short | ナノ






素直になれない



同僚が、ひどい。
どのあたりがひどいかというと、俺がなにか言うたびに眉間に銃口向けてくるくらいだ。……いや、過言だったか。
「おい」
「なによ」
しかし声をかければ、これだ。歳が近いということで気さくなのだと好意的に受け止めることもできる。しかし、俺の場合は違うだろう。もう少し、妙齢の女としての自覚とかはないのかこいつ。
「いや、なんでもない」
「なんでもないなら話しかけるな。時間の無駄だから」
「そこまで言うか」
いつもかちんとくる言い方をする。俺と話しているときはいつも機嫌悪いが、それにしても毎度こう冷たくされる身にもなってほしいものである。
もっとも、なぜか俺を毛嫌いしている彼女には不可能かもしれないが。
「大体、買い物に来ただけなのにお前がまた妙な事を言いだしたから、こうして余計に時間を無駄にしてるんだ。少しは反省して私に謝れ馬鹿者」
「うっ……」
この言い草だ、今日も絶好調に毒舌である。
確かに、少し注意深すぎて一般人に危うく怪我をさせるところだったのは俺の責任だから強く言い返せないのだが。それにしても、もう少し言葉を選んでほしいものだ。
「はあ……ロバート、お前よくクビにされないな」
こつこつと、彼女の足音が響く。俺よりも背が低く小柄な彼女は、俺と並んで歩くためにいつも早足だ。
「ベル様が優しすぎるんだろうなあ」
「おい、また自己完結してるぞ」
「ああ、すまん。お前の返事とか期待してなかった」
いつものことだが、俺は俺でこの同僚に不満たらたらだ。いつも向こうが俺にぶちまけるので、こっちは返す暇も与えられやしない。
それでも一緒に働いているのは、互いにここを出たら行く場所がないというのと、なんだかんだ言いながらも互いが仕事のできるのを知っているからだろう。
彼女――アイリスは、口こそ悪く、粗野な印象があるが、外見はそんなことのない普通の女性だ。まあ、一般にはかわいいといわれる容姿だろう。いわゆる童顔と言うやつである。だから調査に向いているし、銃の扱いにも長けているので、護衛としても有能だ。
俺に対しての態度が著しく悪いことを除いては、あまり欠点らしい欠点が見当たらない。
「……アイリス、お前はどうしてそう俺に対してだけ冷たいんだ」
「優しくしてほしいのか。気持ち悪いこと言うなよ」
「言ってないだろ、そんなこと」
ちょっと殴りたくなったが、俺のせいではない。
そりゃあ、優しくしてくれたら嬉しい、というか一緒に仕事をするときもモチベーションが下がらなくて済むから嬉しいんだが……まあ、言ってもこいつには伝わらんだろう。
「……ロバート」
「なんだ」
いつもアイリスはお前、と俺を呼ばわる。あまり、名前では呼ばれない。
「悪気はない」
「!?」
「こともない」
「紛らわしいことを言うなよ……」
新手の嫌がらせかと思い、呆れながら目を向けると、珍しく視線が合う。じっとこちらを見つめているので、思わず目をそらした。
「でも、私だってお前にひどいことを言いたいわけじゃない」
「……なんだそれ、初耳だぞ」
「はじめて言った」
ああ言えばこう言う、なんてかわいげのない女だ。先輩であり、同僚である、この女。
「ロバート、お前がもう少し常識を身につけてくれたらな……それでいいんだ」
「常識? 俺は十分――」
「じゃないから言ってるんだろ、このアホ」
「な……!」
むかっとしてアイリスを見ると、彼女は眉を寄せて舌打ちをした。うつむきがちに何かを呟いているが、聞き取れない。
「ちょっと過剰なんだ、お前の警戒は」
「過剰?」
ため息のつき方が呆れているようだったので、腹は立つものの堪えて続きを促す。アイリスが俺と冷静に話してくれることは少ない。すぐに罵声が飛んでくるし、鉛玉も飛んでくる。おちおち話すどころじゃないのだ。
「間違ってないと思う。主人を守るために、神経を尖らせるのは」
「ど、どうした急に」
ほめられているんだろう……たぶん。
思わず鳥肌が立ち、不審の目を向けると、アイリスは「失礼だな」と不機嫌そうに吐き捨てた。気持ち悪いと思っても、それは悪いのは普段の態度が態度なアイリスの方だろう。
「ただ、神経を尖らせすぎて、逆に主人を危険にさらしていることがある……というか、お前の場合ほとんどそうだろ」
そんなことはないはずだと思いながら、記憶をたどるが、主人を守るために防衛したことは数えきれない。すぐにやめた。
もったいないぞ、と言ってアイリスは俺から顔をそむけ、前を向いた。
…………気まずい。
いつもなら沈黙が気まずいこともないし、なにかとアイリスの方から話しかけてくることが多い。容赦ない悪口の数々も披露されるが、同時に仕事のこともプライベートのことも腹を割って話せるのはお互いだけだから、これでいて俺たちは意外と話す。もっとも、話すのはだいたいアイリスの方で、最終的には鉛玉なのだが。
こういうときに限って、店までの道のりは遠いし、周囲を警戒しても怪しい人物がいない。いつもなら呆れるほどそこらに怪しい人物がいるのだが、今日に限っていないとは。
「……アイリス」
「ん?」
意を決して口を開くと、向こうはそんなこともなさげに、いつも通りに反応した。俺だけか、気まずかったのは。
「お前、俺のこと嫌いじゃないのか?」
「……は?」
なに言ってんだコイツ、みたいな視線で射抜かれる。愚問だったか。
「いや、いい。訊いた俺が――」
「私がいつ、お前のことを嫌いだと言った?」
「は?」
立ち止まったアイリスを振り返るように足を止める。その顔は、先までの表情ではない。呆れや嘲笑、いつも彼女とともにあるそれらは鳴りを潜め、ただ真っ直ぐに俺を見つめていた。
「お前のことは嫌いじゃない」
その後にきっと、「好きでもないけどな」と続くと思って身構えていたが、そんなこともなかった。
俺の反応をうかがうように数秒見つめた後、不意に視線を外して歩き出す。呆然とする俺の横をすり抜けて歩いて行こうとするのを、腕を掴んで止める。
「放せ」
「断る。俺はてっきり、死ねと言うしそれを実行しようとするから、俺のことが嫌いなんだと思っていたが?」
「あれらは本心だが、嫌いじゃない」
「だからそれはどういうことだ」
言っている意味が、正直よくわからない。嫌いじゃないのに、なぜ罵詈雑言を浴びせるのか。
「散々言ってるだろ。お前の常識が足らんからだ、このドアホ」
「なっ」
言っていることがちぐはぐで、どうにもついていけない。
「俺に常識が足りないとしたら、お前には言葉が足りない」
「そうかもな。でもお前に対しては改善するつもりはない、期待するなよ」
ぷつん、と頭の隅で何かが切れる音がした。
我慢の、限界だ。
「おい」
俺の腕を外そうとしていたアイリスのもう片方の腕もとって、強く掴み上げる。わずかに顔を歪めたが、配慮してやる余裕などないし、そんなことをすれば逃げられるのがオチだ。
「嫌いじゃないと言いながら、そんな罵倒されて俺が納得すると思ってるのか。嫌いなら嫌いだと、いっそはっきり言え」
人通りは多くないとはいえ、ここは道の真ん中。いくらアイリスでも、この状況で銃を取り出すことはしないだろう。
「だから、嫌いじゃないと――」
「信じられるか!」
思わず、大きな声が出た。アイリスが肩を跳ねさせて、通行人がこちらを見る。
「いっそ、嫌いなら仕事と割り切れるのに……」
はじめて屋敷へ来て、ベル様に紹介されたアイリスは、こんなではなかった。
今と同じで小柄なことに変わりはなかったが、大きな目を丸く見開いて、じっとこちらを見ていた。ベル様に声をかけられるまで、呼吸をすることさえ忘れていたように思う。
――よろしくしよう。
今では見ることの少なくなったはにかむような笑みで、手を差し出してくれたのを覚えている。
「……期待させるなよ」
まだ、あの言葉を覚えているのは、信じているのは俺だけなのかと、そう思ってしまうのだから。
「ロバート……」
アイリスは何かいいあぐねるように、視線を地面に落とした。
さすがに言いすぎたかと思って手を放すと、重力に従って力なくアイリスの腕が垂れた。覚悟していた怒声も、拳も、鉛玉も飛んでこない。
「……悪かった」
その代りに、覇気のない、けれど聞き取りにくくはない言葉が返ってきた。
うつむいたまま背中を向けたアイリスは、しかしその場から動く気配はない。
「普通そうだよな。罵詈雑言を浴びせておいて、銃口を向けておいて、嫌いじゃないなんて何かの冗談としか思えないか」
まさにそういうことが言いたかったのだ。けれど、どこか悲しげな様子のアイリスを見て、何も言えなくなる。
「お前が私のことを嫌いでも、私には何も言う資格はない。それでも、ロバート」
振り返って、俺を見つめる瞳に嘘はない。
「私はお前のことが好きだよ」
どう考えても、今までの積み重ねからアイリスの方が悪いのに、なぜだか自分の方が悪いことをしている気分になってきた。自嘲するように笑ったアイリスが、また背中を向けて歩き出した。
「おい、」
「早く帰らないと、ベル様にまた心配をかける。急ぐぞ」
かける言葉を見つけられなくて、無言で後を追う。
「……私が子どもなだけなんだよな」
「何か言ったか?」
「何でもない」
そうかと返しながら、ふと、先の言葉の意味を考えた。
「嫌いじゃない」ではなくて、「好きだよ」と言ったことに意味はあったのだろうか。