short | ナノ






浮気騒動



私は女だが、これでもイタリアのパッショーネというギャングに所属している。ネアポリス地区を担当するブチャラティチームでそれなりに腕を振るっているのだ。腕っぷしはやはり男には負けるが、スタンドもあるし関節技くらいなら決められるから大した問題ではない。最も、腕っぷしがチーム内最強のアバッキオと付き合っている私にとってこれは意外と大きな問題になったりする。
「ねえミスタ……どうやったらアバッキオを落とせると思う?」
「それは性的な意味でか、それとも物理的な意味でか」
「何言ってんの。物理に決まってんでしょ」
「だと思ったぜ」
ブチャラティとアバッキオが任務で留守にしているアジトで、フーゴはいつものようにナランチャに勉強を教えている。書類仕事もなく暇な私は、同じく暇そうなミスタに絡むしかすることがなかった。嫌そうな顔で対応するミスタにはいつものことだと諦めてもらう。
「アバッキオとアイリスの体格差じゃまず無理だろ。つーか、またなんかあったのか?」
「……別に」
「あったんだな」
ミスタの確認を無視するけれど、それは肯定しているのと同じだった。呆れたようにため息を吐くミスタを軽く睨み付ける。彼は肩をすくめるだけ。
彼がそんな態度をとるのも無理はない。私とアバッキオは付き合っているけれど、しょっちゅう喧嘩するのだから。二人でいるときにもするし、アジトでみんながいるときにもする。よく付き合ってるなと我ながら思うほど私たちは喧嘩をする。
「お前らよくそこまで喧嘩できるよなー。逆に尊敬するぜ」
「いや、なんというかアバッキオを見てるとついイラッとしちゃうのよね」
「お前ら付き合ってんだよな?」
「らしいわ」
「……やっぱ意味わかんねえ」
お手上げのポーズを取ると、ミスタはそれきり話題を切ってしまった。アバッキオの次くらいに腕っぷしが強いミスタでも匙を投げるなら、私が正攻法でアバッキオを落とすのは無理なのだろう。というかそんなことはミスタに聞かなくても嫌というほどわかっている。いったい何度アバッキオに組み伏せられたことか。
「はあ……一度でいいからアバッキオにすごい痛い目見せたい……」
「愛が歪みすぎて怖ぇよ」
ぽつりと呟くとさすがのミスタも返事をくれた。勉強に飽きたナランチャとそれを咎めるフーゴも先ほどからちらちらとこちらを気にかけているようだし、ブチャラティたちが戻ってくるのもまだのようだし、たまには相談に乗ってもらおうとみんなを呼び寄せた。
「ちょっと、全員集合ー!」
「なになにー!?」
「ちょっとアイリス、邪魔しないで……ああ、もう」
呼んだ途端、嬉しそうにナランチャが駆け寄ってくる。フーゴがそれを止めようとしていたけれど、とっくに集中力の切れていたナランチャはすぐに飛びついた。呆れ気味にフーゴも輪に加わってくれる。なんだかんだノリがいい仲間たちのことは結構好きだ。
「で、今度は何があったんです?」
「アバッキオが浮気してる」
「は!?」
「え!?」
「嘘だろ!?」
「……かもしれない」
続く言葉になんだと言わんばかりに三人は肩を落とした。おい、落とすなよ。疑惑でも浮気は浮気なんだぞ。
「アバッキオが浮気かー。想像できないこともないな」
「うわあ、我が恋人ながらひどい言われようね」
おそらくナランチャに悪気はないのだろうけれど、彼の言っていることに反論できる人間は、私も含めて一人もいなかった。ミスタとフーゴも彼の言葉に頷いている。
「現場押さえたのかよ?」
「うーん……図らずも見てしまったというのが正しいかしら」
「デートでもしてたんですか?」
「それならいいわよ。アバッキオなんかとデートする物好きには驚くけど」
「え」
驚きながらミスタがこちらを見たので無言で足を蹴った。私がその物好きだっていうのは今は置いておくべき話だ。
しかし本当に、アバッキオが私以外の女とデートをするのは構わないのだ。彼自身がそういうことをめんどくさがるし、いかつい身なりをしているからあまり想像はできないが、なにせ顔はいいのだ。かなり。だから何かの拍子にデートくらいはするかもしれない。
「問題はそんなことじゃないのよ! アイツ……他の女とキスしてやがったのよ!」
バーンと効果音を背負うくらいの勢いで言うと、三人はぽかんとした表情になった。
「え……それで?」
「それでって、立派な浮気現場だわ。手をつなぐハグをするまではいいけど、さすがにキスは駄目よ。それに、手とか頬じゃなくて口よ、口」
「あー……」
フーゴはそんなことかと言わんばかりにすでに興味を失くしているようだけれど、ミスタは唸るような声を上げていた。いじられることの多い彼だけれど、なんだかんだ私もアバッキオも他のメンバーも彼を相談役とすることは多い。信頼できる真面目な男なのだ。時々アバッキオじゃなくてブチャラティかミスタにしとけばよかったかなと思うことがある。しかしアバッキオが一番タイプだったのだから仕方がない。
「ちなみにアバッキオは?」
「気付いて追ってこようとしたから、全力で逃げてやったわ。アイツが足の速さで私に勝とうなんて十年早いのよ!」
「おいアイリス、お前はそこで逃げんなよ」
「ミスタの言う通りです。アイリスなら相手の女をしめるくらいはしそうですけどね」
「私だってさすがに一般人相手じゃそんなことしないわよ。あんたたち私を何だと思ってんの」
黙り込んだ三人をもれなく一発ずつ蹴り飛ばしてやった。失礼しちゃうわ。というかアバッキオの浮気相手なんかと顔を合わせるくらいならアバッキオを相手にしてた方がまだマシというものだ。遠目に見ただけだけれど、相手の女は化粧の濃い年上だったように思う。アイツああいうのが好みだったのかと思うと腹の底から怒りがわきあがってくる。
心境が表情にあらわれていたのか、ナランチャが怯えている。ミスタとフーゴもさすがに少し引いているし、ひとまず笑顔を取り繕った。たぶん、目は笑っていないと思うけれど。
「というわけで、アイツから謝罪の言葉を聞くまでは戦争よ。ひとまずしめてから謝罪させたいんだけど何かいいアイデアはないかしら」
「ねーよ」
「ないと思いますよ」
「ないなー」
三人とも口をそろえて言うので、いかにアバッキオの腕っぷしが強いかわかるというものだ。
「どうせそう言うと思ったわ。はい、解散解散!」
私も何か案が出るとは思っていなかったただの愚痴だったので、散った散ったと手で追い払う。
ブチャラティにはチーム内にいざこざを持ち込むなと注意されているけれど無理な話だ。相手がアバッキオで、さらにいうと私なのだから。
「戻ったぞ」
「ブチャラティ!」
「お帰りなさい、ブチャラティ」
その時、絶妙なタイミングでブチャラティが帰ってきた。ナランチャとフーゴの出迎えにブチャラティが微笑みを返す。やっぱりブチャラティの方がよかったかしら。顔もいいし紳士だし。
そんなことを考えていると、後ろからぬっと銀髪頭の男が入ってきた。渦中のアバッキオだ。さすがにアジトでは私も逃げようがないから顔を合わせるけれど、向こうが話しかけてこようとするたびにガンを飛ばして牽制している。ブチャラティにため息を吐かせていることだけが私の罪悪感だ。他のメンバーを巻き込んでいることに関しては一切悪いと思っていない。
アバッキオの浮気疑惑から一週間経った。その間一度も彼の家に行っていないし、うちにも来ていない。普段は週に何回かお互いの家を行き来しているから、今回の喧嘩はなかなか本格的なものだ。
「――アバッキオ」
「ん?」
ブチャラティが名前を呼ぶと、私を睨んでいたアバッキオはすぐに彼の方に顔を向けた。アンタ絶対私よりブチャラティのこと好きだろ。
「アイリス」
「何?」
次に私の名前が呼ばれて顔を上げた。まさかこれから任務だろうか。よりにもよってこの男と。公私混同するつもりはないけれど、できれば避けたい事態だ。
「いい加減にしろ。もうガキじゃないんだぞ」
いつまでも喧嘩なんてしてるんじゃあない、ときっぱり言い切った彼に、私はもちろんアバッキオも目を丸くした。
「仕事ができないなら邪魔だから帰ってくれ」
「……は?」
アバッキオの顔が引きつる。ざまあみろと思ったけれど、残念ながら私も同じ顔をしているのだろう。
心当たりはありまくりだが、何もまったく仕事に手がつかなかったわけじゃない。むしろアバッキオと一緒でさえなければいつも以上に働いていた気がする。
「ちょっと待ってくれ、ブチャラティ。アイリスと喧嘩してんのは確かに俺たちの問題だが、俺はそれを仕事に持ち込んだつもりはねえぞ」
「私にもないんだけど」
言い訳がましくなるのは仕方がないにしても、反論くらいはさせてもらう。けれど続く言葉はブチャラティの鋭い視線で飲みこまざるを得なかった。
「ならどうしてかわかるまで、アジトに来るな。二人ともだ」
そして次の瞬間には、二人ともブチャラティのスタンドでアジトの外に放り出されていたのだった。きちんと荷物も出してくれる辺りがブチャラティらしいけれど、今はその優しさはいらなかった。
「……どうすんの」
「ブチャラティがああ言ってんだから、アジトには戻れねえだろ。とりあえずうち行くぞ……嫌そうな顔すんな」
「言っとくけど、アンタも同じ顔してるわよ」
鼻を鳴らして背を向けたアバッキオはいつもより歩調が速い。ただでさえその長いコンパスでさっさと行ってしまうのに、今日はいつにも増して速い。地味な嫌がらせをしてくるあたり器の小さい男だと思う。手なんかもちろんつながないし、振り返ってもくれない。それでいて私が彼の背中を見失うことはない距離を保っている。そういうところだけ優しいんだから困るのだ。
アバッキオはチームの中で一番背が高い。元警官ということもあって、一番体を鍛えているのも彼だ。その背中はいつ見ても広い。胸板も厚いし、腰だってそんなに細くはない。男にしては珍しく髪を伸ばして口紅なんて引いているけれど、それを取り払ってしまえばそこらの男よりはるかにかっこいい。別に普段のアバッキオに思うところがあるわけではないけれど、おそらく恋人の私にしか見せないであろう彼の素顔は否定する所がないくらいにはどんぴしゃの好みだ。口は悪いし新入りに自分の尿入り紅茶――こっそりアバ茶と呼ばれているそれを、私は口をつけずアバッキオにぶっかけた――を出すような変態だし性格もよくない。セックスの時はこちらのことを全然気にかけてくれないし、何度やめろといってもキスマークの代わりに噛み跡をつける。別れようと思ったことはないけれど、よく付き合っているなあとは何度も思った。
「……結局、惚れた弱みか」
それでも一緒にいるんだから、私はアバッキオのことが相当好きなのだろう。誰にも言えないけれど、だからこそ浮気疑惑に嫉妬なんてものもしてみるわけで。
「気付けよ、ばーか」
小さな声で悪態吐くと、アパートの前で立ち止まりこちらを振り返っているアバッキオと目があった。かたく引き結ばれた唇を少し開けかけて、アバッキオはまたしっかりと口を閉じてしまった。駆け足でよると、いくらも距離が縮まないうちにまた背中を向けてしまう。階段をのぼる靴音だけが響く。先に鍵を開けて部屋に入った彼の背中がドアに吸い込まれて消えないうちに追いつき、ドアの中に体を滑り込せた。
先にソファに腰を下ろしているアバッキオの視線を感じながら紅茶を用意する。もちろん、私の分だけだ。カップがひとつしかないのに気付くとアバッキオは小さく舌打ちをした。
「おい、アイリス」
「嫌よ。飲みたきゃ自分でいれれば? 特製のやつ」
にべもなくはねつけて、アバッキオから距離を取るためベッドに腰かけた。彼は結局立ち上がらなかった。
「で、お前は何をどう誤解してんだ」
「誤解なんかしてないわよ。アンタが年上っぽい女とキスしてたのは事実でしょ」
「キスしただけで浮気になんのかよ」
「……だけ?」
お互いの気がピリピリと立っていくのがわかる。そうか、この男にとってはキスするまでは浮気の範疇に入らないのか。
「じゃあアンタはあたしがブチャラティとキスしても何にも言わないのね?」
「それとこれとは話が――」
「別じゃない」
「……つーかあれは俺の意思じゃねえ。向こうが勝手にしてきたんだ」
「自分が不利になったら責任転嫁? ハッ、呆れちゃうわ」
「馬鹿ッ、あれは本当に俺からじゃねえ」
ソファから立ち上がったアバッキオを黙って睨む。自分からじゃなければキスをしてもいいと。
「なら言い訳を聞きましょうか。なんで綺麗なお姉ちゃんにキスされることになったのか、そのいきさつを」
あえて棘のある言い方をすると、アバッキオは険しく眉を寄せた。けれど私が話を聞くと言ったからか、ようやくちゃんと話す気になったようだ。
「街を歩いてる時、あの女がチンピラに絡まれてたから蹴散らして家まで送ってやっただけだ。つーか送らされたんだよ。その上さっさと帰ろうとしたら無理矢理キスして、そのタイミングでお前がたまたま通りがかったってわけだ」
「……アンタが見ず知らずの女をチンピラから助けた、ねえ」
「……悪いか」
「別に。柄じゃないと思っただけ」
「たまにはブチャラティの真似でもしてみるかと思っただけだよ」
不貞腐れながらソファに沈んで言ったアバッキオの顔は天井を仰いでいる。空になったカップの底を見つめながら黙り込む。
アバッキオはたぶん、嘘をついていない。彼は嘘をつくときより、本当のことを言うときの方が動揺があらわれやすい。今嘘をついているなら、真っ直ぐに私の顔を見るはずだ。それなのに私の顔を見れずにいるのだから、彼の意思でキスをしたわけではないことは本当だろう。
「つーかお前は、俺が浮気するような人間に見えんのか」
「見えるから今こうなってんでしょ」
「このアマ……」
「アンタ、年上の方が好きなの?」
「別にどっちでも……おいアイリス」
「何よ」
「お前、妬いてたのか?」
突然の質問に怪訝そうな顔で答えていたアバッキオが、急に得心のいったような顔をした。なにしてやったりみたいな顔してんだこの男は。
「でなきゃアンタがどこの女とキスしようが寝ようが怒んないっての。……ちょっと、その顔気持ち悪い」
「まさかお前がそんなに可愛げのある女だとは思ってなかったぜ」
「奇遇ね、私もよ」
一変してにやにやと、それはもう本当に気持ち悪い顔をしているアバッキオを視線で蔑む。気付いてくれなければ話は進まないのだけど、こいつに一番知られたくなかったのも事実だ。カップをシンクに下げて部屋に戻ってくるとアバッキオの隣に不自然なスペースができていたけれど、スルーしてまたベッドに座る。
「それならそうと言えよ」
「いやアンタが気付きなさいよ」
「お前、そういうところはほんと可愛くねえな」
「うるさい」
ようやくお互いの顔を見て話していたけれど、ぱったりと会話が途切れて無言で見つめあう。
「……なあ」
「何よ」
「結婚するか」
「……はあ? 何、急に。とうとう頭わいたの?」
「んなわけあるか」
呆れながら言うアバッキオの顔は、けれど真剣なものだった。まさかここで結婚の話題になるとは思わなかったので驚いたが、動揺を悟られまいとベッドに寝転んだ。
「別に結婚しても、また他の女とキスしてたら浮気だと思うわよ」
「思うなよ、それは」
「それにお互いいつ死ぬかわからないし、子供だって作らない方がいいに決まってる。それなら今まで通り、そばにいるだけでいいじゃない」
「嫌なのか?」
「嫌ではないわ。アンタ以外に結婚してもいいと思える相手、いないと思うし。けど、その必要を感じないもの」
ため息を吐いたアバッキオがソファから立ち上がる音が聞こえた。そして私の隣に座ると、手を伸ばして私の髪をいじる。
「アイリス」
「ん?」
「悪かった」
「…………うん。私もごめん」
「ん」
たった一言の謝罪を引き出すだけなのに、私たちはいつも時間をかけてしまう。それでもやっていけているのは仲間と、アバッキオのおかげだ。
「……ちょっと」
感傷に浸っているうちに私の服に伸びていたアバッキオの手をつねると、彼は不満そうな顔をした。こいつ、いつの間にかしれっと私の上にまたがっている。
「一週間ぶりなんだ。いいだろ」
「よかないわよ。何盛ってんのよ」
「お前なしで一週間だぞ、盛るに決まってんだろ」
「……ばか」
苦し紛れの悪態を聞くと、アバッキオはにやりと笑みを浮かべた。ああ、悔しい。こんな男を好きになってしまっただなんて。