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選択肢ゼロ



「結婚しないという選択肢は?」
「ない」
真顔で言い切ると、水鏡は目に見えて嫌な顔を浮かべた。こら、と隣の席に移動して華奢な体躯をどつく。
「止めろ。ぶん投げるぞ」
私の体を押し返して距離を取る。尻の下に敷いた座布団をずりずりと引きながら窓側に移動するので、座布団は置きっぱなしで迫るように水鏡を追いかける。
「水鏡にそんな力ないでしょ」
「うるさい。蹴るぞ」
長い脚を見せびらかすように膝を立てた。水鏡の背中が日差しの降り注ぐ大きな窓ガラスにぶつかって、じりじりと距離をつめる。
「諦めなよ。水鏡に拒否権はないんだから」
そう言って、青い車にピンク色の棒を突き刺した。
「あ、」
「ほら、ルーレット回して。祝い金いくらなの?」
私たちの目の前でテーブルの上を占領しているのは、定番のボードゲーム『人生ゲーム』だ。水鏡は青、私は赤の車でやっと水鏡が結婚マスに強制停止させられた。
「……結婚しないという選択肢は…」
「だから、ない」
未練がましげにルーレットに手をかける。カラカラと軽快な音が弾き出したのは3だった。
「うわ、二千円」
薄ピンクの紙切れを二枚ほど水鏡に押し付ける。
「ドルだけどな」
躊躇いがちに受け取ると、次はお前だぞ、という視線を送られて苦笑いで頷く。
「どうせ私も結婚だけどねー、と」
車をひとつ進めて、ルーレットを回す。普段はでてくれないような大きな数字で針を止め、私が小さく唸ると水鏡は鼻で笑った。
「何よ」
「別に。ろくでもない男とは結婚するなよ」
小馬鹿にしたように言われ、腹を立てて水鏡の脛を蹴飛ばす。お返しにでこぴんがひとつ飛んできた。最近爪を切っていないからか、軽い音をたてて弾かれたそれが少しばかり痛い。
「なんで水鏡が心配するの、そんなこと」
ピタリと赤い給料マスに止まり、やや上機嫌にセルフバンクをする水鏡の脇腹を小突くと、身をよじってから私の手を掴み、何もできないように指を絡めてから座布団に落ち着いた。
「ろくでもない男に引っかかってる自覚でもあるのか」
「どういう意味?」
「やけに突っかかってくるだろ」
そのろくでもない男が、淡いブルーの髪の隙間から濃紺の瞳を眇めてうっすらと笑みを浮かべる。わかっているくせに、と眉を寄せて不平を垂れる。
「それはあんたでしょうが」
「失敬だな」
声のトーンが一段下がった。表情こそ変わっていないが右手に掴まれていた紙切れは無造作にボードの上に置かれ、空いたその手が滑らかに私の頬をなでる。
「僕のどこがろくでもないって?」
言わせる気があるのかないのか、つ…と唇をなぞって人差し指を立てると、突然顔をぐっと近付けてきた。
「校則も守らないし無断欠席するし」
やはり表情を崩さないまま水鏡が先を促す。とても言い辛いと思いながらもリクエスト通り続ける。
「別に将来どうするとも決まってないのに女連れ込むし」
「ひとつ、うちの学校で頭髪に関する校則はない。ふたつ、学校に後日連絡をいれている」
言い終わった瞬間、用意していたのか素早く切り返してくる水鏡。
「最後に、将来どうするかって?」
「あ、」
先に進めた青い車をピンクマスに戻して、乗せていたピンクの棒を爪弾く。まさに青い棒を隣に乗せたばかりの赤い車からピンクの棒だけを抜き取って青い方に移動させた。
「こうすればいい」
余計なものはいらないと拒むように、赤い車と不要な棒を手で払った。
「……傍若無人って言うんだよ」
「声が小さくてさっぱり聞こえないな」
絡めていた指を離してわざと距離を取る。先の発言は人生ゲームのみに於いての発言だったのかと呆れるやら感心するやらで、もう進めようがないなと呟いた水鏡の横顔に指を刺した。
「何をするんだ」
ぷにぷにと水鏡の頬で遊んでいると流し目で諫められる。
「別に」
「結婚したくないのか」
あまりにもあからさまに、真剣な瞳で問い詰められて返事に窮する。普段は無関心な態度のくせに、時折こうした強引さを見せるから狡いと思う。
「……結婚しないっていう選択肢は?」
水鏡は驚いたように目を瞬くと、口の端を持ち上げて妖艶に笑った。
「あるわけないだろ」