short | ナノ






決まり事には意味がある



ああ、お父さんお母さん。
言いつけを破った私を許して下さい。
「へっへっへ、俺は怪人トウサツマン。女子高生の着替えを盗撮しすぎて怪人になった」
「何それキモイ」
あっやばい。
思わずぽろりと零れた本音を耳ざとく聞きつけた目の前の怪人が、だらしない顔を徐々に険しくしていく。ああ、私の馬鹿。
「俺は……俺は傷ついたぞ女子高生ェェェ!! 着替え見せろ!!」
あんたの存在で私のハートはブレイクだよ……とか考えている場合じゃない。
怪人の妙に細長い手が伸びてくる。後ずさると怪人の手は宙をきったが、爪先が制服のスカートに引っかかって少し破れた。どうしよう、お母さんに怒られる。
「…………逃げるなァ!!!」
「逃げるわよ!!」
怪人ってこんな理不尽なものなんだろうか。背中を向けて走り出すが、石ころにつまづいて転ぶ。怪我を確認する暇もなく立ち上がろうとしたとき、上から覆いかぶさってくる大きな影。
――あ、死んだな。
退屈だからと立ち入り禁止されていたZ市に忍び込んだ結果がこれだ。何もいないじゃん、危ないどころか人すらいないわとか思っていた矢先に遭遇した変態臭溢れる怪人。自業自得だ。私はここで死ぬんだ。お母さんは仕事から帰って来て私がいないことに気付いたらどうするだろう。単身赴任してるお父さんに、もう一回会いたかったなあ。
「女子高せ――」
「焼却する」
頭を抱えて縮こまっていると、怪人の声に第三者の声が重なった。ていうかなんか物騒な言葉が聞こえた気がするんだけど。
そう思いながらゆっくりと振り返ると、誰かが私と怪人の間に立っていた。逆光でよく見えないけれど、背の高い男の人のように見える。
え、誰とか思ってるうちに大きな音がして、ついでに男の人から風が吹いてきて髪や制服がはためく。
「なんなのよぉ……」
男の人が怪人に向けて火を放った。……あれ、手の平から出てない? なんのびっくり?
「うぎゃあああああ!!!」
黒こげになった怪人トウサツマンが悲鳴をあげながら倒れた。やがて何も言わなくなり、ぴくりとも動かなくなる。……動かない。まったく。
「え……死んだ、の……?」
生きものってこんな簡単に死んでしまうのか。いや、怪人が生きものに分類していいのかよくわからないけど、でもさっきまで口をきいて動いていたわけだし。だからってあの怪人が死なない方がよかったのかと言われれば、それはそれで私が死んでいただろうから答えようがない。頭の中がこんがらがってきた。もう何でもいい。
「怖かった……」
「大丈夫か?」
今更ながら襲ってきた恐怖に涙が零れる。泣きたいわけじゃないのに止まらないそれを延々とぬぐっていると、助けてくれた男の人がしゃがみこんで私の顔を覗きこんでいた。整った顔立ちの金髪の青年は、いうなればイケメンだった。だけども目は真っ黒で、瞳があるべきところに光が灯っている――サイボーグだった。
「怪我は……転んだのか。ここだけだな」
スカートからのぞいている擦り剥けた膝小僧を確認したサイボーグの両腕は、見るからに機械だった。冷たい印象を受けるその手から火を出して、私を助けてくれたのか。
「あ、そうだ。あの、助けてくれてありがとうございました」
そうだじゃねーよ私。命の恩人なんだからもっと誠意を込めて、と思うけれど、意外とさっきの恐怖が残っているのか、声は震えているし立ち上がろうにも足に力が入らない。
「ヒーローが一般人を助けるのは当然のことだ。それより、Z市は危険区域だ。なぜ高校生が、一人でこんなところにいる」
「うっ」
イケメンに助けられて役得と思っていたら厳しい質問が。私のお礼ににこりともしなかったし……サイボーグってみんなこんな感じなのかな。ていうかこの質問答えたくないな。絶対怒られる。知らない人だけどわかる、私の解答を聞いたら普通の人は怒る。
「……興味本位か。今回は俺が通りがかったから良かったものの、いつもそういうわけにはいかない。ここは危険だ。家はどこだ? 送ってやる」
答えない私を気にした様子もなく、先に立ち上がったイケメンサイボーグが手を伸ばしてくれる。その手を握ろうとして、けれど手を下ろした。
「どうした」
手を取れば、きっとこのサイボーグは私を家まで送り届けてくれる。イケメンに守られて送ってもらって、万々歳じゃないか、女子高生。友達にもお母さんにも自慢できる。だけど――その自慢する相手とはいつ会える? お母さんはいつも深夜にならないと帰ってこない。今は学校が終わったばかりの時間で、けれど遊ぶ相手がいたら私はこんなところに興味本位で来ていないわけで。
「……家に帰っても、誰もいない」
家じゅうの電気をつけても暗いあの家で、ぽつんと一人。いつものことなのに、なぜか今日は一人でいたくなかった。ああ、なんでっていうか、そりゃあの怪人のせいなんだろうけど。
「親は?」
「遅くまで帰ってこない」
「友達は」
「いたら今ここにいない」
さすがのサイボーグも困ったのか、黙り込む。でもこんなこと言ったって帰る以外の選択肢があるわけがない。よくてどこかの店で夜まで時間をつぶすくらいだし、いっそその方が帰り道危ない気がする。
「いいよ、ちゃんと家に帰ります」
そう言ってサイボーグの手を掴もうとすると急に引っ込められて宙を掴んだ。え、ひどくない。
「ちょっと待ってろ」
サイボーグはポケットからケータイを取り出すと、私に背を向けて誰かに電話をかけた。「先生」とか「すいません」とか聞こえる。サイボーグの先生? 何だそれは。
「おい」
「え、あ、はい」
電話が終わったのか、サイボーグがまた手を差し伸べる。優しいのか高圧的なのかわからんサイボーグだ。ただしイケメンに限るってやつを地で行くやつがいるとは思わなかった。
「先生が許可してくださった。親が帰るまでとは言えないが、夕飯くらいまでならうちに来い」
「……え?」
サイボーグの手を掴むと、強い力で、けれど優しく立たせてくれた。
「うわっ」
「っと。……立てないのか」
膝が笑っていて、自力では立てない。サイボーグに肩を支えられて嬉しいやら恥ずかしいやらでうつむく。
「ごめんなさい……ええと、それでさっきの話は、」
「一人の家に帰す方が危ないとの判断だ。どちらにせよ、自力で歩けないんじゃ帰すわけにもいかないな」
そう言うとサイボーグは私の肩を支えたまま膝の裏に手をやって、一気に持ち上げた。待て。これはいわゆるお姫様抱っこというやつでは。
思わずサイボーグの顔を見ると、まるで無表情。サイボーグには感情とか表情とかってないんだろうか。動揺しっぱなしの自分が馬鹿らしく思えてきた。
「あ、あの」
サイボーグは私を抱えたまま走り出した。ちょっと待って、速い。人間一人抱えてる速さじゃない。
「なんだ。舌を噛むぞ」
「あなたの名前、なんていうの?」
助けてもらったのに、名前も知らないんじゃ……いや、下心がないわけじゃないけど。イケメンだもの、サイボーグでもイケメンだもの、お近づきになりたいわ。
「……ジェノスだ。お前は?」
風を切る音の中、確かにサイボーグ――ジェノスの名前を聞き届ける。そしてジェノスが形式的かもしれないが、名前を問い返してくれたことが嬉しかった。
「桔梗です」
「そうか。先生の家まではすぐだ、しっかり捕まっていろ、桔梗」
「はい!」
返事をしてジェノスの横顔を見ると、ちょっと笑っているように見えた。ああ、サイボーグは機械の体だけれど、ロボットではないんだ。心は人間のものなんだと、何となくそう思った。