僕じゃない 欧州遠征から帰ってきて一番の衝撃は、一枚のハガキだった。 「……嘘やろ」 宛名を見る分には知らない人のように思えたが、ひっくり返してみれば何と言うこともない、結婚しましたという報告だった。 ――南場桔梗 あいつ、もう花南じゃないのかと思うと同時に、相手の男は誰だとガン見する。 知ってるはずもなく、諦めてハガキが届いたのがいつか、消印で確認する。 「タイミング悪かやろ」 欧州遠征に出た数日後だった。 「ばってん、俺はあいつん結婚なん聞いてなかや」 結婚式に行っていないどころか、あったという話も聞いていない。もしかして身内だけで済ませたのだろうか。 結婚の経緯や経過がどうであれ、帰国して早々これじゃあ酷すぎるというものだ。ここでグダグダするくらいなら、走ろうかと決意する。 誰だよ、初恋は実らないなんてほざきやがったのは。ぶっ飛ばす。 ハガキに書いてあった住所へやってきたはいいものの、それからどうするのかまったく考えていなかった。 「だー、俺んアホ!」 平日の昼間だ。旦那は当然仕事だろうし、桔梗だってそれなりに忙しいだろう。買い物に行っていることも考えられる。 救いがあったとすれば、まだ子どもはいないらしいことくらいか。 「って、違う」 本題からそれている。現実逃避にはまだ早い。俺にはなすべきことがある。 深呼吸をして、南場と見慣れぬ表札の掲げられた門前に立つ。インターホンをおす手が小さく震えた。 カチ、とおすと、軽い音が家主を呼び出す。 『……はい?』 「、あー…」 ここにきて名乗るべきか、ここで何と言うべきか迷う。何も考えてなかった。俺はバカか。 『? あ、カズ? 久しぶり! 今開けるから待ってね』 「…おう」 そうか、カメラくらいついてるのか。 パタパタと家を走り回る音がして、ドアが開いた。エプロン姿の桔梗が顔を出す。 「欧州遠征だったんだって? おかえりー」 「おう」 それしか返せない俺を見て桔梗が笑う。雰囲気とか、笑い方から幸せがにじみ出ている。ああ、やるせねえなと思う。 「とりあえずあがりなよ」 腕を引っ張られ、南場家に連行された。 不躾に家の中を見回しながら、桔梗について行く。玄関においてあった写真立ては見なかった。 「やー、久しぶりだね」 「おう。昼間にすまんな」 ソファに腰掛けて、桔梗が出してくれた紅茶を啜る。実は紅茶が好きじゃないというのは、せっかくだから黙っておこう。 正面に座った桔梗が、にこにこと笑いながらこちらを見つめてくる。 「……なん?」 「んーん、顔見れて嬉しいだけ」 「…さよか」 昔馴染みのよしみで、そう言ってくれているだけなのだろう。それこそ中学生のときから周りに無意識で気を遣うタイプだった。 「あ、というか、ハガキ出したのがカズたち遠征行ったあとだって気付いてさ」 気付かなくてよかったのに。 「でも彼女でもないのに電話するわけにもいかないでしょ?」 国際線は高いからな。 「だから、いつ挨拶に行こうかなーと思っ」「桔梗」 「ん、何?」 言葉を遮る。勇猛果敢にやってきたはずなのだが、もう聞きたくなかった。誰が好いた女の惚気をききたいものか。いきなりすぎて諦めるなんて選択肢はあるわけがない。 「桔梗、よー聞いとれ」 「うん」 すうっと息を吸い込む。 「俺は桔梗んこつ好いとう」 「………え?」 「旦那がどうこうの問題やなかしな。俺はお前が好きじゃ」 「……え、カズ、あの、」 目を白黒させる桔梗を見て、頭の奥がすっと冷えていくのを感じた。高ぶった感情が冷却されて、一気に理性やその類のものが押し寄せる。 「そんだけたい」 紅茶御馳走様、と言い残して南場家をあとにする。たぶん、二度とここを訪れることはないだろう。 玄関で靴を履きながら、写真立てに目をやる。旅行した時のものか、旦那とツーショットだ。これだけ幸せそうに笑えるなら、それでいいじゃないかという気がしてくる。 「カズ!」 門を出ると、玄関からスリッパのまま出てきたらしい桔梗が追いかけてきた。 「バーカ」 昔よりずっと低い位置にある頭をがしがしと撫で回す。 「次会う時は幸せ太りでもしてこんや」 理性を総動員して、精一杯の笑顔と祝福の言葉を贈る。 「……うん!」 逡巡の後、桔梗が笑顔で頷いた。俺のことを考えて悩んでくれればいいと思ってしまうのは、やはり性格が悪いだろうか。 (君の隣に立つのは) |