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前日の出来事



「じゃじゃーん。突撃隣の晩御飯!」
「帰れ」
「いやだみーちゃんのいけずぅ」
チャイムが鳴ったからとドアを開けて、水鏡はのぞき窓で確認しなかったことを後悔した。相手がわかっていれば居留守を使ったのに。
「何のようだ、桔梗」
「だから、みーちゃんの晩御飯に突撃だよ」
「僕の晩御飯に何だって?」
「突撃」
「死ねばいいのに」
「ヒドい!」
バタンと無言でドアを閉める。鍵をかけようとするが、向こう側からドアノブががちゃがちゃと回されて鍵を閉めることができない。結局、いつも通り水鏡が折れてドアを開けた。
「日本語で話せ」
「水鏡くん晩御飯恵んでくださいな」
「断る」
ちょこんと両手を差し出した桔梗の頭を叩く。
「自分で作れ」
「だってお米がないんだもん。米がないとわたし死んじゃう」
「米をやるから帰ってくれ」
「そこまできたらもう同じじゃん。さあ、お邪魔しまーす!」
「あ。ちょっ、待て!」
がほんと強引にドアを開けると、斜め姿勢でバランスを崩し気味の水鏡を押しのけて遠慮も何もなく部屋の中に入っていってしまった。桔梗のあとを追おうと振り返り、一旦玄関に向き直ると桔梗の脱ぎ散らかした靴をそろえ、玄関に鍵をかけた。それからリビングの方へ歩き出した。
「きゃー! みーちゃん、ご飯がないよ!?」
「作ってないからな」
「なんで?!」
先にリビングに入り、勝手にソファを占拠しながら、何もないテーブルを見て桔梗が悲鳴を上げた。ちなみに現在時刻、午後八時。
足をばたばたと動かす桔梗の背中(うつ伏せの状態だから)に座り込み、水鏡は平然とそういった。
「ちょ、重い! いや重くないけどそれなりには重い!」
「そうか、ここにあるのはソファだと思ったんだが」
「ヘルプミー!」
すっと立ち上がると、水鏡はキッチンに姿を消した。桔梗はぐったりとしていて、その後ろ姿に視線をずらしただけだ。
「…チャーハンでいいか?」
「異議なし!」
卵はともかく、具になるようなものがあっただろうかと水鏡は冷蔵庫の扉を開けた。



しばらくすると、ふんわりとおいしそうな匂いが漂ってきた。桔梗は起き上がり、勝手にテレビをいじって待っている。ジャッと威勢のいい音がする度にこんがりした匂いによだれが垂れそうになる。確認すると、八時半くらいだった。
「できたぞ。スプーンはその辺から適当に出してくれ」
ことりとテーブルにおかれたのは、真っ白な皿に盛りつけられたチャーハンだった。水鏡に言われたとおり、桔梗は勝手に食器棚の引き出しをあさり、スプーンを持ってくるとチャーハンの前に座り込んだ。両手をあわせて「いただきます」と言うと、すぐに食べ始めた。遠慮は一切ないらしい。
「みーちゃん……」
「なんだ。うちに紅生姜はないぞ」
「そんなバカな! ……いや、じゃなくて水くれ」
「死ねばいいのに」
とため息をつきながら、水鏡は結局冷蔵庫から水を出してきてコップに注ぐと桔梗に差し出した。
「さんくす」
ごきゅごきゅと水を飲むと、またチャーハンに手を伸ばす。自分の家で食べていないのだろうかと水鏡は首を傾げた。
「こ、これは…!! みーちゃん!」
「さっきからうるさいな。なんだ」
「このチャーハン、パラパラじゃないよ!?」
卵もふわふわじゃないし、とスプーンを行儀悪くかちゃかちゃと鳴らしながら桔梗が抗議した。
「別に僕が食えと言ってるわけじゃない。お前が食べないなら米と卵とガス代が無駄になるだけだ、安心しろ」
さっと横からチャーハンの皿をかっさらいそう言うと、桔梗はむっとして手を伸ばした。
「食べるし。よこせ」
なんで偉そうなんだと思いながら、皿を手渡した。カツカツと皿の上のチャーハンが桔梗の小さな体の中に消えていく。昼間はびっくりするくらい小さな弁当を食べているが、やはり夜には腹が減るらしい。少し多く作りすぎただろうかと心配していたけれど、桔梗が全部食べてしまいそうだと思った。
「あ、そういえばさ」
「ん?」
「みーちゃんはご飯食べたわけ?」
桔梗が訊ねると、水鏡は少し考えてからいやと首を横に振った。
「え、昼からなんも?」
「食べてない……と、思う」
「ええ!?」
「うるさい」
大きな声を出して驚いた桔梗に顔をしかめてみせると、水鏡はいい加減立っているのも疲れたと腰を下ろした。桔梗がきれいに、米粒一つ残さないでチャーハンを完食し、皿をシンクに下げた。
「お腹すいてないわけ?」
「ああ、特に……いや、やっぱり減ってきた」
言われると意識するようになってか、水鏡はますます表情を険しくした。桔梗は呆れたように水鏡を見つめている。
「なんか作ってあげようか? ほら、正しいチャーハン」
立ち上がって勝手にキッチンに入ろうとすると、ぐいと水鏡がその腕をつかんだ。桔梗が不意をつかれたように目を丸くした。
「いい」
「なんで」
「何でもだ」
桔梗が不服そうに頬を膨らませたので、水鏡は苦笑して「もう寝る」と言った。
「早い」
「眠いからいいんだ」
「じゃあ寝る? 寝るの?」
「ああ」
ぱっと腕をつかんでいた手を離して水鏡も立ち上がった。桔梗が水鏡に向かって「すぐ戻るから起きて待ってて!」と言い残し、一度水鏡宅を出て行った。
そして本当にすぐ、二分もしないで戻ってきた。その手には、大きな白い箱を持って。桔梗に言われたとおり待っていた水鏡は、勝手にドアを開けて入ってきた桔梗をまじまじと見つめた。
「何だ、それは」
「じゃじゃーん! ケーキです! ホールと見せかけて実はピース!」
桔梗はテーブルの上に箱を置くと、開いて水鏡に中を見せた。ショートケーキやモンブランなど、いくつかの種類のケーキが入っている。数を数えると4つあった。
「急にどうしたんだ?」
今はもう夜なんだが、という突っ込みはひとまずおいておき、とりあえず根本的な質問をした。桔梗がにっこりと笑う。水鏡は桔梗がケーキを買ってくるような理由を考えたが、特にそれらしいものは思いつかなかった。
「フライングハッピーバースデー!!」
「…フライング、って」
「いいじゃん。ご飯食べてないんでしょ? 甘いものでも食べて少しは太りなさいよ」
「こんなに食べられない」
「わたしも食べるし」
「三個も食べるのか? 太るぞ」
「二個だよ!!」
心配そうに眉を寄せた水鏡の脛を桔梗が蹴り飛ばした。地味に痛かったのか、足をさすっている。
「痛……プレゼントノーカウント」
「えっヒドい!」
無言でケーキの箱を閉めた水鏡に、桔梗が驚いたようにその腕にしがみついた。にべもなく振り払うと、水鏡は冷蔵庫に箱をしまった。
「もう寝る」
「みーちゃんのおバカ!」
「あー」
「腹立つなもう!」
もういいよ、と言って桔梗が玄関に向かった。その後ろ姿に声をかける。
「明日、弁当作ってくれ」
やや間があって、
「お重に詰めてく」
と返答があった。そんなに食べれるわけがないだろう、と思いながら、水鏡は寝室に入っていった。