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ボーイ・ミーツ・ガール



初見で可愛いと思った。まあ、好みか好みじゃないかで訊かれたら好みと答えるしかないし、事実彼女は一般的に可愛いといわれる容姿をしている。俺じゃなくても十人中八人は可愛いと言うのではないだろうか。
小動物的な小ささと可愛さを兼ね備えた彼女は、初対面の時は本当に、外見通りのかわいらしさだった。落ち着いた、少し高めの声で「よろしくしよう」とはにかみながら言ってくれたあの瞬間を、俺は忘れない。
――忘れない、というより忘れられない。
なぜなら、あの瞬間の彼女が嘘だったと思いたくないからだ。
「ロバート、前を見て歩けよ」
「見ている」
「嘘つくな。また視線があっちこっち行ってるぞ。この前みたいに拳銃ぶっ放しだしたら、私がお前の脳天ぶち抜いてやるから覚悟しろ」
「するかそんな覚悟」
今じゃ、これである。出会い頭には「よろしくしよう。かささ――あ、ロバート、だっけ?」などと、それはもう天使の如く愛らしく言ってくれていた彼女が、これである。同一人物とは思いたくない。しかしあの彼女も、この彼女も、立派にアイリスと言う一人の人間だ。
「……アイリスって、第一印象と随分違うよな」
あの顔に騙された俺が悪かったことはわかっている。あれもおそらくアイリスの武器なのだろう。用心棒という仕事柄、敵の警戒心をなくす容姿や態度はフル活用すべきだから当然のことだ。俺だって、やれと言われればやる。アイリスほどうまくできる自信は正直ないが。
「よく言われるが、第一印象を取り繕わない人間の方が少ないと思う、私は」
お前もそうじゃないのか、と横目に問い返され、考え込む。果たしてどうなのだろう。彼女の中に、俺の第一印象は残っているのだろうか。
「俺は分からない」
俺の第一印象をアイリスに問えばまた何か言い返されると思ったので、気になったが正直に返答した。見ず知らずの屋敷へ連れてこられて、この国での暮らしもわからなかった当時のことだから、そこらの学生としか思われなかっただろうし。事実、お屋敷へ来る少し前まではただの……とは言えないが、学生と言う身分だった。
「そうか。私はよく覚えているよ、あの頃のこと」
「え?」
先ほどまでの刺々しい口調ではなかった。かなり久しぶりに聞く、それこそ初めて出会った頃のアイリスの声だった。
思わず数年前より低いところにある彼女のつむじを見下ろしながら、言葉の続きを待つ。
「まず最初に、アジアンかと思った。それから、私より年下だろうって」
「どっちもひどい印象だな」
「第一印象なんだから仕方がない、外見から入るのは」
そう言って笑ったアイリスに視線は釘づけだ。一体、なにがどうしてこんなにも俺にデレを見せてくれているんだ。嬉しい気持ちがないわけではないが、それよりも先に変なものでも食べたんじゃないかと心配してしまうことに自分でショックを受けた。俺は、どれだけひどい扱いを受けているんだ。
「あ、ジャパニーズと聞いた時はすごく感動した」
「? なんでまた」
周囲に警戒することも忘れて、素で聞き返す。今は護衛すべき主人もいないし、何より正直に言ってアイリスの会話の方が気にかかる、優先されるべき事だったからだ。
「いやな、……やっぱり止めた。言わん」
「な……っそれはないだろ、そこは言え!」
「ばっ! なんでお前に言わなきゃいけないんだ!」
「言いかけたら普通は言うだろ、アイリスから話してきたんだぞ!」
思わず突っ込んでしまい、しまったと思った時にはもう遅かった。
貴重な、この上なく貴重な可愛らしいアイリスの姿は消え失せて、いつも通り罵声と銃弾を容赦なく浴びせてくる物騒極まりないアイリスがそこにいた。この状態では話の続きなど到底期待できそうにもないし、むしろここままだと鉛玉が飛んできそうだ。
「ふん、暇つぶしだ。今はもう考えることができたからお前の与太話に付き合っている場合じゃない」
そんなことを言いながら、歩調を速めて俺を置いて行くアイリス。腕をつかむこともできたし、走って追いつくこともできた。だけど、それはしなかった。
さらさらと髪を揺らしながら人混みに消えていく華奢な身体を見送った。
「……あー、駄目だ」
とろとろと歩きながら、頭をかきむしる。さすがに軽く辺りを警戒するが、特に危険はなさそうだ。これならアイリス一人に仕事を任せても大丈夫だろう。こういう風にして先に行ってしまうアイリスは、いつも律儀に買い物を済ませていてくれる。根が優しいことくらい、誰に言われなくとも知っているし、彼女自身がその暴言を反省していることも分かっている。
「だから好きなんだよ……」
物騒で、けれど可愛い同僚が、どうにも好きなのだ。まったく困ったことに。いくら銃弾をぶち込まれかけようと、いくら詰られようと、それでも好きなのだ。別にそういう性癖と言うわけじゃない。アイリスにはできることなら笑っていてほしい。その方が断然可愛いのだから。ただ、俺の前ではそれが難しいようだから、それならばそれでいいと思っている。どちらもアイリスであることにかわりはないのだから。
「おい、ロバート!」
前方から名前を呼ばれて、もしやと思いながら見れば、アイリスが人混みをかき分けてこちらへ向かって来ていた。先に行ったのに戻ってくるとは、珍しいこともあるものだ。
「どうしたんだ?」
「どうしたもこうしたもあるか。仕事なんだから、さっさとついて来い」
ぶちぶち言いながらも、きちんと隣に戻って来てくれる。本当に、珍しい。明日は槍でも降るんじゃないだろうか。
「……アイリス」
「なんだ」
「熱でもあるのか?」
「そんなにぶちのめされたいのか」
青筋を立てて振り返ったので、さすがにまずいと察する。街中で発砲をするようなタイプではないが、キレると何をしでかすか分からない。被害が俺だけで済めばいいのだが――いや、よくないが。
「ああ、いや、いつもより可愛いと思って」
――あれ。
「……は?」
――俺、今なんて言った。
「…………バカも休み休み言え」
「今のはちが……! いや、違わないが違う!」
ものすごく間を取って、淡々と言われた言葉に焦る。感情がないことが逆に不安だ。いや、別に直接好きだと言ったわけではないからセーフだが、なんというかそういう問題ではない。
「顔、真っ赤だぞ」
「!!」
ちらりとこちらを見たアイリスの台詞に、今すぐ穴を掘って入りたい気持ちになった。誰か、俺を殺してくれ。
「……もっとうまい口説き文句考えてから出直せ」
「え?」
小さく呟かれた言葉を、けれどはっきりと聞き取ってアイリスの方を見る。
「こっち見るな。殺すぞ」
アイリスがそう言って顔を伏せると、髪の隙間から、ほんのりと赤く色づいた両耳がのぞいていた。
「……アイリス、一期一会って言葉を知っているか」
「……なんだそれは。知らん」
こちらを見ずに、けれど反応はしてくれる。
「出会えてよかったってことだ」
「うるさい、死ね」
いつも通りの暴言だが、いつもと違って先に行ってしまうことはない。
ああ、やっぱりアイリスは第一印象のままかもしれない。