short | ナノ






通り魔の災難



最近、通り魔が出るらしい。らしい、というのは担任から聞いた話であり、僕自身はそんな話を聞いたことがないからだ。
被害にあったという話も近くでは聞かない。それなら、もはやないのと同じだろう。
とにかく、担任の連絡を聞き流して、午前中の授業もいつも通り適当にうける。
あてられることがあっても、さほど難しい問いではないのですらすらと答え、さっさと席に戻る。
そこである席に主が座っていないことに気付き、足を止める。
「水鏡、どうかしたのか?」
「……桔梗は?」
「桔梗? 東雲か? 東雲なら今日は休みだと朝のホームルームでいったはずだが…」
担任の言葉に眉根をきゅっと寄せる。そのまま早足に席に戻ると、手早く帰り支度をする。授業が終わり次第、桔梗に連絡をとって会いに行くつもりだ。
(特に体調をくずしたというわけではなかった…と思うが)
考えてもわからないので、後で確認することにしようと、残りの授業は意識を遙か彼方へ飛ばしていた。



午前中の授業がやっと終わり、携帯を片手に鞄を持って教室を出ると、横からすごい勢いで風が吹き気がついたときには屋上にいた。
「…用か? 僕はこれから」
「みーちゃん! 桔梗どうしたの!? 連絡とれないんだけど!」
風子がすごい剣幕で迫ってきた。その迫力にたじろぐと、どん、と背中に何かがあたった。
「…土門か。それなら烈火や柳さんもいるんだな」
面倒くさいので、土門に体重を預けたまま見上げる。視線をずらせば予想した通り烈火と柳さんがいた。
「みー坊ならなんか知ってんじゃねぇのか」
土門が僕から離れた。別に困らないので、つい、と姿勢を戻して立つ。
「これから電話しようと思っていたころだ。どうかしたのか?」
そんなに慌てることだろうかと携帯を軽く振りながら言えば、風子が難しい顔をした。
「電話、しても繋がらないんだよ」
「…繋がらない?」
ただ出ないだけではないかと携帯を操作して東雲桔梗をコールする。
…一回。
……二回。
………三回。
…………四回。
たしかに、繋がらない。桔梗はいつも三コール以内で出る。まだ呼び出し音は続いているが、桔梗が出る気配はないし、留守番電話サービスに切り替わる気配もない。
通話を終了する。
「たしかに、出ないな」
「ね?」
「水鏡先輩、心当たりないですか?」
「………ない、な」
考えてみるが、やはり心当たりはない。
「どうせ様子を見に行こうと思っていた。僕はこのまま早退して桔梗の家に行ってみる」
携帯をするりとしまい、髪をひとつに纏める。
「それならオレたちも――」
「頼んだよ、みーちゃん」
烈火が身を乗り出すと、風子が遮った。
烈火たちはいても邪魔になるだけだから、スルーして出口に向かう。
「頼まれなくとも、僕は桔梗の心配しかしない」
ちょっとだけ振り返って言い残すと、屋上のドアを閉めた。



桔梗の家に向かう途中、何度も電話をかけたがやはりかからず、その度に不安が重なっていく。大丈夫だと思っていたが、死闘をくぐりぬけたとはいえ、やはり桔梗は女子だ。何があっても不自然ではない。
徐々に早足になる。
そうしているうちに、桔梗の家の前まで来ていた。中の様子を窺うと、人がいる気配はした。
玄関ベルを鳴らして、しばらく待つ。やがて小さな足音がして、ドアが開いた。
しかしわずかな隙間ほどしか開かず、見ればドアチェーンがしてあった。いつも以上に警戒していることに違和感を覚え、静かに声をかける。
「桔梗」
「………水鏡?」
一度ドアが閉まり、すぐに開いた。今度は大きく開き、玄関ポーチには部屋着を着た桔梗が立っていた。
「いたのか…何度か電話したんだが?」
「うん…ごめん」
「それより、何かあったんだろう。話をきいてもいいか?」
ときけば、桔梗はしばし逡巡する素振りを見せたが、こくりと小さく頷いた。

「あのね……」



そう言ってから、結構な時間が経過していた。かといって急かしても話さないだろうから、桔梗が話し出してくれるのを待つ。
待っている間は、煎れてもらったお茶を急須から自分で湯呑みに注いで飲む。
時間はたっぷりあるし、桔梗を落ち着かせるのが先だ。
「……昨日、さ…途中まで一緒に帰った、でしょ?」
「ああ」
「水鏡とわかれた後、家まで数十メートルしかないんだけど、」
桔梗はそこで一旦言葉を区切ると身震いした。
「出た、のさ」
「出た…? 何が?」
幽霊でも見たのかという意味で訊ねれば、桔梗は目に涙をためながら抱きついてきた。
「桔梗…!?」
「通り魔が出たのーっ!!」
「通り魔…?」
しっかりと抱き止めたうえで聞き返すと、桔梗はこくこくと頷いた。
「何か…されたんだな。なにをされた。犯人の特徴は?」
自分でもわかるほど顔をしかめると、桔梗の言葉を一字一句聞き逃さないように耳をそばだてた。
「あ、あの……水鏡より背が低くて、細身で、あ、男で、それで、」
また、言葉が途切れる。絶対に嫌なことをされたのだと直感して、より強く抱き締める。桔梗が安心するように耳元で大丈夫だと囁いてやる。
「あの、それで、その……」
こっそりと耳打ちされた言葉に驚愕して思わず呆ける。
「いま、なんて…」
「な、何回も言わせないでよ……だから、」


露出狂。


通り魔的露出狂。
桔梗の話では、季節はずれの長いコートを着ていたその男は、桔梗の目の前に立つと突然コートの前を広げたらしい。この先は流石に言えないようで、というか僕がこれ以上言わせないように黙らせた(手段は特に選ばなかった)。
涙をほろほろと零す桔梗が愛しくて、通り魔をどうしてやろうかと画策する。
「だから、怖くて外でれなくて……」
次第に声が小さくなっていき、僕にしがみついてくるその手が小さくてますます通り魔への殺意が募る。
「……今日は一緒にいてやる。だから、怖がらなくていい」
優しく背中を撫でてやれば、やがて桔梗の泣き声が小さくなり、静かな寝息が聞こえてきた。
「…寝た、か……」
ほっと息をついて、桔梗の体を抱き上げてベッドに運んでやる。すやすやと眠る寝顔は穏やかで、見ている僕が癒されるような顔だった。





数日後、警察の前に縛り上げられた男が寝転がっていた。
不思議がっている警官に、男は声を張り上げた。
「男女に殺されかけた!」
どういうことだと男を身体検査すると、ポケットの中に紙切れがねじ込まれていて、広げてみると『露出狂通り魔。』とだけ書いてあった。
当然、男は即逮捕だったが、男のいう男女が誰かはわからないままだった。



(水鏡、ありがとね)
(僕は別に何もしてないが)
(ううん。一緒にいてくれたでしょ? それで充分)
(………(正直何するかわからなかったけどな))
(んー…まだダルい。明日も休む)
(なら僕も休むかな)
(え、なんで?)
(なんでもなにも…心配だからだ)
(…変なことしない?)
(流石にいまの桔梗にはなにもできない)
(水鏡って…そういうとこが好き)
((不意打ちは…ズルすぎるだろう…!))