折原臨也の地雷 その日は、どんよりとした空だった。 「…その情報、確かなんだろうな?」 「ええ…この目で、見ました」 「そうか…テメーら! この女ァ連れて来い。無論………アイツに、気づかれないように、だ」 ♂♀ 「じゃ、僕らはここで」 「また明日」 「じゃーな、桔梗!」 「うん、また明日ね」 桔梗は改札を抜けていく友人たちを見送って、電車のシートに空きを見つけて座った。 桔梗は、来良学園に通っている。だが、桔梗はいまさっき別れた友人たちとは違い、新宿に住んでいるため、通学に少しばかり時間がかかる。 かばんから読みかけの文庫本を取り出す。目的地に着くまでに、いくつかの駅を通る。そしてその度に、乗車客の中に席を譲ったほうがいい人はいないか確認する。 しばらくして、新宿駅に到着する。降りる人は、桔梗を含めて多い。だが同時に、乗る人も多い。 桔梗は改札を抜けて駅から出ると、いつものようにかばんから携帯電話を取り出して、保護者兼同居人である臨也の番号を出す。何回も呼び出し音がなる前に臨也がでる。 「もしもし、臨也?」 「うん。桔梗、もう駅出た?」 「出た」 「今日はこれから雨降るかもしれないから、早く帰ってきな」 「うん。雨降ったら、洗濯物しまっといてね」 「…波江がやるよ」 「まーた人任せ」 「はは。とりあえず、気をつけて帰ってきな」 「うん、大丈夫」 少し会話をして切る。連絡を入れるときは、基本的には電話だ。臨也の声が聞けると安心するし、向こうもあまり心配しなくてすむ。 桔梗は色々あって臨也の世話になっているから、できるだけ臨也の言うことを聞く。臨也は桔梗にはあまり無茶を(他の人に比べて)言わないし、どうやら大切にしてくれているみたいだから、お互いなんやかんやで上手くいっている。 「………嫌な空」 桔梗は曇り空を見上げて呟くと、携帯をかばんにしまい、腕時計で時刻を確認する。 「四時四十五分。いつもと、同じくらい」 桔梗は、家に向かって歩き出した。 ♂♀ 「あの女か…案外普通だな」 「ああ、でもさっき電話してたろ」 「そうだな…慎重にやるぞ」 「当然だ」 ♂♀ ぽつりぽつりと雨が降ってきた。家まではまだ距離がある。しかたがないから、かばんをひっかけなおして小走りになる。 「臨也…しまってくれるかなぁ…」 桔梗は小さく呟くと、スピードを上げた。通行人も、コンビニに雨宿りをしたり、小走りになっている人が多い。 そして、少し近道をしようと路地へ角を曲がった。数メートル抜ければ、数十メートル楽できる。よく使う道だ。 だから…油断していた。 行く手に大男が立っていて、黒い布袋を持っている。道幅が狭いからあきらめようと振り返ると、そこにも男がいて、前も後ろも通りの様子が見えない。 男たちがじりじりと近づいてくる。 臨也やセルティから、ある程度の護身術は学んだ。だがそれは、痴漢の撃退などの程度だ。男二人を相手にするようなものではない。とにかく、手のうちようがないので、大声をあげて通りの人々に助けを求めようと思った。電話は、どうしても間に合わない。 前後の男が一足飛びで近づいてきた。あ、と思う間もなく、桔梗は頭にガツンと衝撃を受けて、気を失った。 ♂♀ 「ん……」 「起きたか。悪いが、アンタのかばんとかはこっちで預からせてもらってるぜ」 「!?」 声の主は、見慣れぬ男だった。 桔梗は、身体を締め付ける痛みに顔をしかめると、自分の様子を見た。手足を麻縄で縛られ、どこかの駐車場なのか柱に縄の端がくくりつけられている。さるぐつわを咬まされていて、口の中に苦い味が広がっている。 先ほど殴られた部分が、じんと痛む。 「アンタに恨みはねーが……折原の奴に、恨みがあんだ。せいぜい、エサになってもらうぜ」 男はそういって口端をあげた。 予想はしていた。臨也の仕事柄、いつかこんな日が来るだろうとは思っていた。だから護身術を仕込んだり、携帯を買ってくれたりしたのだろう。けれど桔梗は、たかをくくっていた。情報屋は敵に回すと厄介だというし、臨也のことだからこんなことにはならないだろうと思っていた。 そして改めて自分のおかれている状況を理解して、正臣の話を思い出した。 彼の彼女がカラーギャングに連れ去られ、そして怪我をさせられて、もともとはカラーギャングだった正臣がそれをやめる原因となった事件。 身を震わせながら、男たちを窺う。カラーギャングのように、同じ色は持っていない。ダラーズでもないだろうから、ただのチンピラか。そう思ったが……それはそれで、恐い。世界中で何より人間が恐ろしいとは言うが、本当にこのような土地で生活しているとそうだろうと実感させられる。 「おいおい、そんなにおびえんなって。殺しゃしねーよ」 そんな言葉、信じられるものか。男の顔は笑っていたが、目は笑っていなかった。 臨也は…助けに来てくれるだろうか。こういう状況になると、一番に臨也のことを考えてしまう。初めてであったとき、臨也は助けに来てくれた。きっと、きっと来てくれると。そう自分自身に言い聞かせるが、それでも身体の震えはとまらない。 こわいコワイ怖い恐い。 ただただ、恐ろしいと思った。 と、男が桔梗のかばんから携帯を取り出して、いじりはじめた。なにをするのかと思い見ていれば、携帯を耳に当てたから、電話でもするのだろう。しばらくは音を拾おうとじっと耳を澄ましていたが、相手に通じたのか、笑いをうかべた。 「もしもし? おーりーはーらーかー?」 「ああ? ああー預かってるぜ。安心しな、まだ、何もしてない」 「おーこーるーなーよー。俺らはな、テメーにようがあんだ」 「ああ゛っ!? ざけんなよ!」 桔梗の携帯で臨也と話していた男は、周りの男たちを見て、桔梗のほうをしゃくった。男たちは桔梗に近づくと、さるぐつわをはずした。そして、 「―――――――ッ!!」 コンクリートに突っ伏して身体を丸める。声が出ない。嫌だ、恐い――。 「んだよ、案外声でねぇなあ。黄巾族のリーダーの彼女は、もっと啼いたらしぃんだけどよ…」 臨也の声が聞こえて、男は携帯を耳から離した。桔梗には何を言っているのか聞き取れなかったが、どうやら臨也にしては珍しく怒鳴っているように聞こえた。痛みと恐怖で、なにも考えられない。 臨也の声がやむと、男はまた話しはじめた。やがて桔梗のところまで歩いてくると、桔梗の耳に携帯をあてた。 『桔梗っ!?』 「いざ…や…?」 『桔梗、なにされたっ?』 臨也があせっているみたいだ。珍しい。いつも笑っているところくらいしか見ないから。心配かけちゃいけないと思う。だけど…喉がかすれて、上手く声が出てこない。出てきたのは、一言。 「いざや………ごめん」 痛みに堪えながら。恐怖に声を震わせながら。 桔梗がそれ以上何も言わないのを見て、男はまた携帯を耳に当てて話しはじめた。そして桔梗は、男たちにこういうのを聞いた。 (もういらない。好きにしろ) 臨也には、聞こえなかったはずだ。 それをきいて男たちが桔梗を取り囲み、腹、腕、脚、顔、どこだろうと蹴ってきた。もう、声も出ない。耳の奥からゴォーという音が聞こえる。頭がぐらぐらする。意識が朦朧として、何も考えられない。まぶたが重い。 「あん?」 男が妙な声を出した。他の男たちも、その男を見る。 『だから、俺はいま、どこにいるでしょう?』 いつもの、臨也の声が聞こえた。帝人や正臣と話すときと同じ話し方。 幻聴かと、思った。男たちの声もろくに聞こえないのだから。 そのとき――、 馬の嘶きがきこえた。 「あ――?」 最初に気づいた男は、影に吹っ飛ばされた。すぐに他の男たちも反応して、各々鉄パイプなんかを拾う。 桔梗は視線だけで闖入者の姿を探す。心当たりは、ないでもないが…闇の中から、黒バイクが現れた。 「く…首なしライダーだ!!」 男の一人が叫んだ。その後は、本当に叫び声だけ。男たちは黒バイライダーに一方的にやられていた。 「せる…てぃ……?」 桔梗が小さく呟くと、黒バイクとは別の塊が近づいてきた。視界がぼやける。 「桔梗ッ!!」 「いざや……?」 幻だと思った。 こちらにむかって走ってくるぼんやりとした影は、いつもの臨也には見えなかった。静雄から逃げるときぐらいしか、臨也は走らない。それに、あんなに必死な顔はしない。初めて見た。 臨也は桔梗のそばに膝をつくと、桔梗の手足を縛る麻縄をいつものバタフライナイフで切り裂き、桔梗の身体を抱きしめた。 あたたかい もう大丈夫なんだと思うと、急に体の力が抜けた。 桔梗が意識を失う前に見た最後の景色は、闇の中から落ちた、桔梗の携帯電話だった。 ♂♀ 翌日、桔梗が目覚めると、桔梗の寝ているベッドの隣で、臨也がいつものようにクロスワードパズルをしていた。 「おはよう。眠れた?」 「ん……」 すっかりいつもの臨也に戻っている。あの、感情を拾うことができない笑顔に頷くと、桔梗は体の痛みに顔をしかめた。臨也は、珍しく苦笑いした。昨日今日で、いったいいくつ臨也の表情を見たのだろう。 「しばらくは安静にだって」 「ん…。新羅さんとこ?」 「他にアテ、ないしね。しばらくはマンションにとまらせるっていうから、新羅脅して、セルティに運んでもらった」 「はは……」 笑顔でこういうことを言うから、臨也は末恐ろしい。でも、本当に元に戻ったようだ。 「そうそう、学校には病欠だって連絡しといた」 手がまわるのが速い。感心するが、どちらにしても怪我が見えなくなるくらいまでは休むつもりでいたから、手間が省けてラッキーだと思った。 こういうときくらいは甘えてもいいかなぁと思いながら、桔梗は微笑んだ。 「ありがとう、臨也」 ♂♀ 折原臨也の女に手を出すと、死よりも恐ろしいことになるという噂が流れたのは、それから数日とかからなかった。 |