ふれあう吐息 「いつも思うんだけど、ウェザーって話す時やけに近いわよね」 「あれ? アイリス、知らないんだ」 「私が何を知らないっていうのよ、エンポリオ」 刑務所でありながら刑務所ではない場所。そこで生まれ落ちた、外の世界を知らないエンポリオ少年。彼のスタンド、バーニング・ダウン・ザ・ハウスの音楽室へいつものように訪れたアイリスは、たいていはエンポリオ少年とともにここにいるウェザー・リポートがいないため、かねてより気になっていた点について訊ねた。それに対するエンポリオの反応に、アイリスは眉を少し上げた。 「ウェザーの癖なんだよ」 「癖?」 「彼はね、爪先立ちで背伸びしながら歩くのと、人と話す時にはあまり口を開かず鼻息が感じられるくらい近くで話すのが癖なんだ」 「へ、へえ……」 そうなんだ、というのが精いっぱいだった。人のことをとやかくいうのはどうかと思ったが、アイリスは言わずにいられなかった。 「変わった癖ね……」 「うん。でも、慣れれば驚かないよ」 「慣れれば、ね」 ため息を吐くアイリスを見て、エンポリオは首を傾げた。 同性であるエンポリオやアナスイはすでに慣れているようだが、ウェザーを男として意識してしまうアイリスは毎度顔が近付くたびにドキドキせざるを得ないのだ。とはいっても当のウェザー本人が気にしていないようだし、彼とは親子ほども年が離れているのだ。意識していると知られることすら恥ずかしくて、アイリスは知り合ってから今まで言い出せずにいた。 「あ。でもウェザーって――」 「あら、ウェザー」 アイリスに話しかけようとしたエンポリオは、そのアイリスにつられて顔を上げた。噂をすればなんとやらというやつか、ウェザーが姿を現した。 「ん。アイリスか」 この部屋にいるのが当然のエンポリオには軽く手を上げて挨拶し、彼の隣に座っているアイリスに気付くと名前を呼んで視線をやった。彼女は微笑んで手を振る。 エンポリオは、アイリスとウェザーの関係を不思議に思う。もちろん恋人ではないのだが、友人というにはどことなく距離が近いように思える。それはウェザーの癖による物理的な距離ではなく、会話のやりとりだとかに現れる心理的な距離の話だ。けれどエンポリオには、それを言葉で表現することができない。いつものように静かに雑誌を読み始めたウェザーをじっと見つめるアイリスの横顔を眺めながら、エンポリオは今日も言い出せない言葉を飲みこんだ。 「それじゃあ私は帰ろうかしら」 「えっ、アイリス帰るの?」 「ウェザーが来たんだから、あんたも寂しくないでしょ」 「べ、別に寂しくなんかないよ!」 「あらそう。それじゃますます帰っても構わないわね」 「アイリス〜」 アイリスにからかわれたエンポリオが情けない声を上げると、アイリスが声を出して笑う。その声を聞いて、ウェザーが雑誌から声を上げた。 「それに、彼は静かにしたいだろうから」 アイリスが申し訳なさそうな表情を浮かべたが、ウェザーは頭の上に疑問符を飛ばしただけだった。 アイリスが部屋を出ていこうとすると、ウェザーが手にしていた雑誌を置いて彼女に近寄る。足音もなく足早に近付き、軽く二度、肩を叩く。 「ん? ってうわあ!? ……ああ、なんだ、ウェザー……ビックリさせないで」 「すまない。驚かせるつもりは、なかった」 「ええ、ええ、そうでしょうね」 肩を落としたアイリスと、首を傾げるウェザー。さすがのエンポリオにも、可哀想なのはアイリスの方だと理解できた。 そうしている二人の距離はもちろんほぼゼロだ。どちらかがあと一歩距離をつめれば、キスしてしまいそうなほどに近い。 「…………えーと、ウェザー?」 「なんだ」 「その……何か、あるの?」 「何か?」 「だから、えと、用事とか」 「いや、特にないが」 「そう……」 「…………」 「……ウェザー」 「なんだ」 「……はあ」 アイリスが大きく息を吐いた。 彼女を呼び止めたウェザーは、じっと目を見つめるばかりで何も言い出さなかった。そんなウェザーの様子にしびれを切らしたアイリスが問いかけるが、本人は何を問われているのかわからないようで会話がかみ合わない。再度彼の名前を呼んだアイリスは、きょとんとしたウェザーの様子を見て諦めるのだった。 こういうところがあるから、異性として意識しきれないのだろうなとアイリスは思う。けれど同時に、意識しきれないからこそ胸が苦しいのだろうとも。 「アイリス」 「へっ、何?」 そのとき、突然ウェザーに名前を呼ばれてアイリスは裏返った声で返事をした。 「少し顔色が悪いようだが、平気か?」 え、と声に出したのはアイリスとエンポリオ、ほとんど同時だった。 「確かに、言われてみればいつもより調子悪そうだね」 「そ、そう……?」 注意深くアイリスを見つめながらエンポリオが続けると、アイリスは戸惑ったように首を傾げた。 「私は特に、具合が悪いということはないけど」 「ならいい」 アイリスの言葉を疑いもせず、ウェザーはアイリスから静かに離れる。くるりと背を向けて、彼はまた雑誌を開いた。まだアイリスのことを見つめていたエンポリオが、ふと首を傾げる。 「あれ? アイリス、今度は顔が赤く――」 「帰るね! それじゃ!」 エンポリオが言い終える前に、アイリスは強引に言葉を被せて部屋を出て行った。エンポリオがぽかんとしていると、さすがのウェザーもアイリスの慌てぶりを怪訝に思ったのか、彼女が出て行ったほうを眺めていた。やがてウェザーはエンポリオを見た。同じタイミングでエンポリオもウェザーを見た。 「……ウェザーってさ、なんでアイリスと話す時は爪先立ちじゃないの?」 「……?」 純粋に不思議そうな顔をしたウェザーを見て、エンポリオは彼が無意識であったことを知る。 「自覚、なかったんだ……」 エンポリオは彼が今まで抱いていた疑問が氷解するように感じた。アイリスとウェザーは心理的な距離が近いのだと思っていたが、実際に物理的距離も近かったのだ。ウェザーはアイリスよりもずっと背の低いエンポリオに話しかける時でさえも爪先立ちをしている。アイリスに対してだけ爪先立ちでない理由はウェザーにもわからないことのようだったが、ならばなおさらエンポリオにわかるはずもない。表面的な解決で、エンポリオは自分を納得させた。 「でも……なんでアイリスは顔が赤くなったんだろう」 「熱でもあったのか?」 「……さあ?」 結局、アイリスの心情を察せない男二人は首を傾げるばかりだった。 |