short | ナノ






恋に落ちた人



羊皮紙に万年筆を走らせるだけの、退屈な授業中。
なんだかつまらなくなってふと顔をあげると、斜め前の机に座っている一人の女学生に目が留まった。背筋をぴんと伸ばして万年筆を走らせている彼女から、なぜか目が離せない。特別仲がいいわけでもないし、めちゃくちゃ可愛いってわけでもない。彼女の右手が、はらりと落ちた髪を耳にかけたとき気が付いた。
――ああ、あの子は左利きなんだ。
後姿だけじゃそれが誰かわからない。隣に座って、おそらく自分と同様に暇を持て余しているであろう相棒に耳打ちする。
「見ろよ、フレッド。あの子左利きだぜ」
一心不乱に何か(おそらく新作の悪戯アイデア)を書きなぐっていたフレッドが、僕の言葉に顔を上げた。そしてしかめっ面(これは怒ってるわけではなく、意味が分からなかったときの顔)になった。
「それがどうした。珍しくないだろ」
「……そういえば、そうだな」
フレッドの言う通りだ。別に左利きなんて、珍しくもなんともない。そしてやっぱり、フレッドにも誰かわからないってことは僕らの学年で有名なわけでもない。
「マダム・ポンフリーに診てもらった方がいいんじゃないのか?」
真顔で心配してくる相棒に言い返そうとした時、前の方に座っていた先生に睨まれた。フレッドは肩をすくめて、極めて真面目に見えるように万年筆を動かし始める。お小言は御免だから、僕も適当に手を動かすことにした。
授業はまだ終わりそうにない。ちらりと先ほどの彼女を盗み見ると、やはり真面目に手を動かしている。
変わったところのない彼女に、なぜ僕は目を留めたのだろう。そしてなぜ、今僕は彼女の方を見ようと思ったのだろう。
手元に視線を動かしてみたけれど、何も頭に入ってこないし、書き出すこともできない。彼女が気になる理由もさっぱりだし、早く授業が終わればいいのにと思った。
「ジョージ」
机の下で、隣のフレッドが小突いてくる。一体何かと首を少し傾げると、先生の目を盗んで耳打ちしてきた。
「あの子、アイリスだぜ。レイブンクローの」
「レイブンクロー? なんで知ってるんだよ、フレッドが」
違う寮なら見覚えがないことには頷けるが、たいてい僕と一緒にいるフレッドだけが彼女を知っているというのは、なんだか気に食わない。
「僕じゃない。前にアンジェリーナと話している所を見たんだ」
「アンジェリーナと?」
ますますわからない。クィディッチをしているわけでもなさそうなアイリスが、アンジェリーナと。
僕たち双子は顔が広いと自負しているくらいには知り合いが多いけれども、当然数百人もいる同学年を全員知っているわけじゃない。ましてやいくらアンジェリーナが社交的だって、他寮の生徒と知り合う機会なんて滅多にあるもんじゃないはずだ。
考えれば考えるほど謎が深まっていく。ああ、彼女のことなんて気にしなければよかった。
「……ちょっと待てよ。なんでレイブンクローの子がここにいるんだ? これは合同じゃない――」
「ミスターウィーズリー! 私語は慎みなさい」
ついに先生からぴしゃりと小言をもらってしまった。教室中から視線が集まる。いつもなら気にしないのに、その中にアイリスの視線が混ざっていることに気付いて、妙に落ち着かなくなった。
顔を上げると、先生がこっちをずっと見ている。さすがに真面目にやらないわけにはいかないようだ。最後に一目アイリスを見ると、彼女はやっぱり左手で万年筆を持っていた。



「ジョージのせいで僕まで怒られるところだったじゃないか」
「僕のせいかよ」
結局怒られてないんだからいいじゃないか、とフレッドに対して思ったあと(たぶん言わなくても伝わってしまっている)、教室から出てきた人の波を眺める。こんなとき、パーシーやロンみたいに背が高ければいいのにと思う。
「で、アイリス嬢をお探しかい、相棒」
「まさか」
「じゃあなぜそんなにキョロキョロしてるんだい。屋敷しもべ妖精でもあるまいに」
「うるさいぞ」
睨み付けると、僕と同じ顔はにやついていた。どうせ言わなくてもわかるんだから、わざわざ訊ねなくたっていいのに。
「あ! おーい、アンジェリーナ!」
と、その時フレッドがアンジェリーナを見付けて声をかける。彼女は背が高いからとても見つけやすい。アンジェリーナは僕たちに気が付くと早足で近寄ってきた。
「はい、フレッド、ジョージ」
「やあアンジェリーナ」
アンジェリーナに挨拶していると、フレッドが何かに気付いたように後方を見やる。不審に思ったアンジェリーナがつられて振り返ると、得心したように笑みを浮かべた。
「そうだ。二人にも紹介するよ、友達のアイリス」
「アイリス・ウォーカー。レイブンクローよ」
よろしくね、といって差し出された右手を、フレッドは躊躇なく握った。続けてアイリスは僕の方を向いて、驚いたような顔をした。僕とフレッドが双子と言うことに驚いたのか、さっきの授業で僕が注意されていたことを思い出して驚いたのか。
「貴方たちが、有名なウィーズリー兄弟ね」
「有名? 僕たちが?」
ちょっと躊躇ってからアイリスの手を握り、彼女の言葉に聞き返す。思い当たる節が多すぎるんだけど。
「ええ。やんちゃないたずらっ子だけど、とっても頭がいいグリフィンドールの双子って」
ひゅう、とフレッドと同時に口笛を鳴らす。
「僕たちも有名になったもんだな、相棒」
「しかもとっても頭がいいときた」
「パースよりも?」
「あいつは逆に馬鹿だよ」
しかめっ面をしてフレッドに返すと、アイリスがくすくすと笑いだす。アンジェリーナが僕たちの評価を改めさせようとしていたけど、そんな必要はない。そもそもアイリスは、アンジェリーナの話を半分くらいしか聞いていないようだった。レイブンクローなのに、結構チャーミングな面があるようだ。
「アンジェリーナからいつも話を聞いていたの。やっぱり、貴方たちとても面白いわ」
「面白いっていうより、騒がしいけどね」
「そりゃひどいぜ、アンジェリーナ」
いつもならよそでやってくれと思うフレッドとアンジェリーナの会話も気にならないくらい、アイリスから目が離せなかった。
アイリスもアンジェリーナと仲がいいということだから、そのあたりのことはわかってるんだろう。優しげな視線を二人に向けた後、ころりと笑顔を僕に向けた。
「貴方がジョージね」
「そう。よくわかったね」
アンジェリーナと話しているのがフレッドと考えるのが自然なんだから、この質問はちょっと愚問だったかもしれない。ママでさえ僕たちを間違えるのに、初対面のアイリスが僕たちを見分けているなんて、都合がよすぎる。
「まあ、よく見て――いえ、アンジェリーナがよくフレッドを見ているから」
右手で髪を耳にかけたアイリスは、それからはっとしたようにあたりを見回した。
「いけない。私、次は魔法薬学だわ」
「ついてないな」
それじゃあ、といって手を振っていくアイリスを見送りながら、なぜ寮が違う彼女が、僕と同じ授業を受けていたのか訊くのを忘れていたことを思い出した。
それにしても魔法薬学か。本当についてないな、彼女は。朝一番の授業で僕とフレッドがいたずらを仕掛けたスネイプは、まず間違いなく機嫌が最悪だろう。
「ジョージ」
呼ばれて振り返ると、アンジェリーナももういなかった。フレッドが一人で立っている。
「どうだった、アイリス嬢は」
「なにが」
突っぱね方が子どもっぽくなってしまった自覚はある。だけどにやつく相棒の顔を見ていたら、素直に認めたくないと思うのは仕方ないことだと思う。
「レイブンクローなのに鼻にかけたところがないし、僕のユニークさを理解してるぜ」
「僕たちの、だ」
「おっと、そうだった」
アンジェリーナが行ったのなら、僕らだってちんたらしていられない。まったくむかつく顔をしているフレッドを小突いて歩き出す。
「なかなか可愛いんじゃないか?」
「まあ……可愛いとは思うぜ」
高い口笛の音が聞こえたから、見ないで隣のフレッドを蹴る。
きっと今晩にでも、僕はアイリスに恋をしたと認めることになるんだろう。