言葉足らず 言葉で相手に気持ちを伝えるのは、どうも苦手だ。 よく、弟の瞬や星矢たちに俺は口下手でいけないと言われる。自分でも自覚はしているのだが、今まではそれでも問題なくやってこられたから付きとおしてきた。 それがそうもいかなくなってきたのが、ひとりの人間と出会ってから。 「一輝!」 俺の名前を呼びながら嬉しそうに駆け寄ってくる桔梗を見て、眉を寄せることで返事に代えた。別に桔梗を嫌がっているわけではないのだが、どんな表情で彼女を待とうかと考えていると勝手にしわがよるのだ。 「桔梗。俺に何か用か」 別に姿を隠して行方をくらましているわけではないから、見つけようと思えば小宇宙で見つけることは可能だ。しかし俺は星矢たちと常に行動を共にすることを好まないため、普段は一人でいる。沙織お嬢さんの屋敷にいることも少ないから、こうしてわざわざ俺を探しにくる桔梗にはいつも結構な手間だろうと思う。それでも探しやすいようにしてやろうとは思わないし、桔梗も別にそれを望んでいないことを知っている。思えば俺と桔梗の関係は不思議なものだ。 「えー……あー、いや、特に用という用ではないんだが……」 「しかしわざわざ探して来たんだから、何もないということはないだろう」 「うん、まあ……」 やけに歯切れの悪い桔梗にいらっとする。ハッキリしないのは嫌いだ。それこそ探してまで会いに来ているのだから、大なり小なりの用事はあるだろう。探すなと言っているわけでもないのだから素直に言えばいい。 「用がないのなら、俺は行く」 「待て待て!」 「……なんだ」 背を向けてその場を去ろうとすると、慌てて桔梗が腕をつかむ。半ば呆れながら振り返ると、上目遣いにこちらをうかがう桔梗がいた。時おり視線を地面に落としてはまた俺の顔を見上げ、何か言いかけて口をつぐんではまた下を向く。そんなことをされたら誰だって苛立つだろう。 そうでなくとも俺という人間なのだ。桔梗もそれを理解しているはずなのに、なぜこんな態度をとるのか。長い付き合いの桔梗にわからないはずがないというのに、と不可解な気持ちで桔梗の名前を呼ぶ。 「どうした、桔梗」 その気はなくとも語調が強くなってしまったのか、桔梗が下を向いたまま肩を揺らした。これは自覚があるな、と確信して畳みかける。 「そう黙っていてはわかるまい。この一輝に何か用があるのだろう。ちゃんと聞くから、早く言え」 「……うん」 小さく頷いたのを確認して、そっと手を外す。久しぶりに触れた手のひら越しに桔梗のわずかな動揺が伝わってきたが、あえて気付かぬふりをした。 「えーっと……ちょっと待ってくれ、心の準備をするから」 「……長くなるか?」 「いや! 短くする!」 できるのか、とは聞かないでおこう。下手な言葉は口にするものじゃないと、この桔梗を相手にしていて学んだ。 幼少期に俺たちと共に育ったせいか、桔梗はこの歳になってもどこか男勝りな口調で喋る。そのほうが本人の気が楽だというから好きにさせているが、アテナは何とかして女らしくしたいと思っているようだ。こうした慌てぶりだとか小さな手のひらだとかは十分女らしいと思うのだが、わざわざ言うほどのことでもないだろう。 「えっとな」 ようやく心の準備とやらができたのか、真っ直ぐに俺の顔を見ながら桔梗が口を開いた。 「……ッああ駄目だ恥ずかしい!」 「おい」 「待って、ほんと待って。なんだこの湧きあがる羞恥心」 言いかけた途端、背を向けて心底恥ずかしそうに赤らむ顔を抑える桔梗は何事かを呟いている。それでも再び俺が声をかけようとするより先に振り返って、赤い顔のまま言葉を探す。きょろきょろと定まらない視線を、頬に手を添えることでこちらに向けさせる。ようやく観念したのか、桔梗はすうと短く息を吸い込んだ。 「あ、」 「あ?」 「……ッ愛してる!」 「……今、何と言った」 言い終えるや否や逃げ出そうとした桔梗の腕を強く掴む。思わず言葉が口から出たが、すぐに考え直して言い加えた。 「待て。やはり何も言うな」 「あの、ちょ、一輝、離して――」 「離せんな」 桔梗のわずかな抵抗がなくなり、ため息を吐く。思わず驚いた反応をとってしまったが、こんなたちの悪い悪戯を思いつくのは星矢か氷河だろう。何かの罰ゲームに違いないが、それを言うのが桔梗なのだからますますたちが悪い。一瞬でも喜んでしまった自分がいることが恥ずかしかった。 「で、誰が言い出したんだ? 星矢か、氷河か?」 「いや、どっちも違――」 「桔梗」 少しきつめに名前を呼べば、桔梗は口をつぐんだ。他の奴らと違ってここで怒ることもなければ無視して立ち去ることもない。このことにどんな意味があるのか桔梗は気付いているのだろうか。 「俺は別に怒ってるわけじゃない。なぜ急にこんなことを言い出したのか、その理由を聞いてるんだ」 「なぜって……それは一輝のことが、」 「待て!」 止めたり言わせたりと忙しいが、この先に関しては正直聞きたくなかった。それがどんな言葉であれ、確実に感情が揺れてしまうだろうとわかったからだ。 「……一輝。言えといったり言うなといったり、どっちなんだ」 「それはそうなんだが……」 まだ赤らんでいる顔で言う桔梗の言葉に頷きながらも、どう言ったものか悩みこむ。桔梗は星矢たちの悪戯ではないと言いかけた。かといって桔梗がこんな悪戯をするはずもない。それは先ほどの態度からも一目瞭然だ。そうなれば残された考えは一つ。 「お前……本気か」 「失礼なやつだな……何ならもう一回言おうか。もう羞恥心なんてないぞ」 「やめろ。言うな」 つかんでいた桔梗の腕を離して、頭を抱える。 俺があえて言わなかったことを、わざと桔梗に言わせなかったことを、こいつはどうしてこう唐突に言い出したのか。やはり何かの悪戯としか思えないが、桔梗の態度から察するに冗談などではないのだろう。 ……嬉しくないわけじゃないが、面倒だという気持ちもある。 「別に一輝にも言ってほしいわけじゃない。ただ、なんていうか……私が言っておきたかっただけだ」 「あれほど言うなと言っておいたものを……」 「私が言うだけなら問題はなかろう」 「ある」 「ないだろ」 「あるから言うなといった」 「どんな問題がある」 「それは……」 言葉に詰まる。いくら態度で示しているからとはいえ、結局言葉の足りない俺が相手では桔梗も不安なのだろう。確かにちゃんとした形で付き合っているわけでもないし、好きだと言った覚えもない。それでも互いを好いていることは知っていたから、その感情を信頼しつつ一線を超えないようにと自分も桔梗も律してきたつもりだった。 しかし桔梗の言葉を聞くに、やはりそれでは嫌だったのだろう。桔梗自身が伝えられればよかったらしく、別に俺が言うことを求めてはいないらしい。俺の性格をわかっていればこそだが、それなら猶のことあのようなことは言うべきではなかった。今まで通り、言葉足らずであるほうがよかった。 「一輝がこういうことを好きじゃないのは知ってる。だけど……いや、いい。もう言わないから。帰る」 「待て」 「……何」 何か言おうとして上手く言葉を探せなかった桔梗は、俯いて背を向けた。その腕をつかんで止めると、桔梗は振り向きもせず答えた。 こういう時に、自分の口下手を実感する。うまい言葉をかけてやれれば、桔梗が不安に思うこともないだろうに。ただそれだけがもどかしくて、言葉が見つからないまま手を離せない。なんと情けないことか。 「……一輝、」 「愛してる」 「…………え?」 思わず振り返った桔梗の目を真っ直ぐに見つめて続ける。 「しばらくは言わんからよく聞いておけ。……愛してる、桔梗」 桔梗がぽかんとした顔をする。つかんでいた腕を離し、桔梗の頭を乱暴に撫でる。 「え、ちょ、一輝、」 「何だ。これでしばらくは文句もなかろう」 「文句はないけど……!」 ふと桔梗を見れば、耳まで赤くなっている。照れているのだろう。そう思えば自身の照れくささや恥ずかしさが薄らいだ。口下手なりに言葉を贈ってみるものだ。言い慣れることはないだろうが、それでもたまには言ってやろうと思った。 |