ひとめぼれの奇跡 一目惚れなんてあるわけねーだろ。 と、思っていたのは昨日までの私で、散々あちこちの男性に一目惚れをかましていた姉をバカにしていたことを平謝りしたい。 私、一目惚れしました。……まあ、端的に言ってしまえば一目惚れ。そうなります。 「なん、人ん顔ば凝視しとーね。立たんや」 眉を引き寄せた、若干不機嫌なイケメンフェイスをなおも凝視する。気の強そうなつり目と、それに対応した真っ直ぐな眉。額の真ん中あたりで分けられた黒髪は、少し硬そうな印象をうける。 大部分が迷彩柄で占められたTシャツと、鮮やかなジーンズ、スポーツブランドのスニーカーと、ごくありきたりな男子高校生の私服だ。少し珍しいのは、迷彩柄のキャップを被っていること。 「おい、聞いちゅうか」 隠す気なんてまるでない、バリバリの方言。私は地元民だから、名古屋じゃないのはわかるんだけど…どこの地域の方言だろう。 「え、あ、ごめんなさい」 雰囲気に威圧されて謝ると、その人は少し視線をさまよわせてから、右手を差し出した。腕時計が巻いてあるから、左利きなのかもしれない。 「……足首でも捻っとうや?」 「い、いえ! 大丈夫です!」 しゃがみ込もうとするその人の手を取って、慌てて立ち上がる。うわ、大きくて堅い手だな…。 控え目に見ても上の下に分類されるその人に、私は一目惚れした。一瞬で恋に落ちた。 きっかけは、私が転んだことだった。何もない道で足を引っかけ、鞄の中身を派手にぶちまけながら転倒した私が、誰もいないよなーと確認に顔を上げると、この人がすごく驚いた表情で私を見ていた。他に誰もいなくて、三秒くらい見つめ合って、そのうちのコンマ二秒くらいて惚れた。 「……ほんっとに、怪我してなかしな?」 「は、はい。本当に大丈夫ですから…」 疑り深い視線をむけてくるその人に慌てて首を振る。本当に、嘘偽りなく怪我ひとつないのだ。 それに、別にこの人のせいで転んだわけでない。こんなに心配してくれなくても平気なのに。 鞄の中身を拾うのまで手伝ってもらっちゃって、なんて親切な人だろうと好感度がうなぎ登り。使い方間違えてる気もする。 「うわっ、と」 「っ、と…。あんた、靴ん踵ば壊れとーやん」 「え? うわ、ほんとだ…」 足元のバランスを崩したところを支えてもらい、言われたとおり見てみれば、決して低くはないヒールが片方だけ折れていた。いっそどちらも折れていれば、と思わないでもない。 「家、近うか?」 「はい?」 「やけん、家近くや、訊いとう」 いや、あの、かっこよさに拍車をかけてるのはわかりますが、ちょっと言葉が分かりづらいです。 「はあ、まあそれなりに…」 知らない言葉だから旅行かとも思ったけど、もしかして引っ越してきたばかりとかなのかもしれない。そしてそうであるならすごく嬉しい。 「ならタクシー呼ばんでよかな。ん、」 「ん?」 タクシー呼ぶって本当にどこまでケアが行き届いてるんですか。ていうか本当に真面目にかっこよすぎて心臓壊れそう。 「俺も近くやけん、送っちゃあたい」 神様はおられるんですか。 「あ、やっぱり。最近引っ越してきた方なんですね」 聞き慣れない言葉だったから、と笑う。 「ああ、そげんこつか…」 標準語を使う気がさらさらないのはなんとなくわかったので、集中してその人の言葉に耳を傾ける。 「どちらからですか?」 「福岡ばい」 「わ、結構遠いですね…」 「いや、そうでもなかしな」 ……この会話、絶賛おんぶされながらしてます。いいって断ったのに、最終的に半ば脅され、しぶしぶお願いした。私が頼むならともかく、と思ったけれど、一目惚れした名前も知らない相手だから、お得感は強い。 「あ、そこの角を曲がります」 「おう」 平日の昼間なのに、猫の子一匹いない。人通りの少ない道でよかった。 というか、この人は大した荷物も持たずに、平日の昼間から何をしていたんだろう。散歩がてら近所の散策かな。 「その、クリーム色のとこです」 「…ここか?」 「はい!」 やっと自宅の前にたどり着く。 「本当に、わざわざありがとうございました」 「いや。……ここか」 「?」 深く頭をさげると、その人はふーんとあたりを見回した。 あ、せっかくだからお礼をしなければ。近所に住んでいるのなら、せめて名前くらいは聞いておきたいし。 「あの、よかったらお礼がしたいので…うちに少しあがっていきませんか?」 「…あ?」 「や、だから、お茶でもご馳走しますよ、と」 いま思ったけど、一目惚れから進展するのって実はすごく難しいんじゃ。 「いや、よか」 しかも断られた。 「場所分かっとうけん、今度来っとね」 「…、え?」 その人はひらひらと左手をふりながら背を向けて歩き出した。名前、きかなきゃ。 「あの!」 「なん?」 「お、お名前教えてくれませんか!」 ぴたりと足を止めたその人は、私の隣の家の表札を指差した。 「功刀一」 くぬぎかず。漢字はわからないけど、かわりにわかったこと。 「えっ…。お、お隣に越してきたの、あなただったんですか!?」 春先、慌ただしいなぁと引っ越し業者を見ていたけれど、まさか当の本人だったなんてゆめにも思わなかった。 「きさん、名前は?」 なんという奇跡かと思っていると、また声をかけられる。 「おい」 「あ…、桔梗、です!」 たぶん名字は知ってるだろうし、くぬぎさんには名前を知ってほしかった。 「ん、わかった。桔梗」 「は、はい?」 でもやっぱり、すぐに名前で呼ばれるとドキドキする。 「今度ん日曜、空いとうか?」 「え? はあ…」 「ちょっと付き合えや」 にしし、といたずらっ子のように笑うくぬぎさんを見て、絶対お姉ちゃんには見られたくないなと思った。だってお姉ちゃん、間違いなく一目惚れするだろうから。 それにしても、なんてミラクル! |