「おい、立花」

 数学の授業が終わった直後、初めてまともに桑原に名を呼ばれた気がする。一応名前は知ってくれていたらしい。

「…な、なに?」
「あのよ、さっきお前が持ってたシャーペンって…」
「あぁ、これ?」
「…それって、どこに売ってんだ?」
「このシャーペンはね、うちのお母さんの会社で配られてる物なの。だからお店には売ってないよ…?」
「…!そ、そうなのか…。悪かったな」
「え、いや…別にいいんだけど…」

 あからさまに肩を落とし、席を離れた桑原。それを追うように舎弟達は彼の背を追いかけて行った。時刻はちょうど昼休みだ。そのまま昼食を食べに行くのだろう。

「凪沙ちゃん、大丈夫?桑原くんと話ししてたけど…」

 会話の様子を遠巻きで見ていたであろう女友達が寄ってきた。「何話してたの?」と問われたが、敢えて「なんにも?」と返したのは凪沙なりの桑原への気遣いだった。…もしかしたら、彼は思っている程怖い人ではないのかもしれない。凪沙に一つの期待が芽生えた。

 そして翌日。桑原一行が登校し、HRの直前になると席についた。珍しく桐島と、隣にいる大久保が二人で会話を弾ませており、通路を挟んだ席にいる沢村はスケジュール表を開きバイトの予定確認をしている。そして桑原は眠そうに欠伸を一つ、二つしていたところだった。凪沙は「今しかない」と意を決した。

「…ねぇ、桑原君」
「あぁ?」
「これ、良かったらもらって?」
「…!お前、これ…!」

 桑原に渡したのは、昨日凪沙が手にしていたシャーペンの青を基調としたデザインの物だった。桑原の目が丸くなり、彼の脳内は疑問符で溢れた。

「お母さんに聞いたら、試供品が余ってるから持って行って良いよって言われたの。余ったら処分するって聞いてたし…。捨てられるのもったいないから、せっかくだから桑原君にあげようと思って」
「本当にもらっていいのか…?」
「うん」
「…ありがとうなあ、立花!いや、この猫な、俺が飼ってる永吉にすげぇ似ててよ。あ、永吉ってのは俺の飼い猫なんだけどな…」

 ぱぁっと明るい笑顔を見せ、嬉しそうに飼い猫の話しをする桑原は、今まで見ていた彼の姿とは転じた姿だった。純粋に瞳を輝かせ、頬を緩ませる桑原にいつもの強面はない。自然と凪沙の頬も緩み、和やかな空気が出来た。

 その件を機に、桑原と凪沙の会話は自然と増えた。桑原には年上のお姉さんがいるらしく、大層怖くて敵わない事や、喧嘩の強い他校の話し、そして舎弟達と普段どこで遊んでいるか等、話してくれた。凪沙は基本聞き役に徹することが多かったが、桑原の話しは退屈せず、自分とは異なった世界で生きている人のような存在だったため、全てが新鮮だった。

 ある日、桑原が寝坊で遅刻した日があった。朝のHRになっても姿を現さず、凪沙の隣は空席となっている。舎弟達は「桑原さんまだ来ねえな〜」と呟いているが、桐島が身体を大久保の方に向けつつ凪沙を見やった。

「なあ、立花サン?」
「…え?」
「最近桑原さんと話してるけど、何喋ってんの?」
「別に…普通に話してるだけだよ?桑ちゃんが永吉の話しよくするからそれを聞いてて…」
「桑ちゃんだぁ!!?」

 ガタッと席を立つ桐島。それに倣って大久保、沢村も立ち上がった。男子生徒三人から見降ろされ、睨まれる威圧感は半端じゃない。凪沙は怯んだ。

「おい、テメー調子乗るなよ?どの面下げて桑原さんの事ちゃん付けして呼んでるんだ、えぇ!!?」
「えっ、だって、桑ちゃんがそう呼んでいいって…」
「聞けばおめぇよ、桑原さんとCDの貸し借りもしてるらしいじゃねぇか」
「それは好きなバンド歌手が一緒で…」
「お前、もしかして…」

 三人がずい、と凪沙を取り囲み、そして身を屈ませた。威圧感がより増し、凪沙は混乱する一方だ。なんなんだ、この人達は。桑原との関りがそんなにいけないのか?眉を下げ、思わず身を震わせていると。

「桑原さんの事、好きなのか…?」
「…はあ?」

 三人からの問いは、実に素っ頓狂だった。何故、そうなる。その一言に尽きた。

「だってお前、桑原さんが女子と話すって激レアなんだぞ。知らねえのか!?」
「女子なんかみ〜んな、あの人を避けて道が出来る程なのに…それをお前、どうやって桑原さんの心を射抜いたんだ!?」
「まさかもう、付き合ってるんじゃ…」
「ちょ、ちょっと待ってよ!誤解だって!」

 凪沙は事の次第を三人に話した。シャーペンの件やら永吉の話しやら、事細かに正直に、だ。ここで誤解を解かねば後が面倒なのは目に見えている。それだけは断固避けたかった。
 事の顛末を聞き終えた三人は「んだよもう〜」と、項垂れた。

「俺、桑原さんに春が来たと思ったのによ…」
「あぁ、俺もだ。桑原さん、結構立花さんの事話してるんだぜ?いい子だぞーって。だから俺達も信用してたんだ」
「あーあ、桑原さんほどいい男なんていねぇのによ。世の中の女共は何見て生きてるんだろうなぁ?」

 三人は悪態をつきながらも席に戻った。どうやら今までも、凪沙と桑原との関係を気にしてたらしい。残念ながら期待には応えられなかったものの、桑原の性格を否定する気など一切無く、話してみれば案外平気だった旨は伝えた方が良さそうだった。
 凪沙はすぅ、と息を吸い、三人に再度声を掛けた。

「あのさ、私…桑ちゃんの事、最初は怖い人だと思ったけど、今は全然そんな風に思ってないよ。飼い猫の話しも喧嘩の話しも、私が聞きたくて聞いてる事の方が多いし。それに、桑ちゃんって根は真面目でしっかりしてるっていうか…」
「そう、そうなんだよ!!」

 桐島がずい、と顔を出してきた。大久保、沢村の表情にも笑みが出来ている。

「桑原さんはよ、漢の中の漢なんだぜ。俺等もそういう所、憧れてるんだ」
「俺等の事大事にしてくれるし、間違った事は叱ってくれるしな。同い年だけど兄貴みたいなモンなんだよ」
「俺なんかこの間他校の奴らに絡まれた時桑原さんが助けてくれたんだぜ」

 そこから、三人の桑原自慢が始まった。桑原本人から聞くよりも、こうして三人から話を聞くのもまた新鮮だった。皆が桑原を思い、頬を緩ませ嬉しそうに話すその様を見ると、桑原の人望の厚さや人情っぷりがよく分かる。だからこそ、この三人は桑原といつも一緒にいるのだろうと合点した。
 風貌や雰囲気で誤解を招きやすい彼だが、中身は正反対で頑固一徹。筋を通さねば気が済まない漢らしさが、彼等を魅了するのであろう。凪沙もここ数日桑原との関りがあったからこそ、この三人の話しには共感する事ばかりであった。

 桑原が登校したのは、一時間目がちょうど終わった休み時間だった。そこには凪沙を囲むように桐島、沢村、大久保の三人がいる。…一体どうなってんだ?と首を傾げ、自分の席へ向かうと。

「あ、桑ちゃん。おはよう」
「ざっす!桑原さん!」
「待ってましたよ」
「さ、早く座ってくださいよ」
「…?お、おう…」

 桑原が眉間に皺を寄せ、自席についた。舎弟達は勿論、凪沙までがにやにやしてこちらを見ている。…なんだ、この状況。

「おい、おめーらなんだ?みんなでニヤニヤしやがってよ…」
「別に…なんでもないよ?」

 それに答えたのは他でもない凪沙だった。

 それからといいうもの。桑原とその一行と唯一普通に会話が出来る女子、それこそが凪沙だというのはクラス公認となった。数か月後、再び席替えがあったが、またしても桑原と隣になった。「また立花か!かえってそっちのがいいぜ、よろしくな!」と桑原が話してくれるのは嬉しかった。
 因みに担任だけでなく、他科目の教師や周りの生徒からも、凪沙が隣なら安心して任せられると密かに思っていたのは、また別の話しだが。


 とある日の朝、桑原は顔中傷だらけで登校した。聞けば、この学校にめちゃくちゃ喧嘩が強い男子生徒がいるらしい。その男子生徒は上級生かと思いきや、なんと同学年の生徒だったのだ。桑原も喧嘩でそこそこ有名らしいのだが、それを上回るほどの強さを持った者が同級生にいるとは。「喧嘩の話しを聞くだけならまだしも、巻き込まれたくはないなあ」と凪沙が桑原の話しに相槌をしつつ、ぼんやりしていると。

「おっ、喧嘩のよえー桑原じゃねえか」

 廊下側の窓からこちらを除く、一人の男子生徒がそこにいた。その声に導かれ、男を見やれば、桑原とはまた違った強面のリーゼントを決めた出で立ちをしている。嘲笑しながら冷やかし言葉を飛ばす彼こそ、最近桑原が喧嘩を売っている人物、浦飯幽助に間違いなかった。

「てめっ、浦飯…!のこのこと出てきやがって!」
「あーもう、うるせえな。今竹中に説教喰らってきたばかりなんだからよ、喧嘩すんなら放課後にしようぜ。ここでおっぱじめると後が面倒だ」
「上等だぜ。本当は俺が怖くて怖気ついてんだろう?」
「はぁ?馬鹿かおめーは。その言葉、そっくりそのまま返すぜ」

 幽助が桑原と会話しつつ、ふと彼の隣の席に座る女子生徒を見やった。桑原が女子生徒から距離を置かれているのは、幽助も知っていた。この長身で、鋭い目つきと強面という出で立ちから当然だろうとは思っていたものの。この女子生徒は桑原の隣に、普通に座っている。…平気なのだろうか。

「…お前、なんて名前だ?」
「え?」
「桑原の隣に座ってんの、おめーしかいねぇだろ。早く答えろ」
「…立花凪沙、です」
「…ふうん」

 立花凪沙か。桑原と仲が良いなんて、変わった女子もいるんだな。
 幽助は凪沙の名を聞くとそのまま自分のクラスへと戻って行った。

「…なんだぁ、アイツ?」
「さぁ。…なんか浦飯君って、桑ちゃんよりも怖い感じする」
「アイツァよ、喧嘩の鬼だからな。おっかねーから近づかない方がいいと思うぜ」
「うん…そうだね」

 クラスも違うし、きっと今後も接点はなさそうだ。
 ただ、桑原の喧嘩相手の一人、という程度の認識だった。



 その二年後。

 桑原は勿論、幽助との関係が大きく変わるのは、まだ誰も知らない。



もう一つの思い出(後編)



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