隣がいい 疲労と怪我ですっかり眠り込んでしまったみんなを起こさないよう、そっと部屋を出た。誰しも灯ちゃんの力を借りてもすぐには治らなそうな怪我を抱えているというのに、目が覚めた矢先に「狂を探す」といって憚らないのだから困ったものだ。 すっかり壊れてしまった、舞を奉納するための舞台に座る。肌に染み入るような寒さと、虫の声さえ聞こえない静寂が辺りを覆っている。空を見上げれば、瞬く星が重く垂れこめる雲の隙間からのぞいていた。 「こんなところで何をしている」 「!!」 一人の時間が好きだ。だからこうして、みんなと旅をしているときも、戦いの合間でも、こっそり夜中に起き出していたのだけれど、誰かに話しかけられたのは初めてで驚いた。今までは見て見ぬ振りをしてくれていただけかもしれないと、いまさら思った。 「冷えるぞ」 「お互い様ですよ、辰伶」 「……隣いいか」 「もちろん。どうぞ」 ちゃんと訊いてくるなんて、律儀な人だ。出会い頭から一方的に好いているから、てっきり辰伶は私のことを苦手に感じていると思っていた。そのまま立ち去らずに座ったところを見ると、よほどこの舞台に思い入れがあるのか、私と少しは話したいと思ってくれているかのどちらかだろう。おそらく前者だと思うけれど。 ちらりと横顔をうかがうと、彼の視線は真っ直ぐで、けれどその先にあるものを見ている風ではなかった。その瞳の先には、きっと吹雪と彼の目指した壬生一族の未来があるのだろう。 私のような人間では、その視界を遮ることすらできない。 「桔梗と言ったな」 「ええ……名前、憶えていてくれたんですね」 「印象が強烈過ぎただけだ」 それもそうか、と肩をすくめた。 いわゆる一目惚れというものを、よりにもよって敵方にするとは私自身思わなかった。ただ、出会った瞬間、敵だとか壬生だとかそんなことを考える暇もなく、私にはこの人だ――そう思ったのだ。 私は、何としてもこの人がいい。それを率直に伝えたのだから、辰伶はもちろんみんなも驚かせてしまった。辰伶にしてみれば迷惑にほかならなかっただろう。 「キサマは、壬生一族をどう思う」 「……どう、とは?」 「何でもかまわん。ただ、人間はどう思うのか知りたいだけだ」 この人は、すでに未来へ手を伸ばしているのだと思った。あれだけ私たち人間を蔑んでいた辰伶が、吹雪に託された一族を守るためにわざわざ私へ訊ねているのだ。きっと本当はあまり話したくないだろうし、聞きたくもないだろう。それでも逃げずに正面から挑んでくる姿は、なんと立派なことか。 「姿かたちは同じなのに、いったいどこが違うんだろう――と、まずは思いましたね」 そう。姿が同じで、言葉が通じるのになぜ争わなければならないのかと思ったはずだ。もっとも、人間同士でさんざん争ってきた過去があるのだから、それも仕方のないことな気はするけれど。 「それから、智恵があって寿命が長いからといって人間を馬鹿にするなんて嫌な人たちだと思いました」 どうしようもなく馬鹿で、愚かで、限りある儚い存在だけれど、そこがまた愛おしくもある。壬生と言う楽園にいては得られない何かが、私たちの汚れた世界にはあると思う。 「あ、五曜星や太四老の方たちは抜きんでて嫌な人だなあと思ってました」 「意外とはっきり言うんだな」 「意外ですか? 私は初対面からそうだったと思いますけど」 「……それもそうか」 大切なものを守りたいという気持ちはわかる。それは私だって、私たちだって同じだったから。けれどそれは相手を見下していい理由にならないし、ましてや自分と相手の大切なものを比べてどちらが重いだの大事だのと言い合うのは馬鹿げている。そういう点で、彼らは性格が史上最悪だったかもしれない。それが過去形で言い表せるようになったのは、きっといいことだ。 「でも――真っ直ぐだなって」 「真っ直ぐ?」 その代表はあなたです、とは言いだせずにただ微笑むと、辰伶は怪訝そうに眉を寄せた。つかず離れずのこの距離を縮めて触れたい気持ちを抑える。 「何かを守りたいという気持ち、その心の強さが自身の強さにつながっているところは、私たちとなんら変わりありません。だからそれで強くなった辰伶や吹雪のことは尊敬します」 吹雪の名を出すと、辰伶が気落ちしたように顔を伏せた。なんと声をかければいいかもわからず、正直に答えすぎたことを反省する。せっかく辰伶が歩み寄ってくれたのに、これではやはり人間など付き合うべきではないと判断してしまうかもしれない。 まだ目を伏せたままの辰伶とは反対に、上を向いて夜空を仰いだ。生憎の曇り空で、きらめく星たちの姿は見えない。 「……吹雪様の意志は、オレ以外にも伝わったのだな」 「残念ながら、私は壬生一族ではありませんけどね」 地を見る辰伶と、空を見る私。今でこそ対称的な姿勢だけれど、その実本当は逆なのかもしれない。 壬生の未来を見据え、先を見ている辰伶と、先も見えず、なにも決められないでいる私。なにも背負うものがない私には、自らの意思で一族を背負おうとする辰伶が眩しく見える。羨ましくて、妬ましくて、とても憧れる。 「桔梗、お前はこれからどうするか決めているのか?」 いまはまだ、狂を探しているし、みんなの怪我も治っていないからこの地を追い出されてはいない。けれど辰伶も本格的に復興を考えなければならないし、私たちがいてはおそらく邪魔になるだけ。 「することもありませんし、旅でもしようかと思ってるところです」 「そうなのか?」 意外そうな辰伶に、いったい何を考えていたのか訊ねたくなる。すんでのところで堪え、笑顔を浮かべた。 「ええ。辰伶に振られちゃったので、行くところがないんです」 「なっ」 結局、私の想いが一方的なだけ。そんなことはわかっている。けれど少しだけ、辰伶に意地悪をしたくなってそう言うと、彼は顔を上げて頬を引きつらせた。その顔がおかしくて、つい吹き出してしまう。 「おい、なぜ笑う」 「そ、その顔は反則です……っ」 知らない表情を知るたびに、想いが募っていく。 そばにいられないのなら、知りたくなどないのに。 知ってしまえば、離れたくなくなる。 「……大体な、」 呆れたようにため息を吐いた辰伶が、また眉を寄せた。 「オレは一度もキサマのことを嫌いだと言った覚えはない。……多少、迷惑だとは言ったがな」 「…………え?」 ああ、駄目だ。眉尻を下げて笑うその顔も、初めて見る。 「そもそも、オレはお前に返答していないはずだ」 「そうでした、っけ?」 少し照れたようにそっぽを向いて、頬を紅潮させて、妙にかわいげのある顔をして。 「桔梗」 真剣な瞳が、私を射抜く。 怖くて、けれど身体の奥が痺れたように動かなくて、開きかけた口からはなんの言葉も出てこない。 「お前のことが好きだ」 言葉が耳をすり抜けて、頭で理解しようとしない。 「他者を好いたこと自体が初めてだというのに、それが人間とはな」 ほたるに見せる呆れたような、穏やかなような、不思議な顔で笑う。これだけいろいろな表情を見せてくれるようになったということは、少しは心を許してくれたのだろうかとぼんやり思う。 「……聞いているのか?」 「え、はい?」 はあ、と再びため息が聞こえた。そこに至ってようやく、辰伶の言葉を反芻し、意味を理解しようと頭を回転させ始め――硬直した。 「ちょ、ちょっと待ってください。辰伶、なんて言いました?」 嘘だろうと思いながらも、真面目な彼が嘘や冗談をつける性質でないこともわかっている。辰伶の珍しい表情と先の言葉を照らし合わせて、頬に熱が集まり始める。 「……次はないぞ」 少し嫌そうな顔をしながらも、断ることはない。 「お前が好きだ、桔梗」 視線があった瞬間、辰伶はぱっと顔を背けた。言葉と反している気がする行動を怪訝に思い様子を伺うと、真っ赤な顔で怒ったように言葉を吐き出した。 「それで、お前はこれからどうするんだ」 「そう、ですね……」 壬生の者だからといって遠慮をしなかったのは、あながち間違いではなかったのかもしれない。きっと私がなにも言いださなければ、辰伶は私の名前を覚えることすらなかったかもしれないのだから。 「やはり旅をするのか?」 まだ頬を染めた、どことなく可愛らしい顔で訊ねてくる。 彼の言葉の真意を咀嚼するにはまだ時間が必要になるけれど、先ほどまでよりはいくぶんか落ち着いてきた。気の迷いかもしれないが、それでも私は、少なくともいまは、彼へ気持ちをぶつけることを恐れる必要はない。 「いいえ。やめました」 「やめる、のか」 この答えは予想していたようで、けれどもやはり少し驚いた様子で言外に問いを重ねる。 空を仰ぐと、いつの間にか雲はなく星空が広がっていた。 「ここで、辰伶のお手伝いをします」 「なっ……馬鹿か! そんなことができるはず――」 「できる、できないじゃないんです。私が、そうしたい。ただ、辰伶の隣にいたい、それだけです」 ああ、やっと言えた。 辰伶は顔をそらして黙り込んでしまったけれど、いまはそれでもよかった。辰伶の隣にいられるのなら、なんだって。 |