寒い、寒くない。 完全に失敗した。 さて、どうしたものかとケータイを取り出して、途方に暮れた。 五月、早くも学校祭の準備が始まった。三学年でブロックを作り、演劇や模擬店をやるのがうちの学校の特徴だ。昨年は桔梗と一緒のブロックだったので、教室展示のために色々なものを作った。 今年は「演劇やろうぜ!」という樋口の言葉にうっかり頷いてしまい、裏方とはいえ面倒くさい作業担当になってしまった。今年は桔梗と一緒じゃないのでやりがいが全くない。 「……そうだ、樋口が全て悪い」 樋口が演劇のリーダーで、仕事の割り振りをしてくれる。ところが背景など大道具制作を僕に一任したものだから、資料を集めるべく図書室に遅くまで残っていた。六時半過ぎに学校を出て、バスに乗り込んだ。ちょうど七時には桔梗の待つ家へ帰れるはずだった。 ――そう、今は七時半、僕はまだ家についていない。 いつもより遅い時間のバスはかなり空いていた。すぐに貸切状態になり、ぼんやりと景色を眺めながら席に座っていた。 「お客さん、終点ですよ」 「……?」 肩をたたく人影は運転手。窓の外には見慣れぬ景色。 …早い話が、寝過ごした。 珍しく仕事らしい仕事をしたからか、疲れて眠り込んでしまったらしい。それにしても三十分も、という気がする。自業自得ではあるのだが。 「すみません」 いつもより多めに運賃を支払ってバス停に降りたったが、なかなかに遠い地名だ。もうバスはないようだし、タクシーも通りそうにない道だ。 「……ああ、桔梗か?」 『凍季也? どうしたんだ、帰りが遅いから心配していたぞ』 「すまない。それなんだが、少し寝過ごしてしまったんだ」 電話越しに呆れたようなニュアンスが伝わってくる。それにしても、桔梗の声を聞いていると落ち着く。 「歩いて帰るから……そうだな、九時過ぎに着くとおも――」 『馬鹿か!』 たかだか二時間かそこらなのだが、早寝の習慣がある桔梗に九時過ぎは遅すぎる。それならば先に寝ていてほしいという配慮のつもりだったのだが、逆に叱られてしまった。 『どこにいるんだ? あの、便利な車は拾えないのか』 「タクシーか? 全く見あたらないな」 思考の沈黙が流れる。その間にも歩を進めているが、見慣れない景色なのでどう歩いたものか皆目見当つかない。 「悪いが、鍵だけかけて先に寝ていてくれ。できるだけ急ぐ」 今日ばかりは、教科書の少ない鞄に感謝した。背中が重たくては歩いていられない。 『九時過ぎだな?』 「ああ」 『……わかった。気をつけて帰ってこい』 おやすみ、と言おうとした直前に電話が切られた。やはり、相当に怒っているらしい。 とりあえず、バス停を頼りに歩くことにした。 春の夜は存外に寒い。三十分以上歩いたところで、さすがに寒くなってきた。見かけた自動販売機で温かい紅茶を買って体に流し込んだが、手足の冷えは改善されなかった。 寒い日は桔梗を抱き締めるに限る。家に帰ったら、寝ているだろうが桔梗を抱き締めよう。……いや、冷たくて起きるかもしれない。シャワーで体を暖めてからにしよう。 「……気のせいか?」 ふと、桔梗の姿が見えた気がして目を瞬く。ついに幻覚を見るようになってしまったのだろうか。 「ああ、良かった」 「……本当に、桔梗なのか……?」 他の誰に見える、と言って、桔梗が笑っていた。 駆け足で近寄ると、安堵したように抱きついてきた。 「こんなに冷えて…風邪引くぞ」 「そんなことより、どうしてここに?」 お返しに力いっぱい抱きしめ返す。実際、桔梗の体もかなり冷えていた。それでも暖かな体温を感じて嬉しくなる。 「心配だったんだ」 それだけで、わざわざ探しに来てくれたのかと思うと、愛しくて愛しくて仕方がない。 「すまない」 「気にするな。良いこともあるからな」 「良いこと?」 桔梗を解放して見つめる。 桔梗は僕の右側に立つと、珍しく自分から手をつないできた。冷たいのに温かい。絶対に逃がさないように指を絡めて掴まえると、くすくすと忍び笑いが聞こえた。 「ほら、な。凍季也と手をつなげる」 無邪気な笑顔で言ってくれるものだから、思わず乗り過ごしも悪くないと思ってしまった。 |