short | ナノ






仕事とローソクの誕生日



「……やってらんねえ」
机の上にどっさりと積まれた書類を見て神田はげんなりした。
時間は五時。対して書類の量は、二三時間頑張っても消化しきれない。今日中にやらなければいけないものでも、余裕で残業コースだ。
「おいモヤシ」
「モヤシじゃなくてアレンです。何ですか、残業決定の神田」
神田は苛立ちを堪えながら、仕事の速さに定評のあるアレンを呼んだ。神田とソリの悪いアレンは、にっこりと笑う。
「ちっ。少し手伝え。お前別に、早退けじゃねえだろ」
「嫌ですけど」
「即答すんな」
勤務時間は六時まで、アレンの仕事はおおよそ片付いたと思って声をかけたのだが瞬殺される。仕方なく神田は諦め、もう一人の仕事ができる人物を探した。
上司にコーヒーを淹れていた人物がデスクのそばを通りかかるところを呼び止める。
「リナリー、手伝え」
長い黒髪を揺らして、可愛らしい容姿のリナリーが足を止めた。
「神田、手伝ってくださいでしょ」
口の悪さをたしなめられ、眉を寄せて舌打ちをする。しかし山の書類を見て、幾分か低くなる声を抑えて改めて口を開く。
「手伝ってクダサイ」
「ええ、いいわ」
態度を改めると、リナリーはあっさりと頷いた。少し驚いたようにアレンが目を開くと、リナリーを見てやれやれと首を振る。
「リナリーがやるなら、僕もやります」
「あ、オレも手伝うさー」
ひょっこりと神田の隣の机から顔を見せたラビに黙って紙の束を押しつけると、リナリーやアレンにも仕事をわけて頼む。
神田は、できるだけ定時で上がれることを願いながら自分の分に取りかかった。



会社を出た頃には、すっかり八時を回っていた。手伝ってもらったので速く終わった方だが。
「神田、ラーメンおごってくださいよ」
「あー、いいなー。腹減ったさァ」
アレンとラビがたかると、神田は不機嫌そうに顔をしかめた。いつものように断りかけて、今日は手伝ってもらった身分であることを思いだす。
「タダじゃ割に合いません」
やせの大食いを地でいくアレンの食べっぷりを思う。以前それで痛い目を見た。少し悩んだ後、神田はリナリーに声をかけた。
「お前もか」
「うーん……。いいわ、私は今度、ケーキおごってもらうから」
思案の後、リナリーは笑って言う。軽く手を振って歩き出したリナリーを追って、アレンとラビも歩き出した。
「今度、絶対おごってくださいよ!」
アレンが釘を刺すと、神田は気の抜けた声で返事をした。



神田が自宅のマンションに着く頃には、九時を過ぎていた。鍵を開けてドアを開けると、付けっぱなしにしておいた覚えのない電気が付いている。玄関の見慣れたパンプスに目を留めて、リビングを覗き込んだ。
「あ、おかえり」
「…何でいやがる」
「失礼な。仮にも彼女だよ、あたし」
神田が尋ねると桔梗は笑った。合い鍵をちゃらりと遊ばせながら、ソファに座っている。
「残業だったんだね。お疲れさま」
「ん、ああ」
別に、といつものようにあしらうには、手伝ってくれた三人のことを考えると気が引けて、神田は上の空な返事をした。変なの、と言って朗らかに笑いながら、桔梗がキッチンに入っていく。
「お蕎麦茹でたんだけど、すっかりかたくなっちゃったかも」
勝手知ったるどころか、自宅のように冷蔵庫を開ける桔梗の声を聞き流し、神田は先程まで桔梗の収まっていたソファに横たわって身を沈めた。
「なら、いい」
「ん、まだ残ってるからそれ茹でる」
神田はゆっくりと深く息を吐き出す。スーツから着替えるのも面倒だ。シワがつこうがお構いなしというように沈黙している。
「あー、風呂入りてえ」
日本人の性とでも言うべきか、疲れたときに熱い湯船に浸かりたくなるのは神田も相違ない。
「え、お風呂は沸かしてないよ。さすがに」
「別に頼んでねーよ」
同棲してるわけでもあるまいし、と呟いた神田の言葉は、桔梗には聞こえなかったようだ。
ほら、といって桔梗が冷やしてしめた蕎麦を盛り付けて、テーブルに置いた。きちんとその上にはきざみ海苔がある。
「……おい、ちょっとまちやがれ」
しかし、そこには見慣れないもの…正しくは、蕎麦に似付かわしくないものがあった。
「なんだ、このローソクは」
せいろの四つ角に、白く細いローソクが四本立てられている。弱く灯がともり、何かの儀式のようだ。
「何って、誕生日だから。ユウ、ケーキ嫌いでしょ?」
桔梗がきょとんとした様子で言うと、神田はせっかく起きあがらせた上体をソファに落とした。わずかな風でローソクの火が揺れる。
「それならまだ、ケーキの方が良かった」
「え?」
盛大なため息とともに、神田から気力が失われていく。そばにしゃがみ込んだ桔梗の腕を掴んで、蕎麦を睨み付ける。
「どうせ今夜は泊まってくんだろ」
「うん」
即答に微笑むと、桔梗の腕を放して蕎麦を片付けるように言った。
「勿体ないなあ…。あ、ユウ?」
「あ?」
桔梗は苦笑しながら神田の顔を覗き込む。
「誕生日、おめでとう」


(……お前、誕生日いつだっけ?)(忘れたの!?)(いや、忘れてねえけど)(じゃ、何?)(……そろそろ籍いれてもいい頃だろ)(…うん…!)