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イルレス・クライシス



「まずい」
三蔵はいつも不機嫌につり上がっている眉を寄せると、箸をかちゃんと置いた。
「そ、んなに…おいしくない?」
「まずいどころじゃねえ。なんだこの異常な量の塩分は!!」
李翠は一瞬肩をすくめると、すぐに反応して三蔵の頬をつねる。
「じゃあ食べなければいいよ。というか、病人なんだからもっと大人しくしててよ」
三蔵は李翠の手を振り払うと、熱を帯びた眼差しで李翠を睨みつけた。





三蔵が風邪を引いた。雨の中移動をしていたから、誰かしら風邪をひくのではないかと危惧していたが、意外にも三蔵ただ一人が熱を出し、宿で個室を与えられた。
「いつもなら雨でも平気なのにね」
「うるせぇよ」
いつも通りに、八戒、悟浄、悟空は買い出しに行っており、李翠は三蔵が無理をしないかの見張りと看病を任されていた。
「寝てなよ。きっと一晩寝たら治んだから」
「寝たくても腹が膨れねえから寝れねえんだよ」
イヤミだなあ、と李翠は眉を寄せて溜め息をついた。
焦点も定まらず、心なしか呼吸も荒い、この面倒くさがりな坊主をどうすれば寝かしつけられるだろうかと首をひねる。
「じゃあ水でも飲んで横になれば?」
「コーヒー淹れてこい」
「寝れないじゃん」
コーヒー煙草酒麻雀。好きなものがどこぞのヤーサンだ。
「ちっ。じゃあ水でいいから持って来い。…変なもんいれんなよ」
体調は悪くても毒舌は相変わらずなのだと李翠は呆れながら立ち上がった。


「はい、水」
「なんだこの汚水は」
宿の下におりて、わざわざグラスに水をくんできた。
「雨水。いっぱいあったから」
「ふざけんな死ね」
パカンと乾いた破裂音。どこから取り出したのか、ハリセンが李翠の頭を叩いている。
「まあ冗談はさておき、はい、水」
今度こそ、くんできた透明な水を三蔵に差し出す。
ふと、三蔵の心に悪戯をしてやろうかと魔が差した。
「腕をあげるのか怠い。飲ませろ」
「……は?」
李翠がぽかんと間の抜けた顔をする。三蔵にしてみれば、それでも十分面白かったのだが。
「え、なに、こういうこと?」
グラスを傾けて水を三蔵の口めがけて垂らそうとする李翠の腕をつかむ。
「そうじゃねえ」
はあ、と溜め息をつくと、李翠が不可解そうな顔をする。
「てか、あがんじゃん。腕」
「今ので疲れた」
腕を捕まれたまま、李翠が言えば三蔵は事も無げに返す。相変わらずのマイペース加減に、そろそろ尊敬できそうだと李翠は思う。
小さな音を軋ませて、ベッドにかける。
「三蔵、ついに熱にやられたみたいだね」
「死ね」
会話になってないよ、と李翠が笑うと、三蔵は眉を寄せた。
ゆるゆると右手を持ち上げると、李翠の頬にふれる。ゲテモノばかり食べているのに、随分綺麗な肌だと三蔵は少し驚く。
「三蔵?」
さすがにいじりすぎたかと李翠が心配になって尋ねると、三蔵はつ、と右手を移動させて人差し指で李翠の唇をなぞった。
「どうしたの? やっぱり疲れてる?」
李翠が手を伸ばして三蔵の金髪をなでる。子供扱いされているようで腹が立ったが、心地よいのでその手を振り払うことはしなかった。
「三蔵、あんまりらしくないことばっかしてると押し倒しちゃうよ?」
「やれるもんならやってみやがれ」
口角をあげて笑うと、三蔵はそのまま李翠の顎を掬い、顔を近付けて、

「李翠、お疲れさまです。三蔵、りんご買ってきま…」

ばさがたばたん、と賑やかに八戒の持っていた買い物袋が床に落ち、中身が盛大に散らばった。
「おう昼間っからお盛んなこっ」「さんぞー何してんだよ!!」
ひょいと八戒の後ろから顔をのぞかせた悟浄を押しのけて、悟空が叫んだ。
「何って…なんだろ?」
李翠が態勢を変えないまま三蔵に尋ねると、三蔵は李翠の唇から手を離し、八戒に手を伸ばした。
「マルボロ」
「駄目です」
「ちっ」
八戒は笑顔で断ると、床に散らばった荷物を拾い始めた。すべて拾ってしまうと、騒ぎ続ける猿と河童を部屋から追い出し、自分も出て行った。
「三蔵、汗かくと風邪なお」「悟浄は黙っててくださいね」「なーあ、なんで出てくんだよ!」
ぱたん、と扉が閉まる。
「………寝る」
一言そう呟くと、三蔵は横になり頭から布団をかぶった。
見ているうち、すぐに寝息を立て始めた三蔵の髪を優しくなでると、李翠はしばらくベッドに腰掛けたまま三蔵を見つめていた。