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愛するということ



「……桔梗、お前一人では重いだろう」
「そんなことないですよ。辰伶は荷物持ってるんだから、無理しないでください」
「しかし、」
「お母さんを侮っちゃいけませんよ。これでも強いんですから」
「……つらくなったら、無理をせずオレに言え」
はい、と桔梗が笑う。三年前と何も変わらぬ笑顔だ。
壬生一族を愛し、一族を守ることを誇りに思い、その裏で何があったのか、誰が苦しんでいたのか知らずにいたあの頃から、少しは変われたのだろうか。一族を愛する気持ちに変わりはないし、人間と同じように限りある命だとしても、今は復興しつつある建物や、壬生一族と我らに造られた者たちとの関係など、確かに変わっているものもある。桔梗だって、女なりに手に入れた強さから、母としての強さと言うものを手に入れたように思う。
オレは、どうなのだろう。
「桔梗、やはり一人くらいはオレが――」
「辰伶」
桔梗の分も含めて荷物を持っているのはオレだが、やはり身重である桔梗に赤子を二人も抱かせるなど気がかりでしょうがない。ただでさえ今回の目的地は遠く、たとえ二人だけだとしても数日かけねばならない距離なのだ。ましてやまだ自分で歩くこともかなわない赤子を二人連れて、三人目を腹に宿す桔梗。いつも以上に慎重を期した行程ではあるが、彼女に大事ないかが不安で仕方がない。
そもそも子どもたちを連れて家族で出かけるというのが、今回が初めてといっても差支えないほど、オレは家族孝行していない。オレがずっと仕事に追われ、それまでは椎名ゆやや朔夜とちょくちょく会っていた桔梗だが、子ができてからはそうもいかなくなった。水舞台を見たとき以来の外出で、子どもたちも興奮していて目が離せない。子どもを預けて行くといえば、桔梗が不平を言うことは目に見えていた。
よくも大事な時期に呼びつけてくれたものだ、と今回の手紙の主を呪う。
「心配なのはわかりますけど、私が抱いていたいからいいの」
本人に言われてしまっては、強要することもできない。桔梗も連中とともに戦ってきたのだから、軟じゃないことぐらいわかっている。それでも彼女のことが心配で心配で仕方がないのだから、つくづくオレの考えが変わったのだと思い知らされる。
「辰伶が心配してくれるだけで、私はとても嬉しいです」
「し、心配ではない! ええと……そう、気遣いだ!」
「気遣いをするのは、心配しているからでしょう?」
「ぐ……」
盲目的に一族を愛した吹雪様同様であった過去のオレは、おそらくもういない。今でも一族を愛しているし、だからこそ復興計画を立てて日々仕事に追われている。けれど今は人間が壬生一族に劣っているとは思わないし、我らが造りだしてしまった者たちともともに生きてゆこうと思えている。
ともに生きていきたい者ができた。
それが不可能でないことを知った。
だからオレは壬生一族と人間の共存を示す先駆けになろうと思った。
「それに宿までならともかく、もうすぐ着くじゃないですか。あと一刻もかかりませんよ」
だからこそだと思ったが、黙っていることにした。なんだかんだ桔梗は頑固だし、そこはお互い似た者同士だとわかっている。
そもそもともに生きていこうと言いだしたのも桔梗だ。オレは当初、申し出はありがたいものの受け入れられなかった。なにせいつ死の病に侵されて消えるとも知れない身だ。逆に、桔梗が世を去ってからも永く生き続けることになるかもしれない。
心が同じとて、どうしても人間とは違う――そう言ったオレを、桔梗は笑い飛ばした。
「みんな、驚きますかね?」
「驚くだろうな。特に徳川秀忠などは」
元太四老の遊庵にさえ、「お前が人間と子どもを作るとは思わなかった」と言われたくらいだ。オレ自身驚いているのだから、当然のことだろう。
オレと桔梗が結婚したことを知っていても、桔梗から聞いていなければ子どもがいることまでは知るまい。久しぶりの遠出だが、連中の間抜けた面が拝めるかと思うと少しだけ面倒な気持ちも吹き飛んだ。
「時人は、信じられないって言いそうですね」
「あいつも素直になればいいのにな」
「あらま。辰伶に言われちゃうんじゃ、時人も心外ですよ」
「おい、どういう意味だ」
人間を心底嫌い、蔑んでいた時人が心を許せるようになるまではまだ時間がかかるだろう。壬生一族の間でも、すぐにわだかまりが解消されたわけではなかった。オレや太白の残した子どもたち、遊庵たち一家が中心になって駆けまわり、死の病克服を目指していること、人間や造られた者たちは決して醜くもなければ劣っているわけでもないことを伝えた。長い時間がかかった。諦めようとも思ったし、こんなことをして何になるのかと思った時もあった。けれどそのたびに、桔梗が変わらぬ笑顔でオレの背中を押してくれたから、ここまでやってこられたのだ。
「もう誰か着いてると思いますか?」
「そうだな……灯とアキラなどは早そうだ。螢惑と真田幸村は最後だな」
「え、絶対狂が最後ですよ」
「家主が最後っておかしいだろうが!」
オレを育て、強くしてくれた、誰よりも壬生を愛した吹雪様。
決して相容れることはないが、大事なことを教えてくれた螢惑。
オレを愛し、オレの愛した壬生一族。
オレと言う存在が変わるきっかけとなった、人間である桔梗。
その全てが、今のオレを作っている。
「はあ……やっと見えてきましたね」
「あと少しだ。大丈夫か、桔梗?」
「もちろんです」
愛するということは、信じることだと思う。
過去のオレは一族の正義を信じて疑わなかったし、吹雪様とて、一族の存続を信じていた。たとえ真の壬生一族でなくとも、自分の守りたいものは変わらないと。一族の誰もが一族を愛するがゆえに『紅の王』を疑うこともなかった。それで自分たち以外の者が不幸になっても、それは仕方のないことだと考えていた。
しかし桔梗と出会って、自分の頭で愛することを、信じることを考えるようになった。一族を愛し、けれど人間の桔梗も愛し、どちらも大切にして生きていきたいと思ったから、吹雪様に刃を向け、走り回った。
「桔梗」
後悔もした。けれどあの人が見つめた、オレと同じ未来を見続けると決めたから、過去は振り返らないことにした。前を見て、これからを信じて愛することに決めたのだ。
「なんです、辰伶」
出会った全てが、起こった全てが、一人の存在を作り上げる。
「お前は、愛するとはどういうことだと思う」
「急ですねえ、また」
困ったように笑う桔梗は、立ち止まって赤子をあやす。目的地はあと数十歩先で、そこからは賑やかな話し声が聞こえている。
「辰伶は、どう思うんですか?」
「返すな。オレは、お前に訊いている」
「でも聞きたいんです」
「……」
オレは、いつ死の病にかかるともわからない。それが子に遺伝していないとも限らない。人間にうつらない保証もない。
それでも、オレを信じて、愛してくれた桔梗のことを残りの生涯をかけて愛すると誓った。
「……オレは、信じることだと思う」
それを聞いた桔梗が、嬉しそうな顔をした。
「そうですか……私はね、辰伶」
これだけ考えられるなら、オレは少なくとも三年前と同じではないのだろう。
オレは、変われたのだ。
「愛するということは、幸せだと思います。それがどんなにつらくても苦しくても、悲しくても信じられなくても、それでも、幸せなことなんだと、私はそう思います」
全てを失ってまで孤独に戦っていた吹雪様も、幸せだったのだろうか。愛する人を失い、子を失い、友を失い、それでも幸せだったというのか。
――そうであってくれれば良いと思った。
「桔梗は、幸せか?」
「……辰伶」
オレは今、幸せだ。胸を張ってそう言える。疑うわけではないけれど、桔梗もそうであってほしいと思う。オレの信じることよりは、幸せな方が愛としてあってほしい在り方だったからだ。
「わかりきったこと、訊かないでくださいよ」
微笑んだ桔梗を見て、オレはやはり、幸せだと思った。