皿屋敷中学校に入学して早数か月。春の草花が芽吹く時期も過ぎ去り、新緑の美しさが際立ちつつも、夏を知らせる暑さが目の前に迫っている。
 小学校とは全く違った中学校生活にもようやく慣れ始め、クラスメイトの名前や顔が一致したり仲の良い友達との小グループも出来た。凪沙もまたその一員であり、気の合う友達と移動教室を共にしたり、昼食を一緒に食べたりと、それなりに学校生活を楽しんでいた。

 ある日のHRにて、担任が発案した。

「名簿順での席もそろそろ飽きてきた頃だろう。クラスメイトの名前も皆覚えた事だろうし、席替えでもしてみないか?」

 その言葉にクラス内の雰囲気は期待と不安で様々な声が飛び交った。名簿順の席だったからこそ、新たに友達の輪を広げた生徒もいれば、周りに恵まれずつまらなそうに授業を聞いている生徒もいる。凪沙はどちらかというと前者の方であり、前の席にいる女友達と「このままでいいのにねー」と悪態をついた。授業の合間に他愛もない会話を交わせる彼女と席が離れるのは寂しくもあり、そして不安でもあった。
 凪沙はぐるりとクラスメイトの顔をざっと見やった。同じ小学校出身の友人も何人かいるが、他校からの入学生も大勢いる。クラスの女子とほぼ全員と会話を交わし割と仲良くなれているからまだしも、問題は男子生徒だった。
 凪沙のクラスには入学早々“問題児”と扱われていた桑原和真とその舎弟がいた。界隈の長である桑原は、他の男子生徒よりも数十センチ背が高く、鋭い目つきとリーゼント姿が異端で周りから距離を置かれている。そんな彼を慕っているのが大久保、桐島、沢村の三人だ。
 彼等に因縁やらイチャモンをつけられたら面倒臭そうな上、極力関わりたくない。それがクラスメイトの大半が抱いていたことだった。現に、互いに席が離れているにも関わらず「桑原さん、近くになれるといいっすね!」「馬鹿野郎!俺のクジ運甘く見るなよ!」と大声で会話をしてるこの現状から「彼等と席が隣になりませんように」と誰もが祈った。

「じゃあ、順番にクジ引いて行けよ〜」

 黒板には座席と番号が記されている。一人ずつ教壇へ行き、引いた番号と数字を照らし合わせ、自分の場所を黒板に記名した。順番が進むにつれて桑原の舎弟たちもクジを引き、そして桑原本人もそれに倣って黒板に記名する。
 クラス全員の固唾を飲む音が聞こえるようだった。桑原は一体どこだ。どこの席なんだ。そんな声が今にも漏れそうな雰囲気だった。
 長身な桑原が黒板を離れ、舎弟たちと嬉しそうに教室の隅で会話をしている。その隙に皆が黒板を見やると、桑原一行を除く全員が画面蒼白になった。なんと、教室の一番後ろの角…即ち、隅っこの席が空席となり、その隣は桑原だった。おまけに桑原の前、斜め前、そして通路を挟んだ席が舎弟達だったのだ。
 …見事に桑原一行が固まってしまった。残された桑原の隣の席…今は空席であるが、いずれは誰かの席になる。未だクジを引いていない者達の表情が、一気に不安な色に染まった。
 しばらくすると、いよいよ凪沙の番が巡ってきた。「どこでもいい、頼むから桑原君の隣だけは当たらないで…!」そんな祈りを込めてクジを引いた。折りたたまれているメモを開き、番号を見やると黒板と照らし合わせる。そして「えっ?」と思わず声を上げた後、慌ててクジと黒板を再び交互に見やった。…何度見ても結果は同じだった。

 自分の机を移動させ、席替えが始まった。
 新たな席で友人と近くなり喜んでいる者、大して会話した事ない者同士「よろしく…」とぎこちなく挨拶を交わす者、それすらもせず既に昼寝や読書等、各々の好きな事をやり始める者等、実に様々だった。特に桑原一行は全員の引きの良さで集結してしまい、「やりましたね桑原さん!」「俺等の引きの強さ半端ねえっす!」と既に盛り上がりを見せている。…そう、一角を除いては。

「よし、じゃあ明日から新しい席だからなー!近くの奴と喋りすぎるなよー」

 担任は日直に号令を取らせ、挨拶をすると教壇を降りた。と、同時にクラスメイトは一気に帰り支度を始め、騒めき始める。凪沙は帰りの挨拶を済ませた後、気が抜けたように着席した。桑原達は「ゲーセン行こうぜ!」と既に教室の入口へと向かっている。その後ろ姿を見やった凪沙からは盛大な溜息が漏れた。と、同時にぽん、と肩に誰かの手が置かれた。見上げると担任がこちらを見下ろしていた。

「その…なんだ、立花。あまり気を落とすな」
「先生…それで同情してるつもりですか?」
「いや、俺もまさかこんな結果になるとは思っていなくてな。授業中のフォローはなるべく気を回すつもりでいるから。まぁ、アイツ等の事頼んだぞ。特に桑原な」
「えっ…!?なんですか、それ!?」
「あいつら気が立つ連中だが、流石に女子相手には手荒な事はしないだろうから。ま、ひとつよろしく頼むわ」

 いや、よろしくって何をだよ。生徒に投げるなよ、そんな事を。
 その言葉が出てくる前に担任は教室を後にした。そして機会を見計らい仲の良い女友達数人がようやく声を掛けに来た。心なしか、みんな眉を下げて気を使っているように見える。

「その…凪沙ちゃん、ドンマイ」
「休み時間になったらすぐうちらのところに来なよ」
「…ははは。ありがとう…」

 凪沙は魂の抜けたような空返事をするので精一杯だった。帰り支度をし、友人に倣い教室を後にしようとした時、ふと振り返り自分の席を一瞥した。…嗚呼、明日から思いやられる。どうしよう。そんな葛藤が既に生まれていた。
 凪沙の座席というのは、一番後ろの教室の角。そこは席替えの際、誰もが当たりたくないと願った桑原の隣だった。


「桑原さん、今日の放課後どうします?」
「昨日ゲーセン行ったから今日はカラオケなんてどうっすか?」
「あ、でも俺バイトが…」
「んだよ沢村。だったら最初から言えよなぁ。今日はテキトーにブラついて帰ろうぜ」

 授業が始まってこんな会話を聞くのは何度目だろう。凪沙は机上に広げているノートと教科書を見つつも、嫌でも聞こえてくる会話に心底げんなりしていた。
 席替えの一件から数日が経った。凪沙が懸念していた通り、授業中も休み時間も、この桑原一行のせいで全く心が休まらず、頭を抱える日が続いていたのだ。休み時間はまだしも、授業中の私語はなんとかならないものだろうか。一番後ろの席というのが功を奏したようで、声を潜めて話していれば教壇に立つ教員からは私語はほとんど聞こえないらしい。だが、桑原一行に囲まれている凪沙にはその会話が嫌でも耳に入る上、授業の妨げになっているのには間違いなかった。
 おまけに黒板を見ようと顔を上げると、前席に座る桐島と目が合う回数が格段に増え、別の意味で気まずい思いもしている。「後ろばかり見ていないで前向いてよ!」…と、言えればいいのだが、桑原との会話を止めるのも、そもそも関わる事自体がもはや面倒だったので、諦めて我慢していたのだ。
 そんな日が続いた、ある日の事。それは数学の授業中に起きた。数学の担当教師は授業中の居眠りや私語、よそ見ですら許してくれぬような堅物だった。桑原一行も以前この教員にこっぴどく叱られた事があり、今は大人しくしている。凪沙にとってはある意味至福の時間だった。「毎回こうならいいのに」と思いつつ計算式をノートに走らせ、計算ミスに気付くと消しゴムを取ろうとした。その時だった。
 机上に置いたと思ったシャーペンを落としてしまい、桑原の方へ転がってしまった。それに気付いた桑原が拾ってくれたのだが。何故だかじっと見つめ、一向に返そうとしない。「シャーペン一本で何が気になるんだ」凪沙は思い、それに加え「教員から目をつけられる前に早く返して」という焦りから、思い切って声を掛けた。

「…あ、あの、桑原くん。それ私の…」
「あ、…あぁ。ホラよ」
「ありがとう」

 桑原も突然声を掛けられて少々驚いたのか、目を丸くしたがシャーペンが戻ってきた。だが、凪沙の手元にそれが戻っても桑原の視線は未だこちらに向いている。…一体何をそんなに気にしているのだろう。凪沙は計算式を書き直しがてら、改め己の使っているシャーペンをまじまじと見やった。
 ピンク色を基調とした、その辺の店に売っているような何の変哲のないデザインのものだが。異なると言えば、凪沙の母の勤め先である会社のロゴやキャラクターの絵がデザインされているだけだ。所謂非売品で試供品として顧客に配られている物なので、思い当たると言えばそこしかない。正直言うとロゴデザインだって目を引くようなものではないし、キャラクターだって某有名な耳にリボンをつけている猫のキャラクターを意識したデザインだ。
 そりゃあ、多少の可愛らしさはあるけれども。…猫?その言葉で凪沙の脳裏にふと過った。そういえば以前桑原が舎弟達と「ウチの永吉がよ…」と飼い猫を話題にしていたような。もしかして、猫のキャラクター物に興味があるのだろうか。



もう一つの思い出(前編)



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