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夢のような人



時折、予知夢を見る。
念能力がとりわけ強い私は、その力がアトラのような大規模テレポートではなく予知の方向に開花した。かといって好きな時に好きな未来を予知できるわけではなく、自分の意思とは関係なく近く遠くを問わない未来の光景を夢に見る。
夢の内容は、すべて聖域に関することだ。私自身は聖闘士ではないけれど、古くから聖域と関わりの深いジャミールの地に生を受けたためかもしれない。そしてそれゆえ、私は聖域お抱えになった。毎日夢を見るわけではないから肩身の狭い思いをすることも多いけれど、アテナや教皇はこんな私にもお優しくしてくださるので、なんとかやっていけている。
――そして今朝、一週間ぶりに夢を見た。
予知夢を見たときは目覚めたときに、なぜかわからないけれど「あれは予知夢だった」と確信することができる。
しかし今朝の夢はどうしても未来と信じたくない内容だった。いや、常に信じがたい内容ではあるのだけれど、今日は特にそうだったというべきだろう。
「…………」
胸の内がざわついて、落ち着いて小宇宙を高めることができない。夢はあくまで夢。見た夢の内容を自分で整理して、それを教皇とアテナにご報告するのが私の仕事だ。夢の内容に衝撃を受けている場合ではない。息を吸って、吐いて。……よし、大丈夫。すぐに報告を済ませて彼の元へ向かおう。
気持ちを切り替えるとすぐにベッドを下りて机に向かった。時折不安定に揺れそうな小宇宙を支えながら、なんとかペンを進める。
「……よしっと」
勢いのまま書き上げると、一度確認して素早く身支度を整える。すぐに出ていきたいところだけれど、教皇とアテナに拝見するのに寝起きのままではさすがにまずい。服を着替えるのさえ面倒で、乱暴に脱いだ服を散らかしたまま部屋を飛び出した。
さすがに教皇の間に入る前には足を止めて息を整える。大きくノックして、それから扉を開いて入る。
「失礼します。アイリス、アテナと教皇に奏上したきことがございまして参上仕りました」
「アイリス。また、夢を見たのですか?」
「はい」
問いかけに頷くと、アテナは表情を固くした。それもそうだろう。ここ最近の予知夢はどれもこれも、喜ばしい内容ではない。そして今回もそうだったのだ。私の表情からアテナも教皇もお察しになったのだろう。それ以上は何も言わず、報告書を教皇に差し出す。軽く目を通した教皇が息を飲んだ。
「これは……!」
「アイリス」
「……はい」
アテナに促されて、私は気が進まないまま口を開く。
「此度の夢は、戦局を大きく転換いたします出来事に関してでした」
「それは?」
「冥王ハーデスの側近である双子神が一柱、死の神タナトスの封印です」
「……!!」
息を飲んだアテナが問う前に言葉を畳みかける。
「しかし我らアテナ軍も大きな損害を受けました。……教皇セージさまと、蟹座の黄金聖闘士マニゴルドさまです」
「まさか……」
「…………アイリス、それだけか?」
「……はい」
「では、下がってよろしい」
「はい。失礼します」
沈黙を守っていた教皇が報告書を強く握りしめるのが見えた。できることならばこの方にはお伝えしたくなかった。けれど見た夢をご報告するのが私の仕事であるし、もし夢を見たのに内容を配慮して奏上しなかったとなれば教皇はお怒りになるだろう。たとえそれがご自身の死を予知したものであったとしても。
教皇の間を出るとしばらく扉に背を預けたまま立っていたけれど、すぐに駆け出した。
夢の内容をアテナと教皇以外に告げることは禁じられている。それで混乱が生じてはいけないからだ。もちろん誰にも告げはしない。我が故郷ジャミールの血にかけても。けれどいてもたってもいられないのだ。あの人が――マニゴルドさまが、敵陣の神と刺し違えるだなんて。
「っマニゴルドさま!」
「ん? おおー、アイリスか」
私が夢の内容をほかの人に告げられないように、聖闘士の任務を私に教えてもらうこともできない。だからマニゴルドさまがまだ聖域にいるかどうかは一か八かだったけれど、小宇宙を燃やして走った甲斐があった。まだ、巨蟹宮にいらっしゃる。
ニヒルな笑みを浮かべ、意地の悪い物言いをされることの多いマニゴルドさまだけれど、その根が本当はとてもお優しいことを私は知っている。
聖域へ来てすぐのころ、ほとんど毎日、冥王軍に侵略されて街が破壊される夢を見た。毎夜うなされて仕方がなくて夜に部屋を抜け出し散歩をしていた時期がある。とはいっても黄金聖闘士の許可なしに十二宮を通ることはできないから、狭い範囲をうろちょろするだけだったのだけれど、そんなふうにして眠ることを恐れる私を見つけてくださったのがマニゴルドさまだった。
――吃驚した。こんな時間に起きてるなんて、お前、悪ガキかァ?
ニヤッと笑いながらマニゴルドさまが言った。私は何度かマニゴルドさまが教皇と一緒の所をお見掛けしていたので知っていたが、マニゴルドさまはやはり私のことなど知らなかった。ジャミールからやって来た夢見という存在は知っていたが、それが私だとは知らなかったというのである。彼に聞かれるまま答えていたら、私はいつの間にか持ちうるほとんどすべての個人情報をマニゴルドさまに教えていた。それに気付いて抗議したとき、マニゴルドさまは初めて見る顔で笑いながら言った。
――悪い悪い。俺のことも教えてやるから、昼間に来いよ。普段は一応、巨蟹宮にいるからよ。
昼間だぞ、夜はちゃんと寝ろよ、と言って私の頭を撫でると、マニゴルドさまはそのまま部屋まで送ってくれた。やっぱり最後に「寝るんだぞ」と釘を刺して。
それ以来――私はわざわざ巨蟹宮までおりて、マニゴルドさまとお話するようになった。
あの夜確かに、私は恋に落ちたのだ。
「どうした、そんな慌てて」
「え、あ、えっと……」
「おいおい、髪はねてんじゃねえか」
マニゴルドさまはそう言って苦笑いしながら私の頭に手を伸ばした。これから戦地に赴くとは思えない笑顔に、思わず伸びてくる手を掴んだ。
両手でしっかりと握りしめたマニゴルドさまの手は大きく、あたたかかった。身に着けた金色に輝く聖衣は少しひんやりとしていて、けれど冷たい感じはしなかった。どこかで聖衣も生きているのだという話を聞いたことがあるけれど、まさにその通りだと思う。
「どうした、アイリス」
少し困ったように、けれど握りしめた手を振り払うことはせずにマニゴルドさまが優しく問いかける。やんわりと解こうとする手をさせまいとしっかりと握りこむ。
「……ないで」
「あ?」
「行かないで……」
けれどやはり、夢の内容を告げることはできない。貴方はこのままだと死んでしまうから行かないで、などと個人の感情で言えるはずない。予知した未来を変えようとするとどうなるのかわからない。けれどここでマニゴルドさまを引き留めたら、彼が死なない代わりに死の神を封印できなくなるのだろう。それとも、一時は留まってもやはり彼は死んでしまうのだろうか。
わからない。何もかもわからない。なぜマニゴルドさまが。なぜ教皇が。どうして。
「……嫌です。行かないでください……ッ」
声が震える。手が震える。これでは夢の内容を言外に告げているようなものだ。
……それでも、私は。
「……参ったな。美人にそんな顔されたらさすがの俺も困っちまうぜ」
「マニゴルド、さま……」
「帰ってくっから」
「……え、」
その言葉に、思わず顔を上げた。マニゴルドさまは優しい微笑みを浮かべている。
「アイリス、お前の見た夢がなんであろうと、俺は冥闘士たちをぶっ飛ばしてちゃちゃっと帰ってくっからよ」
――だから、そんな顔すんな。
そう言ったマニゴルドさまの顔は少しだけ悲しそうだった。私がそんな顔をさせているのだと思うと、マニゴルドさまの優しさに涙が零れそうになった。けれどここで泣けばマニゴルドさまが困るだけ。必死に涙をこらえ、何か言おうと口を開く。言葉は出てこない。
「っしゃ! ちょっとこれからガキの子守してくらァ。出がけに会えて良かったぜ、アイリス」
「あ……」
するりと手がほどける。離したくない。離れたくないと思うのに、力が入らない。
ぽんぽんと、二度私の頭を撫でる。マニゴルドさまはいつものニヒルな笑みを浮かべて背を向け歩き出した。「じゃあな」と別れを告げる言葉が遠い。
そんな簡単に。これが、最後なのに。
「っマニゴルドさま!」
溢れだしそうな感情を抑えて、精一杯の笑顔を作る。
「いってらっしゃいませ」
マニゴルドさまはきょとんと目を丸くした後、どこか嬉しそうに笑った。
「おう!」



……時折、予知夢を見る。
恐ろしいばかりの夢から私を救ってくれた人は、その恐ろしい夢に、飲まれた。