さよならは言わない

「エアリス!!」
彼女の体が、ゆっくりと倒れていく。世界が全ての動きを止めてしまったかのように、その一秒は長い。
何かに祈りを捧げる姿のまま、瞳を閉じた安らかな表情のまま傾いでいった。あまりに清らかで無垢な姿に、ただ圧倒される。
ひょこんと結ばれたリボンから、何かがカツンと落ちて転がった。淡い緑色に包まれながら、それは祭壇の下へ落ち、湖に飛び込んだ。
逆光で影しか見えない姿。
黒い片翼。
銀色に輝く髪。
冷たい双眸。
長い白刃。
かつて、英雄と謳われた男。
ある時から世界に背を向けたはずの男。
誰よりも空虚な心を抱いていた男。
「セフィロス――ッ!!」
その瞳には何も映していない。身体が芯から冷えるような薄い笑みを浮かべている。酷く整った容姿は命のない無機質な何かに思える。
クラウドの腕に抱かれた彼女を見て、ただ悔やむ。
――間に合わなかった。
声をかけることが、手を伸ばすことが、彼女の元へいくことが、できなかった。
魂が抜けてしまったように体中に力がなく、だらりと垂れ下がった腕はなぜか異様に白く見えた。クラウドはエアリスを床にそっと横たえて立ち上がる。
ふつと沸き上がる感情。
……もう二度と。
彼女の笑顔を見ることができない。
彼女の怒った顔を見ることができない。
彼女の優しい声を聞くことができない。
彼女から言葉も返ってこない。
彼女と陽だまりで笑いあうこともできない。
彼女に名前を呼んでもらえない。
堰を切ったように溢れ出す思いは、行き場もなく。ただ激しい感情の流れとなって体の中を巡っている。
こんなんじゃない。こんなんじゃないのに。
こんな風に出会いたかったんじゃないのに。
幼なじみの彼が言っていた、ぶっきらぼうで仕事ができる、とにかく強くて憧れている存在。誰もが夢を見て、英雄と呼んだ男。
しかし、世界にただ一人で反旗を翻した男――元ソルジャーファースト、セフィロス。
凍てついた瞳の奥に感情を閉じ込めて、世界を、自らさえも壊そうとしている。
大切なものが、手のひらから零れ落ちていく。待ってほしくて手を伸ばすけれど、落ちたそれは弾けて消えてしまう。どこにも、存在の跡を残しはしない。
「どうして……っ」
そうじゃないのに。
こんなんじゃないのに。
何も守れなかった。
私はいつも、みんなに守られてばかりで。
笑顔の似合う、少しだけ歳の離れた兄のような幼なじみ。
花が大好きで、実の姉のように接してくれたひと。
みんなみんな、なくなっていく。
一人だけ世界に取り残される。
心が、壊れてしまいそうだった。
「アイリス、しっかりして!」
ティファの声ではっとする。とめどなく溢れる感情の渦に巻き込まれていたようで、顔をのぞき込んでいるティファに焦点が定まるまで時間がかかった。
「アイリス、……大丈夫?」
強張った表情を崩そうとして、自分がひどく不細工な顔をしていることに気付く。身体の力が抜けている。あたりを見回しても、銀色の男は見当たらない。天使と呼ぶにはあまりに禍々しく、悪魔と呼ぶには純粋すぎた彼は、どこかへ去っていったようだ。
「……アイリス」
クラウドの声がする。
振り返ると、エアリスを抱きかかえたクラウドが立っていた。まぶたを下ろした彼女は、静かに眠りについているように見える。
「エア…リス……」
近寄ろうとするけれど、脚に力が入らない。よろけながら、クラウドに抱えられているエアリスの顔を覗き込む。
「エアリス……」
とても、穏やかな顔をしていた。
教会でこっそり、花に囲まれて昼寝している時のような。あるいは、二人で買い物に行った夜に言葉を交わしたときのような。些細なことが思い出される。
それはただ、綺麗な顔だった。
「エアリス…ッ」
ぽたぽたと涙がこぼれる。俯いて、嗚咽をこらえた。
クラウドが側を通り過ぎていき、誰かにぽん、と肩を叩かれる。顔を上げられずに足元だけを見ると、赤いマントがゆるやかにはためいていた。励ますわけでなく、慰めるわけでもない手のひらは温かくて、余計に悲しかった。
エアリスを恐ろしいまでに透き通った湖にそっと浸して、クラウドが戻ってきた。
ゆっくりと沈んでいく。
ヴィンセントが立ち去るのが見えた。
届かない距離ではないのに、遠く感じられる。厳かな彼女の姿は、星へ捧げられる供物のようで、あるいは汚れた世界に淘汰された天使のようで、美しく、清らかであり、そこにはしかし、生命がなかった。
――エアリス・ゲインズブールは、もう世界中のどこにもいない。
空恐ろしくなる。
嫌だ、怖い、誰か側にいて。
「アイリス、」
クラウドが降ってきて、片手で頭を抱き寄せられる。ぐっ、と。力強く。温かく。
服が、少しぬれていると思った。
「堪えるな。……我慢、しなくていい」
この人は、なんて偽善的で優しいのだろう。きっとエアリスだって気付いていたはずだ。クラウドの人格は、私たちがよく知る男のそれに近い…ほとんど同じであるということに。私はクラウドの本当の性格を知らない。けれど優しく抱き寄せてくれる手つきは、幼なじみのやや乱暴な抱き寄せ方とはまったく異なるものだった
「クラ…ウド…ッ」
声を出さずに、ないた。
ただ、すべてが悲しかった。



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