恋する太陽 「アイリス! アイリス、どこにいるんだ?」 「ここよ、シーザー」 最愛の人の姿を探して回っていると、わずかに開いたドアの隙間から彼女の声が聞こえた。バスルームと書かれたプレートを一瞥してから、軽く二回ノックして入る。 「まだこんなところにいたのかい」 「ごめんなさい。セットが終わらなくて……」 「そろそろ出ないと間に合わないぜ」 鏡の前で、豊かな赤い髪を結い上げてはピンを差すアイリスの姿に笑みがこぼれる。陶器のように白くすべやかな肌は淡いオレンジ色のマーメイドドレスに包まれていて、普段とは違う雰囲気にどきりとした。入念にヘアセットする姿は、滅多に見れるものではない。 「俺が手伝うよ。ジョジョのことだ、遅れると俺たちを待たずに始めちまうに違いない」 「そこまでこらえ性がないかしら、ジョジョって」 「そういうやつさ。ほら、もうほとんど終わってたんだろ。これで完璧だ」 アイリスの手から受け取ったピンを手際よく差して、めかしこむ彼女の両肩をぽんと叩く。彼女はこんなにも細く、華奢な身体をしていただろうか。とても少し前までともに柱の男相手に戦っていたとは思えない。 アイリスの手を取って立ち上がらせると、自分はそのまま膝をついて手の甲にキスを落とす。 「行こうか、シニョリーナ」 「ええ、シニョール」 いつも通りと言えばいつも通りなのだが、ホテルの一室でこんなことをしているのかと思うとなんだか少し笑えて来る。それを目の前の彼女に伝えようかとも思ったが、今の時間を思い出して思いとどまった。 すぐにここを出なければ、遅れてしまう――親友ジョセフ・ジョースターとスージーQの結婚式に。 真っ白な衣装と光に包まれて笑いあう親友たちは、心の底から祝福したいと思える似合いの夫婦だった。 「シーザー、アイリス。来てくれてありがとう」 「来ないと三日三晩電話で泣きわめくってジョジョが言ったもんだからね」 「何言ってるのよシーザー、『あのジョジョが』って言いながら泣いてたのはあなたじゃない」 「アイリス、そういうことは俺たちだけの秘密だよ」 「うふふ。シーザーは相変わらず優しいのね!」 ヴェネツィアにいたころと変わらない、くるくるとよく変わる表情は愛くるしい。まるで妹のように思っていたスージーだが、まさか俺よりも先に結婚してしまうとは……。 「それより、スージー。あなたとっても綺麗だわ」 感慨にふけっていると、アイリスの言葉で我に返る。花嫁のスージーは、もちろん真っ白なウェディングドレスに身を包んでいる。アイリスのドレスとは正反対に、たっぷりのフリルで大きく膨らんだそれはとても彼女らしい。一方花婿のジョジョはというと、残念ながら何の面白みもない普通の白いタキシードだ。しかしこんな日くらい、それでもいいだろう。なぜなら俺たちはもう柱の男たちを倒し、戦いの日常から去るのだ。普通で良い。普通が良いのだ。 「ほんと!? アイリスもとっても素敵よ!」 「ありがとう、スージー。だけど今日の主役はあなただもの。その幸せオーラにはかなわないわ」 「まあ、アイリスったら!」 アイリスと仲睦まじく笑いあう様子は、穏やかな日常そのものだ。この微笑ましいまでの幸せを、ジョジョも俺も、享受していいのだろうかという懸念とともに抱いている。戦いは終わったはずなのに、安息の時を迎えたはずなのに、本当にこれでいいのかと疑念を抱いてしまう。 それほどまでに、何でもない人並みの幸せというものは遠い存在だった。幼い頃、父が家を出て行ってから失くしてしまったはずのもの。それが、すぐそばにある。 「よう。シーザー、アイリス」 「ジョジョ! 結婚おめでとう。結婚式に呼んでもらえて嬉しいわ」 「なーに言ってんだ! 俺はてっきり、アイリスとシーザーの結婚式を見たスージーが式を挙げたいって言いだすもんかと待ってたんだぜ」 「そういえば、先を越されたって話はしたわね」 「別にこだわっているわけじゃあないが、そもそもジョジョとスージーが結婚するだなんて思いもしなかったからな」 主役がこんなとこにいていいのか、と続けた言葉にはジョジョもスージーも口をそろえて気にするなと返した。それもそうだ。この結婚式は、二人の親族と俺やアイリスのような仲のいい友人しか呼ばれていない、ささやかなもの。挨拶などとっくに済ませているだろう。俺たちの他にはリサリサ先生や、ジョジョの祖母のエリナさん、スピードワゴンさんやニューヨークでの友人だというスモーキー少年もいる。 賑やかなことが好きそうなジョジョにしては意外なほど静かな式だが、主役本人が自ら余興として手品を披露しているのだから、変に付き合いだけの人間を呼ばなくてよかったのかもしれない。 「アイリス、シーザーとの結婚式にはもちろん呼んでくれるんでしょう?」 「ええ。呼ばなかったら、末代まで祟られそうだもの」 「そんなことしないわよォー!」 女性はいつもこうした華やかな話を好む。イタリアで何人かの女性とデートしていた時も、「どんな結婚式を挙げたいか」という話をした。それはもちろんアイリスと出会う前だったので、その時その時の本心を話していたわけだが。 「というか、私たちはまず結婚するのが先だから。実はまだ籍を入れてないのよ。ねえ、シーザー?」 「ああ。しかしアイリス、俺たちものんびりしている場合じゃあねーぜ。なんならイタリアに帰ったらすぐにでも結婚するか」 「そうね。早いほうがいいかもしれないわ」 「いや、まあ自分たちのペースでいいといえば――――え? アイリス、今なんて言った?」 先に式を挙げる選択肢もないではないが、やはり手順というのはきちんと踏んでおきたい。俺もアイリスも両親はすでに他界しているから挨拶などの予定はなく、本当に籍を入れるだけなのだが……それよりも、アイリスの言葉だ。 帰国したらすぐにでも結婚するか、というのは、本心からの言葉だ。柱の男たちとの戦いが終わったら、絶対にアイリスと結婚しようと心に決めていた。まるでドイツ軍にいた友人のようだと思ったことを覚えている。 しかしそれにしても、今彼女は何と言ったのだろう。思わず聞き返して、まじまじとアイリスの顔を見つめた。ジョジョとスージーも驚いた表情で彼女を見ている。 「だからシーザー、あなたが言ったんじゃあないの。いいわ。イタリアに帰ったら、結婚しましょう」 「……すまない、もう一度」 頭に手をやる。今日の主役はジョジョとスージーなんじゃあなかったのか。別のテーブルで歓談を楽しんでいるはずの他の客もこちらの会話を伺っているのがわかる。 「シーザーのやつ、珍しく動揺してやがんな」 「結構わかりやすいのよねぇ」 「思ったより食いつかれてびっくりしてるわ、私」 「アイリス!」 俺を見て顔を合わせる新郎新婦にさりげなく混じっているアイリスの名前を呼んで、強く手を掴む。アイリスは驚いて目を開いたが、すぐに慈愛に満ちた微笑みを俺に向けた。 それは、何でもない幸福だ。俺がいまだに、手にしても良いのか迷っているもの。 「私からプロポーズさせるなんて、男の風上にも置けないんじゃあなくって?」 そう言って苦笑しながらも、愛しい人は続ける。 「私たちの国へ帰ったら、今度こそ結婚しましょう。シーザー、私はそれを望んでいるわ」 「アイリス……」 「おいおい、なんて顔してんだよシーザー」 「そうよぉ。もっと嬉しそうな顔をしなくっちゃ!」 畳みかけるジョジョとスージーQの言葉に何度か瞬きを繰り返して、ようやく辺りを見回す余裕が生まれた。今にも拍手をしそうな様子で、来賓たちが俺を見つめている。それどころか今日の主役さえも祝福される側からする側の雰囲気に回っている。 「アイリス」 「なあに?」 一人の男として、ここで返事しないわけにはいかない。新郎新婦を立てようとすれば、当人たちに叱られてしまうだろう。 何より――アイリスへの愛おしさが募って、俺がこれ以上我慢できそうにない。 「なんというか、その……ありがとう。言わせておいてなんだが……俺と結婚してくれるか?」 「――ええ。喜んで」 「マンマミーア!」 アイリスの返答を聞くや否や、華奢な身体を腕の中に閉じ込める。割れんばかりの拍手の音に照れくさくなるが、手にした幸福に比べれば構うものではない。 「おいジョジョ、聞いたか? これ以上の幸せはねえぜ!」 「ああ、バッチシ聞こえたぜ。スージー、ハネムーンはイタリアにすっか?」 「キャー! グーよジョセフ! それってすっごくグー!」 「それってあんまりハネムーンって感じじゃしないんじゃあなくって?」 俺の腕の中でアイリスが嬉しそうに笑いながら話すものだから、そのたびに吐息がくすぐったくて仕方がない。もはや誰が主役なのかわからなくなった場で、ただただ幸せな笑い声が響く。 |