short | ナノ






走れ青春!



朝練を終えて教室の席についたと同時、前の席によく知った人物が座り込み、こちらに体を向けた。
「おはよ、東条」
「おはよう、西尾」
挨拶を返してやれば、西尾はちょっと不満げな顔をした。その理由はわかっている。
「名字やめてつってんでしょ」
「悪い、つい」
「まああんたなら別にいいけどさ……」
それより、と西尾――桔梗は話題を変えた。別に桔梗は自分の名字が嫌いなわけではないが、クラスでは男女問わず名前で呼ばせている。
「東条、新譜買った?」
「あー、まだ。練習ぎっちりだから、週末に買いに行く」
「マジか。じゃあ明日自分で買いに行こうかなあ……」
「桔梗先に買うんだったら貸して」
「あんたもすぐ買うでしょ」
「一日でも早く聞きたいんだよ。……何だよその顔」
「別に? まあ気持ちはわかるから、買ったら貸すわ」
「サンキュー!」
桔梗は若干呆れたような顔をしていたが、苦笑しながらOKしてくれた。
クラスメイトの西尾桔梗は、貴重な音楽仲間だ。ただの音楽仲間ではなく、アイドルについて話せるという意味で貴重な相手なのだ。それも女子だから、話していると注目するところが俺とは異なっていてなかなか面白い。CDの貸し借りもするし、一緒に昼を食べながら話すこともある。かなり仲がいいとは思うが、別に付き合っているわけではない。
「あ。東条、お疲れ」
「え、何が」
「日曜日の試合。三年生引退した野球部の試合ってはじめて見たけど、あんためっちゃ頑張ってたね」
「は? え、桔梗見に来てたの? 何で?」
突然の言葉に戸惑いを隠せず、ひたすら桔梗に問い返す。確かにこの前は秋大の予選がグラウンドであった。夏の大会から取材陣も増えたし、生徒のギャラリーも増えた。しかしそれはほとんどが降谷目当てで、自分の知り合い、それも桔梗が試合を見に来ていたなんて寝耳に水。俺の思いも知らずに、桔梗はしれっと答える。
「こないだ教科書借りに行ったら、小湊くんがよかったら見にきてって。ていうかあんた、めっちゃアホ面」
「うるせっ。ていうか小湊かよ……お前ら仲よかったのか」
「まあ、たまたまね」
たまたま、小湊と――そう考えている自分に気付き、頭を振る。桔梗が誰と仲良くたって俺には関係ないじゃないか……別に付き合っているわけでもないのだから。
平静を装って、「どうだった?」と尋ねる。桔梗は目をきらきらと輝かせながら口を開いた。
「一二年にもすごい選手いっぱいいるんじゃんね! まずそこに感動したわ、今までは三年生ばっか見てたからさ」
「ああ、まあそうだよな」
「東条が活躍してるのはじめて見たわ」
「……ああ、うん」
「えっ、ごめん、誉めてんだけど……」
「いや、桔梗は気にしなくていいよ。今までは俺の実力不足だから……」
「じゃあこれから頑張ればいいじゃん――って、あんたのことだからもう頑張ってるか。ごめんごめん」
何気ない桔梗の言葉にはっとさせられる。今まで多少は野球の話もしたが、桔梗とは基本的に音楽の話しかしていない。それなのに俺のことだから頑張っているだろうと、そう言ってくれるのだ。その言葉はやけに耳に残った。
「でもほんと、かっこよかった。新チームでこれからいっぱい練習しなきゃいけないんだろうけど、負けんなよ。また試合見に行くからさ」
「……おう。でも、見に来るときは、一言ほしい」
「あはは、緊張する? じゃあ東条も、いつ試合やるのかとか、ちゃんと教えてよ」
笑った桔梗の顔に見とれて返事のタイミングを逃してしくじったと思った矢先、ホームルームのチャイムが鳴った。桔梗が前を向いたので、ほっと胸をなでおろす。桔梗曰く俺は表情に出やすいらしいのだが、先の感情は表に出ていないだろうか。
……桔梗を女子として意識する日が来るとは、夢にも思わなかった。



「東条、新譜買った?」
部活の練習が終わり、夕食三杯目のおかわりを食べ終えようとしている時だった。目の前で四杯目を食う男に首を振る。
「それ、クラスメイトにも聞かれたけどまだ。つか買いに行く時間ねえし、買うなら週末」
「ああ、そっか。じゃあ買ったら貸してくれや」
「ついに信二もももクロの良さを理解してくれたか!」
「いや、今回のはPVでちょっと気になっててよ……おい、そんなに期待すんな」
同学年の音楽仲間である金丸信二はもっぱら洋楽メインに聞いている。薦めれば他にもいろいろと聞くが、アイドル系にはあまり手を出してくれない。それが自分から貸してくれというのだから、期待するなというほうが無理だろう。
「てかクラスメイトっつったか。さすがに友達多いな、お前」
「いや、知り合いは多いけどももクロの話すんのはだいたいそいつ。新譜も買うっつってたから、自分で買う前に借りる」
「めちゃくちゃ仲良いじゃねえか。お前以外にアイドル好きなやつ、聞いたことねえけど。誰だ?」
「まあ仲はいいほうだけど……西尾桔梗っつうんだけど、女子だから信二は知らねえかも」
「女子ィ!?」
大きな声を出した信二を、食堂にいたみんなが見る。四杯目食べてから素振りに行こうかと思ったが、これは早めに食堂を退散したほうがいいかもしれない。この手の話題、真偽はともかく男しかいないとなれば食いつかれるのは必至。思わず口を滑らせた自分を恨む。
「じゃあ俺、風呂行って自主練に行くから」
「ちょっと待て、詳しい話を聞かせろ。いつからだ」
「だからただのクラスメイトだって」
「そんな素振り見せなかったくせにテメェ……!」
「話聞けよ!」
どこまでもついてくる気なのか、飯をかき込んだ信二がすぐに立ち上がる。今日食いつかれるとまた口を滑らせそうなんだよな、と思いながらそそくさと席を離れると、そのタイミングで倉持先輩と御幸先輩が食堂に入ってきた。反射的にまずいと思い、食器を下げると挨拶して足早に立ち去――ろうとした。
「あっ、待て東条! 女子の話詳しく聞かせろって!」
――馬鹿。
がしりと腕をつかまれて、顔が引きつるのを感じる。あの馬鹿にCD貸すのしばらく止めようと思いながら、ゆっくりと振り返る。そこにはもちろん、予想通り倉持先輩が恐ろしいほどの笑顔で立っていた。
「東条、詳しく」
「…………はい」
信二ならともかく、倉持先輩の脅しを断れるはずもなく――立ち上がったばかりの席に座りなおした。
御幸先輩は完全に面白がっているし、倉持先輩はもはや怖い。信二は絶対に許さん。食堂に残っていた他のやつらも集まってきて、いよいよ面倒なことになってきた。
「――で、音楽を通してそのクラスメイトとよろしくやってんのか」
「いや、普通に仲良いだけですけど……」
「しかもこの前の試合を見られてただァ……? 彼女かっ!」
「だから違いますって」
先輩たちは先に風呂に入ったようだから、飯さえ終われば解放されると思うのだが、その食事の時間がいかんせん長い。結局桔梗と話すようになったいきさつやよく話をすること、クラスでは東西コンビとくくられがちなこと、試合を見に来てくれたことなどあらかた話させられた。
桔梗との間には何もないと主張し続けているが、今朝の会話のせいで桔梗の笑顔を思い出して時折言葉に詰まっているため説得力はない。昨日までだったら、もっとうまくあしらえたはずなのに。
「沢村に続いて東条もかよ。ったく、今年の一年はどーなってんだ」
「先輩がどうもないだけじゃ……」
「なんか言ったか?」
「や、何も!」
それにしても、と御幸先輩がここにきてようやく口を開く。
「西尾っつったっけ、その子? 試合見に来て降谷じゃなく東条のこと見てくれてんだから、少しは気があるのかもな」
「……確かに。悔しいが、こいつや降谷だからな、普通騒がれんのは」
「いや、たぶんあいつのことだから知ってるのが俺だけって――」
――小湊くんがよかったらって。
不意に口を閉ざした俺を不審に思ったのか、倉持先輩に肩を揺さぶられる。けれど今更続きを言う気にもなれなかった。
桔梗は小湊を知っているのだ。それに、クラスには狩場もいる。何も野球部で知っているのは俺だけじゃないはず。それなのに、降谷の話でもなく、小湊の話でもなく、俺の話をしてくれた。もしかしたら小湊には本人に言ったのかもしれない。……それでも、少しは自惚れていいのだろうか。あいつと一番親しいのは、俺なのだと。
「……御幸先輩」
「ん?」
明日は、信二が新譜に興味を持ってくれた話をしよう。
「野球部って、イベントことごとく潰れますよね」
明後日は、感想を聞きながら一緒に新譜を聞こう。
「ああ。でも、それでもいいって相手ならいっそ結婚したほうがいいと思うぜ」
にやりと意地悪く笑った御幸先輩は、俺が何を考えているかお見通しのようだ。