プロローグ 前編


「ありがとうございました!」

 少女の活気あふれる声が店内に響く。深々と礼をしているかと思いきや、後方から「お勘定」の声がすると慌ただしく小走りで客の元へ向かった。「この店、お出汁が控えめで美味かったわぁ」少女の眉尻が一瞬ぴくりと微動するが、いつも通り朗らかな笑顔を見せた。「ありがとうございました」小銭を受け取り、再び深々と頭を下げる。そしてすぐさま「注文〜!」「どこに座ればええの?」と、四方八方で様々な声が飛び交うのだが、少女は毅然とした態度で丁寧に対応している。

「あの子、さっきからすごいですね」

 ずぞぞ、と麺を啜りながら沖田がぽつりと呟いた。隣でたくあんを摘む土方が横目で少女を追い、彼の真向かいに座る永倉もまた、麺を啜りながら頷いた。

「あの小回りが利く様はまるで太郎のようじゃな」
「年も近そうだしなぁ」
「この間におくんのお店でお手伝いした時も、あんなあんな感じだったんですか?」

 三人の視線が永倉の隣に集まった。器に残った汁を飲み干し、どんぶりを置いた瞬間大人三人分の視線が向けられたものだから、はじめは少々むせた。咳き込みながらも「急になんだよ…」と不機嫌そうに返すのはいつもの調子である。

「はじめ、お前はあの子みたいに捌けんのかって話だよ」
「くだらねぇ。そもそも俺の本業じゃねぇし」
「その様子じゃと足を引っ張っていたようじゃな」
「あぁ!?喧嘩売ってんのかてめぇ!」

 はじめが席を立とうとすると沖田が口を尖らせた。

「ちょっと、やめてくださいよ〜!」
「総司、いいから早く食わねぇか!だから大盛はやめとけって言ったんだよ!」

 沖田が頬いっぱいに麺を含み咀嚼している。そこを隣の土方が肘で小突いた。

「土方さんは食べるのが早すぎるんですよ〜!もっと味わうべきです!それに私、この店のうどんをずっと楽しみにしてたんですから!…あぁ、あとはお汁だけになっちゃいました。食べ終わるのが惜しいですね…」
「ったくガキじゃあるめぇし…」
「総司は本当に昔からそういうところは変わらんの〜。…まぁ、確かにうどんの麺もコシがあって美味かったな。…おまけに看板娘も明朗快活ときたもんじゃ」

 永倉の手が伸び、爪楊枝を取ると視線ははじめに向けられた。

「はじめ、お前も年頃じゃろう。年の近しいおなごを見てなんとも思わんのか?」

 永倉は爪楊枝を歯茎に入れながら尋ねてきた。彼の頬は緩みっぱなしでニヤついている。この顔をしている時は本当にロクでもない質問をされるのは慣れっこだ。

「フン。俺には一切関係ねぇことだ」
「ま〜たスカしたこと言いよって…」

 お前が聞いてきたから答えたんだろうが。はじめはげんなりしつつも、先ほどの少女を渋々目で追った。

「名前!かけうどんできたぞ!すぐお持ちしろ!」
「はい!」

 店主の声が店内に響いた。あの少女は名前というのか。気付けば四人の視線は再び名前に向けられた。
 名前はお盆から空いた器を下ろし、代わりに湯気が上がるうどんの器を受け取った。三人前のどんぶりが乗っているのでなかなかの重量があるのだろう。彼女のお盆を持つ腕は微かに震えているが、腹部に力を入れてなんとか持ち堪えている。しかし客の元へ運び終わると、しかめっ面はどこへやら、晴れやかな笑顔を見せるのだ。

「姉ちゃん、遅いんやけど」
「このまま来うへんかったら店変えようと思ったわ」

 声をかけてきたのは中年の男性三人組だ。中肉中背で、且つ柄が悪い。名前の年齢や出で立ちは舐められたものだった。
 男達は、まげや着物こそ立派であるのだが、武士の威厳たるものは全く感じず、腰についてる刀もまるでお飾りにしか見えない。どこぞの成金三流侍だかなんだか知らぬが、兎にも角にも、見てるこちらも決していい気分ではなかった。

「お客さん、いじわる言わないでくださいよ。おやっさんのおうどんは日本一美味しいんですからね!食べ終わった後は元気が出ますよ」

 しかしそんな中、名前は男性たちの悪態を上手にあしらい笑顔を保ち続けていた。その様子を見て、四人はこの店が噂になる一理はこの少女にあるのだろうと確信した。
 最近京の街で話題になっているうどん屋があると聞き、土方、沖田、永倉、そしてはじめの四人は市中見回りの後、この店に立ち寄った。噂になるだけあって客層も幅広く、民度もそれなりに比例しているのだが、この店が繁盛している基盤は恐らく名前によって保たれているのだろう。
 うどんの味は確かに美味いし、店内の雰囲気も決して悪いものではない。そこに色をつけていくのが従業員と客であるのだが、世の中は決して人のいい客ばかりではない。揚げ足を取るような悪態をついたり、舐めた態度を取る客だって当然いる。しかしそんな中、名前の接客術は見事なものであった。棘のある言葉を放たれても曇りを見せず、太陽のような朗らかな笑顔を見せる気丈な振る舞いや細かな気付きは、今後も商売繁盛していくだろう。
 しかし土方達にはこの店に関していくつかの懸念があり、下見も兼ねて訪れたのである。その懸念の一つが今行われているところだった。

「ほんなら、不味かったらどうすんの?」

 男の一人が煽るような視線で名前を捉える。

「私が責任を持って“ありえません”って断言しますよ。どうぞお召し上がりください。たくあんも塩気がいい塩梅ですので」
「へぇ…」
「ではごゆっくりどうぞ」

 名前は一切動じずに頭を下げ、その場を後にしたが、男性達は彼女の後ろ姿を舐めるようにしばらく見続けていた。その視線は艶めかしく、こちらも男だからこそ彼らの思惑が手に取るように分かる。
 土方の眉間の皺が少々増え、永倉、沖田の視線も鋭くなった。そしてはじめもまた、睨みを利かせながら静かに鞘に手を伸ばした。四人は殺気を上手く押し殺しているので、男たちはこちらの様子は全く気に留めていない。
 …さて、どうしたものか。四人が視線を絡め合っていたその時、名前がこちらに近づいてきた。

「空いた器、お下げしてもよろしいでしょうか?」
「あぁ。お願いしようかのう」

 永倉が穏やかな笑顔を見せると、どんぶりを重ねて名前に渡した。先ほどまで麺を頬張っていた沖田もいつの間にか完食している。

「とても美味しかったですよ」
「ありがとうございます!お侍様にたくさん食べていただけるのは嬉しいです。…よろしければ温かいお茶、お持ちしますか?」
「いいのか?嬢ちゃん」
「えぇ、もちろんです」
「そりゃあ、ありがてぇな」
「少々お待ちくださいね」

 名前はにこやかに目配せをした後、はじめと視線を交わした。名前の笑顔にはじめは驚き、息を呑んだ。
 大人の色気や渋みを持つ永倉、女形のような気品あふれる沖田、そして役者さながらの顔立ちの土方。そんな中にいるものだから、まさかこちらに視線を向けられるとは思いもしなかったのだ。不覚にも、一瞬動揺してしまったのが情けない。はじめは腕を組み直しそっぽを向いた。

「なんじゃ?照れておるのか?」
 
 永倉の小突きに、はじめの眉尻がピクリと上がった。

「あぁ!?誰が!!」
「いや〜青臭くていいじゃないですか!」
「お前、あの“名前”って子と仲良くならなくていいのか?」
「オッサンまでうるせぇんだよ!なんなんだよてめぇら!!」

 はじめの顔は瞬く間に熱が走り、耳まで赤く染まった。不覚だ。まんまと大人の策に引っかかってしまった。永倉の小突きに反応したらこんな事態になるのは目に見えていたのに。しかし何故だか今回ばかりはいつものように冷静に受け流せなかったのだ。
 焦るはじめに相反して三人は大人の余裕を見せ、はじめの反応も満更ではなさそうなことを踏まえてニヤニヤしている。「こいつら、ここで一回ぶった切ってやろうか」そんな悪魔の囁きがはじめの脳裏を過った瞬間、沖田の視線だけが横に反れ、直後に陶器の割れる音と名前の甲高い悲鳴が店内に広がった。

「何すんじゃワレェ!おい、どう落とし前つけるつもりや!?」

 先ほどの男たちの一人が怒号を散らし、立ち上がった。足元には割れた湯呑とお茶が零れている。そして立ち上がった男性の着物の袖には少々染みが広がっていた。どうやら名前は何かの拍子でお盆をひっくり返してしまったようだ。

「危うく火傷するところやったで!」
「大変失礼いたしました!でも私そんなつもりじゃ…!」

 うろたえる名前の目線が下に落ちると、他の男達は少々焦りつつも立ち上がり彼女を囲った。

「おい、嬢ちゃん。こんなことしておいて、まさか口答えか?どエライひん曲がった根性してはるなぁ?」
「あ〜あ。せっかくの一張羅が台無しや。この着物、一体ナンボすると思うてんの?」
「これ、弁償やからな?」
「そ…そんな…。でも私…!」

 名前が苦慮して目を泳がせている。そしてようやく事態に気付いた店主が名前の元へ向かった。

「お客さん、すみません。うちの娘が何か…!?」
「あのなぁ?お宅の娘さん、どうしつけしてはるの?ツレの着物こないにしてタダ済むと思ってんとちゃいます?」

 一人の男が店主に迫り寄る。年齢が土方達よりも一回り上の店主は瞬く間に顔が青ざめ、名前と同様に慇懃に頭を下げた。

「お侍様、勘弁してください。お代は結構ですので…!ウチも食べていくのがやっとなんです。そこをなんとか…!」
「じゃあかしいわ!世の中満足に食えんやつもぎょうさんおる中、よくそんなことが言えるなぁ!?」
「お願いです。この通りです…!」

 詰め寄られた店主は膝を地につけ、頭を下げた。名前もまたそれに倣い「申し訳ございませんでした」と続けている。男たちは虫の収まりどころが悪いとでもいうように、近くにあった椅子を蹴り飛ばし始めた。椅子が転がる音と共に湧き上がる悲鳴、鼻白む空気、圧倒される緊迫感に耐えきれなくなった他の客たちは颯爽と店から出て行ってしまった。残っているのは土方率いる四人のみである。
 男たちはようやく土方達に気付いたが、こちらに視線が向けられていないことを承知していた。

「…なんや、あっちにもワシらの仲間がおるやないの」
「あんな奴ら放っておけ。どうせ大した流派やないで」
「せやな。ザコやからワシらに怖気ついて動けへんのやないの?…それよりも、大事なのは落とし前よなぁ?」

 着物に染みがついた男が、草履の裏で店主の頭を踏みつけた。

「あんなぁ、おっちゃん。金が払えんのなら、代案するのが大人っちゅうもんやろ?そう思わんか?えぇ?」

 踏みつける力が強まり、店主の額は地に押し付けられている。
 これまで様子を伺っていたはじめだが、流石にマズイと思ったのか立ち上がろうとした。しかし永倉が彼の腕を掴み、咄嗟に止めた。「なんで」はじめは目で訴えた。しかし土方も沖田も「まだだ」と物語っている。はじめは首を捻りながらも、渋々三人に従った。
 店主を踏みつけている男は眉間に皺が寄り、他の二人に目配せした。

「なんとか言ったらどうなんじゃ!」

 隣で見ていたもう一人の男が机上に置かれた器を投げ、陶器の割れる音と共にうどんの麺やつゆが床に飛び散った。陶器の細かな破片は、はじめの足元まで散らばっている。
 名前は苦悶の表情で、涙を零しながら顔を上げた。

「お願いです!もう…おやめください!お着物のお代は私が必ず払います!ですから…もうこれ以上はおやめください!」
「ほう…?お代は必ず払うって確かに言うたね…?」

 男たちの狡猾さが露見した。三人の口元の両端が上がり、悪辣の片鱗を見せる。

「じゃあこうしようや。ワシらが嬢ちゃんを島原で売ったるわ。そしたら今回の件は見逃したる」
「えっ…?」

 “島原”という言葉を聞いて名前が瞬く間に青ざめる。すると男に腕を思い切り引かれ、そのまま空席の机上に仰向けで押し倒された。

「ほんなら、大事な商品やさかい。ガキと言えども、身体が育ってるか色々とちゃんと確認せなあかんからなあ…。ゆっくり吟味させてもらうで?」

 男が艶めかしい瞳をギラつかせ、名前の着物に手をかけた。首元から乳房の膨らみが露になり、白く張りのある肌が開ける。男の手が名前の膨らみに手を伸ばそうとすると、彼女の恐怖に塗れた瞳から涙が目の際を伝った。

 「兄ちゃんたちも逃げたらよかったのになぁ。ワシらに見つかってしもうた運命を恨むんやでぇ?」

 残る一人の男が土方達に向かい、鞘に手をかけて抜刀した。
 その瞬間、はじめは俊敏に空席を飛び越えて移動し、永倉が同時に抜刀した。その後ろから土方と沖田がはじめの後を追い、二手に分かれる。
 それはまさに、わずか数秒の出来事であった。一瞬金属がぶつかり合った音が鳴り、永倉の覇気ある声が全てを呑み込んだ。すると男の痛々しい叫び声と共に、斬り口から大量の血が流れた。そしてはじめは名前の身体を押さえつけている男を一蹴すると、彼女を包み込むように抱き寄せて地に転がった。その上空で再び、激しい金属音が響く。名前の視界が遮られている間に何度かその音が鳴ったが、しばらくすると男二人の断末魔が店内に響き渡った。
 名前は自分の身体が抱きしめられていること、そして暗闇の外で何が起きているのか、ようやく気付いた。

「お怪我は?」

 沖田が刀を鞘に仕舞い、店主に手を差し伸べた。返り血を一滴も浴びていない見事な剣捌きに、店主は怪訝そうにしている。

「あ…あぁ…。大丈夫です…。あの…あなた達は一体…?」
「ミブロ、ですよ」
「ミブロ…?」

 沖田と家主の声を確認すると、はじめは名前を支えながら起き上がった。店内に広がる血痕や血の匂い、そして男達の痛々しくもがく姿は剣を交えた後ならではの状況だ。名前はその光景を目の当たりにすると、声にならぬ叫びと共に息を呑んだ。彼女にとってこの殺伐とした現実は大きな衝撃となったのだ。

「…大丈夫か?」

 はじめと名前の視線が絡んだ。名前の暗澹たる瞳は涙で溢れており、そして首から胸の膨らみにかけての白い肌が露になっていた。不謹慎だと自覚しつつも、はじめの顔に自然と熱が迸る。目のやりどころや気恥ずかしさが緊張となり身体中を巡るのだが、今は理性を勝らなければならぬ状況だ。
 名前ははじめの目線にハッと気がつくと、慌てて着物を整えた。「助けていただき、ありがとうございました」先ほどと同じように頭を下げたが、胸元を抑える手が震えている。

「名前、大丈夫か?」

 店主が沖田に肩を抱かれながら二人の元へ来た。名前は一瞬肩を震わせたが、慌てて涙を拭い振り返った。

「…うん!私は大丈夫だよ。お侍様が助けてくれたから!おやっさんこそ大丈夫?」
「あぁ。俺のことは心配いらねぇ。名前が怪我しなくて良かったよ…!」

 店主が「安心した」と言わんばかりにホッとした顔をした。「お侍様達のおかげで助かったね」名前は涙したことを誤魔化すように再び笑顔を見せる。
 その光景は傍から見れば一件落着のように見える。だが、はじめは怪訝な表情を和らげることはなかった。



「ほらっ!ダラダラしねぇでちゃんと歩け!この腐れ外道どもが!」

 しばらくすると、騒ぎを聞きつけた佐之助が到着した。土方、沖田、永倉に斬られた彼等は全員急所を外されており、致死量に達しなかったので命は取り留めたのだ。張りのある左之助の声に促されるように、男達は役人と共に奉行所へ向かった。

「山を張って正解じゃったな」

 あとは任せた。永倉は土方に耳打ちすると佐之助の元に駆け寄り、お猪口を手に取る仕草をした。「一杯引っかけたら帰る」振り返った永倉は土方にそう伝えると、佐之助の肩を抱いて繁華街の方へと消えていった。残された土方、はじめはその後ろ姿を見送ると、二人はうどん屋の外に置いてある椅子に腰掛けた。

「はじめ、お前はどう思った?」
「…何が」
「じらすなよ。お前が何も気付いてないとは言わせないぜ。…見てただろう?店主と名前の関係性をよ」

 土方が腕を組み、天を仰いだ。店内からは店主、名前、沖田の声が扉越しに伝わってくる。はじめは一度中の様子を確認した。
 名前が店主の傷の手当てを行い、沖田が「お二人ともご無事で何よりでした」と声をかけている。はじめはやはり、先ほど抱いた違和感から目を逸らせなかった。寧ろ、今となっては警鐘と化していた。
 先ほど沖田がミブロだと名乗った際、ほんのわずかではあったが店主の表情が曇った。その一瞬を四人が見逃すはずがなかった。それが決定的な確信となったのは、最後に見た名前と店主のやり取りである。
 はじめはしばらく黙考した後、土方に倣い天を仰いだ。何を思い、何を認めるか。それははじめの主観であるが、出来れば目を背けたい現実と混同していた。

「最初から、全員が名前だけを狙ってたとしか思えねぇ」

 はじめのはっきりとした物言いに、土方は深く吐息を吐いた。

「…総司の目は間違いねぇからな」

 土方の言わんとしてることははじめにも伝わった。名前がお盆をひっくり返す直前、沖田だけがその光景を捉えていた。ーーー男達と店主が視線を絡めていたことを。そして名前を転倒させようと、わざと足を引っ掛けていたことを。
 はじめは最初、店主が踏みにじられていても土下座を続けていたのは名前を守るための矜持なのだと思っていた。そして本当に名前のことを思うのならば、自らが犠牲になってでも彼女を守る発言をしたであろう。
 しかし店主も男達も、もしかしたら名前自身が責務を果たす発言を敢えて待っていたのではないだろうか。…そうでなければ、沖田が店主に声をかけた際に顔を曇らせまい。これまで助けてきた町人達は必ずと言っていいほど、皆が安心した表情を見せ、そして感謝してくれたのだから。
 もし自分たちがあの場にいなければ、今頃名前の貞操は最悪の事態になっていたに違いない。男達がお縄になったとて、名前がこのまま店主の元にいるのは恐らく危険だ。
 土方達の懸念を遥かに上回ってしまったからには、打開策を練らねばならぬ。と、なれば。二人の頭に浮かぶそれは一つに絞られた。

「ひっじかったさん!」

 入り口の扉から顔を出した沖田の陽気な声に二人の肩は震えた。沖田は二人に近づくと小さな声で耳打ちした。

「とりあえず今晩、名前ちゃんは壬生で過ごしたらどうでしょう?」

 まさに、土方とはじめが思案していた通りの言葉だった。

「…お前って奴ァ、よく分かってるな」
「俺もその方がいいと思うぜ」
「良かった。満場一致で決まりですね。…あとは私から上手く伝えておきます」

 沖田は店主を一瞥した。

「あぁ。俺は近藤さんへの報告を急ぐとする。それと念の為にこの辺一帯を張っておく必要があるな」
「えぇ。見張りが来次第、私も一旦戻ります」
「…つーわけだ、はじめ」

 土方が立ち上がったと同時に口角を上げた。何かを企んでいるようなその表情は、バラガキ時代の面影を感じるようなものだった。

「はじめ、お前は壬生に帰るまでの間、名前の護衛をしろ。一瞬たりとも絶対に離れるなよ?いいな?」
「は…はぁ!?勝手に決めんなよ!何で俺が…!!」

 はじめの顔は鳩が豆鉄砲を喰らったようだった。再び耳まで赤く染める彼らしからぬ動揺っぷりは、土方や沖田にとって新しい玩具を見つけたも同然だ。

「またまた〜。本当は嬉しいでしょう?」
「俺がお前くらいの年の時はもう女をたぶらかしてたぜ?ちったぁ大人になりやがれ」
「うるせぇな!余計な世話なんだよ!」

 二人に耳打ちされ、ますます様々な感情が混沌とするはじめ。すると店の扉から名前がひょこっと顔を出した。

「あの…沖田さん。支度出来ました…けど…?」

名前は数日分の荷物が包まれた風呂敷を背負い、不思議そうにしている。

「分かりました。あとはこの子がずっと一緒にいるからね。…安心してください」

 沖田が満面の笑みではじめの背を押した。対峙したはじめと名前の間に気詰まりした気恥ずかしい空気が流れる。

「私は後ほど戻ります」
「俺は先に行ってるぜ。はじめ、名前のこと頼んだからな。しっかり壬生まで連れてくるんだぞ」
(コイツらは…!)

 複雑だけれども、どこかやっぱり嬉しいような、そんなこそばゆくも甘酸っぱい思いがはじめの心を満たしていく。
 早々と歩み始めた土方の後ろ姿を見送ると、はじめはぎこちなくも「じゃあ…行くぞ…」と名前を一瞥した。

「はい!あの…。よろしくお願いします。はじめ…さん…?」
「…”はじめ”でいいよ」
「じゃあ…はじめくん!」

 名前の笑顔は、先ほどの接客時や店主との会話で見せたものとどこか違った。無意識であろうが、肩の力が抜けたような安心感溢れる優しい表情だ。
 …もしかしたら、これが本来の名前なのかもしれない。

「ちゃんとついて来いよ…名前」
「うん!」

 もう、あんな顔させたくねぇな。はじめの心中にそんな感情が芽生え始めたが、今は気付く由もなかった。
 はじめは名前の歩幅に合わせ、二人は壬生へ向かって行った。







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