくってこい」 「言われんでも行っちゅうがよ。ただし、桔梗よかいい女がおるならばい」 一度は手を払われたが、やや強引に抱き寄せても特に嫌がられなかったので、そのままで会話を続ける。藤代やシゲに見られたらどう言い訳しようかと考えながら。 「俺かて寂しかよ。桔梗ばおらんとバリつまらんぜ」 「嘘だボケ」 「なめくさっとうなお前。シバくぞ」 カズがいい雰囲気にしても、桔梗がそれをぶち壊す。それを見ている渋沢は待ちぼうけで、一番困っているのだが。 「一週間で戻ってくるけん、我慢できんな?」 「いや」 「ワガママ言うなっちゃや…」 「我慢できないから、絶対電話して。メールでもいいから、絶対。1日一回」 「……おう」 何となくいい雰囲気にまとまってきた二人だったが、カズの帽子をなし崩しに押しつけられて戸惑っている渋沢がカズに声をかけた。 「功刀! そろそろ練習しないと……」 「あ、おう! 桔梗、帰りば乗せちゃあたい」 「やったラッキー」 さて練習、とコートを振り返ると、そこにはなぜか藤代やシゲ、風祭や椎名などメンバーの姿がある。 「功刀、紅白戦やるよって呼びに来たんだけど」 「お熱いこっちゃなー」 「っせからしい!!」 |