うゐのおくやま



こちらは前も後ろも見えない。壁に手を突いて、それだけを頼りに前へと進む。彼女には私が見えているのだから、追うのも造作ないのだろう。
それにしても、城内に人が少ない。これだけ歩き回れば誰かが見つけそうなものなのに。

「今、城には刀兵衛殿も忍衆もおりませんわ」
「……何故」
「婿殿の城へ行っていますから」
「刀兵衛が私に何も言わず出掛けるものか」

彼女は笑う。分かっているのだ。私は見えぬから、その言葉が本当か嘘か決めようがないことを。もし彼女が、刀兵衛や忍者たちを別にしても、既に城内の者を手に掛けていれば、当然誰の気配もしないだろう。
――それでも。

「良くやってくれおったわ……仕事放棄か、仙蔵め」

彼の忍が現れることを願っていた。一番近くに控えていたはずの仙蔵が未だ姿を見せていないということは、最悪の可能性もある。侍女如きにやられるとも思えぬが、何かあったとしか思えない。

「失礼、葵姫」

しかし、奴は。

「お着物、厄介な香を焚いておられたので手間取りました」
「…仙、蔵…」

暫し耳を塞いでいてください、と言われ、その通りにする。すぐ側にあった仙蔵の気配が、ふわりと消えた。見えずとも生きていけるよう、聴覚が発達した。そして、人の気配を掴むことも。
仙蔵がどうするつもりなのか、予想はついていた。彼の者は私の身辺警護を司る忍。それに対する者の末路は――死。あの侍女の息の根が止まったら、私には気配でわかる。けれど仙蔵は、それでも私が何も聞かぬように指示した。その心遣いが、ひどく不安だった心に沁みた。

「……仙蔵?」

刀兵衛も、仙蔵の実力は高く評価していた。これしきのことでくたばるまいとは思うものの、見えず、聞こえない世界はただただ真っ暗で、怖かった。

「もう終わりました、姫」

耳をふさいでいた私の手を、仙蔵のほっそりとして、けれど大きくて少し無骨な冷たい手が外した。
音は、何も聞こえない。
気配も、ない。

「姫の警護である私が、姫を危険に晒してしまい申し訳ありませんでした」
「仙蔵……」
「刀兵衛殿が帰ってきたら、私はお役御免でしょう」
「そんな…!」

確かに、仙蔵は私を危険に晒した。だが、それを見つけ出し、救ってくれたのも仙蔵だ。感謝こそすれ、解雇するなど、あまりに無礼というもの。
そう言ったけれど、仙蔵は微かに笑っただけだった。おそらく、首を横に振ったのだろう。

「良いのです、葵姫。もうしばらくで姫の縁談が整います」

私はそれまでの契約。
色のない、平坦な声だった。仙蔵が今、何を思い、何を考えているか見当もつかない。ただ、無性に切なさを覚えた。

「仙ぞ、」
「葵姫」

被せるように、仙蔵が口を開く。その気配ははっきりと、私の正面にある。

「――、」
「え?」

囁くように低い声が耳朶を打つと、仙蔵の気配が一気に近付き、着物を一枚羽織っただけの冷え切った肌と、かすかに開きかけた唇に人の体温を感じる。

「葵姫、貴方は私の中であまりに大きな存在になりすぎた」
「それは、」

仙蔵に抱き締められ、自分の体が思いの外冷たかったことに気がついた。仙蔵の手は冷たくて、だけど息が詰まるほどの力強さに抱かれて、言葉が続けられない。

「貴方は私を雇い忍としては、重用しすぎた。私は本来、影に潜む者。側においてくださるだけで十分だった」
「なあ、仙蔵…」
「姫の美しさは、一目見たときからわかっていた。けれど自分が葵姫、貴方に心を奪われるとは思わなかった」

それがとても、嘘や冗談のようには聞こえない上、ここで私を騙す利点も無いわけで、私は、仙蔵の言葉を信じるしかない。

「無礼打ちは覚悟の上……葵姫、貴方の目は、この立花仙蔵が治してみせよう」

仙蔵はそれから、「それまで暫しの暇をいただきます」と言った。
刀兵衛には何と言おうか、雇う侍女たちを改めねばならぬとか、そんな考えが頭を巡る。仙蔵は帰ってくると考えて良いのだろうか。ならば私が雇ったままという形になるのか、それとも客人として迎え入れるべきなのか、相談したいことは山の如しだ。

「仙蔵、そなたは何故そこまでしてくれる?」
「……貴方に」

真かもわからぬ色沙汰で、自らを投げ打ってまで盲を治す術を探すなど正気ではない。まして仙蔵は美しく優秀な忍、私如きに構う必要もないだろうに。
ただの情けなら、今更要らない。それが仙蔵なら尚更だ。

「ただ、美しいものを見せたいからだ」

柔らかく微笑んだ仙蔵の気配。返す言葉もなく、身体の力を抜いて仙蔵に預けた。私には、砕けたくらいが丁度良い。そちらの方が良いと呟けば、仙蔵はまた笑った。
決して伝えてはならないことだとわかっていたけれど、それでも思わずにいられなかった。
――ただ、仙蔵が愛しいと。



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