35 守りぬく覚悟

人魚と化した凪沙は眉を下げ、飛影の顔を見つめた。
身体を離され、その眼で確認したのは、今まで見たことのない程切なく苦しそうにしている飛影の表情だったのだ。だが、凪沙が名を呼んでくれた瞬間、いつもの仏頂面に戻り眉間に皺が寄った。
初めて見る彼の表情にも驚くが、今更ながら凪沙は様変わりしている己の身体に気付くと目を丸くさせる。

「!!?何、これ…私、足が…!え、ええ…!?」
「落ち着け」
「いや落ち着けるわけないじゃん!だって私の身体…――ッ!!」

足が魚になっているわ、急激に髪が伸びているわ、おまけに上半身は一糸纏わぬ姿をしているではないか。
状況を解せず半ば混乱していると、突然クラリと眩暈が。そして瞳が閉じられると同時に身体が飛影の元へ傾いた。
突然倒れるように胸に寄りかかった凪沙に、飛影は一瞬ヒヤリとする。だが、呼吸音はハッキリと聞こえくるので安堵した。…急激に睡魔が襲ってきたのだろうか。

飛影は己のマントを外し、凪沙を包み込むように身体をくるませた。そして横抱きにすると跳躍し、幻海の元へ。

「…寺へ戻るぞ」
「あ、あぁ…」

淡々と話し、冷静な飛影。彼の様子、先ほどの言動に対し聞きたいことは山ほどあるのだが。ひとまずここは凪沙の身体を優先させた方が良さそうだ。
飛影、幻海は軽やかに木々を伝い山を下り、寺へと向かった。


寺に到着する頃、飛影の腕の中で眠っていた凪沙の身体はいつの間にか人間に戻っていた。髪の長さは勿論、マントから覗く二本足が何よりの証拠だった。
自室に彼女を運ばせ、幻海が衣服を着せてやり布団をかけてやれば、そこにはいつもと変わらぬ凪沙がただ眠っているように見える。
…ますます、先ほど起きた事が信じられない。だが、真相を確かめねば。幻海は飛影に目で合図し、客間へ来るよう促した。

飛影を客間に通し、しばらくした後幻海はお盆に茶を用意して戻ってきた。壁に寄りかかる彼の元に湯呑を置き、幻海もまた腰を下した。
幻海が静かに茶を啜る音だけが客間に響き渡る。飛影はというと、湯呑から上がる細い湯気を黙って見つめていた。
静寂を破ったのは無論、幻海だった。

「…さて、飛影。あんたには色々と聞きたい事があるんだが」
「なんだ」
「あんたも大方予想ついてるだろう。凪沙の事だ。…単刀直入に聞く。あんた、一体凪沙の何を知っているんだい?」
「何の事だ。俺には関係ない」
「…分かった。質問を変えよう。―――潮、とは誰だい?」
「――ッ!!」

潮、その名前が出た瞬間飛影の顔つきは変わり、眉がピクリと上がる。そして何故その名を?と言わんばかりの表情を向けてくる飛影に、幻海は嘆息を一つついた。

「やはり無意識だったか。凪沙が川から跳ねたあの瞬間、蚊の鳴くような声で呟いただろう」
「…チッ。余計な事ばかり聞きやがって」
「悪かったね。あたしの聴力を甘く見るんじゃないよ。…話を戻すが、潮ってのはあんたの知ってる奴なんだろう?そいつと凪沙、何の関係があるんだい」
「さぁな…」
「…その潮ってやつも人魚だったのか?」
「…」

幻海から目を逸らし、飛影は口を紡いだ。だんまりを決めたという事は、恐らく肯定なのだろう。と、なれば。先ほどの人魚に様変わりした凪沙へのあの言動は、以前小耳に挟んだ“凪沙と飛影の知り合いが瓜二つ”に該当する。
…飛影のあの態度を見れば、知り合い以上の関係に見えたも同然だが、幻海は敢えてそこには触れなかった。

飛影は凪沙の元に足を運び恋仲という関係にまでにしたが、そもそも何故そこまで凪沙に執着していたのかが、ずっと疑問だった。この男に恋心という人間らしい情を持っていた事にも驚いたが、どうして彼は凪沙を選んだのか。
その答えが、はっきりとようやく分かった気がする。蔵馬から聞いていた凪沙との初対面での様子、そして今さっきの出来事が全てを物語っているようだった。
幻海は己も女の端くれだからこそ、その勘が働いた。飛影は、潮という女と凪沙を重ねているのではないだろうか。

「…飛影、あんたは妖怪だが、凪沙を守り大事にしていたことは重々承知してる。凪沙に危険が迫らぬよう見守っていたのも、修行の励みになるような施しも、彼女を想っての行動だと思っていた。…だが、本当は凪沙の奥にいる潮って女を想っての事だったのかい?」
「…うるさい奴だな。さっきからベラベラとお構いなしに喋りやがって…!」
「否定しないってことはそういう事だな」
「違う!!」
「ほお、じゃあ凪沙の顔を見て潮って女の事、綺麗さっぱり忘れられるかね?あんたが今関係を築いているのは凪沙だろう?」
「…このっ!!」

飛影は幻海の胸倉を掴み、歯を食いしばった。空いた手には拳が握られ、わなわなと震えている。だが、その拳が幻海の元へと飛ぶことはなかった。
…悔しいが、幻海の言葉は己の心情を全て代弁されたかのようで、且つ図星であったからこそ、それ以上は動けなかった。睨みが一層強まり、紅き炎が揺らめくような瞳の奥には戸惑いと焦燥が入り混じっている。幻海は黙って飛影の視線に応えた。

「…まぁ、それはあんた自身の問題だ。ただ、凪沙を泣かすような結果になってみろ。今度はあたしがあんたを泣かせに行くよ」
「…ほう。なら俺は二度と下らん事が言えぬよう貴様を八つ裂きにしてくれる」
「ふん、勝手に言ってな」

ぱしん、と胸倉を掴んでいた飛影の手を払い、幻海は再度飛影を見据えた。

「…信じたくはないが、凪沙には人魚の血が流れており、それが何らかの影響で覚醒した。あたしにはそうとしか思えなかったよ。…飛影、お前は人魚とはどういった妖怪か何か知っているか?あたしが知る限りじゃあ、童話に出てくるような事しか想像がつかなくてね」
「…人魚族は、希少価値の高い種族だ。人魚の血肉は極上の美味がし、あらゆる妖怪の潜在能力を開花させる力を持つ」
「…他には?」
「本来なら数百年前に絶滅したと言われている種族だ」
「…と、なると…」

言わずもがな、幻海と飛影は恐らく同じことを想像した。

絶滅したと言われている人魚族…その血を引く人間がいる。
その事実は凪沙に霊力が目覚め、亡霊に襲われた例など比ではなかった。それは彼女の血肉を求め、危険が迫りくる可能性が非常に高い事を示す。即ち、命の危機だ。
おまけに、ここ最近人間界で起き始めている不穏な動き…。飛影は魔界の風や魔界虫を、幻海は人間の中に謎の能力を持つものが現れ始めている事を、それぞれ危惧していた。言葉には出さなかったが、これらの現状が凪沙に危険を及ぼさないと良いのだが。

幻海はしばらく顎に手を添えて黙り、思案を巡らせた。そして、ある閃きに辿り着くと「飛影、頼みがある」と話し、一旦席を外す。しばらくすると彼女は戻り、掌を飛影に見せた。
皺だらけの掌にあったのは、以前凪沙が持ち歩いていた波子からの形見のお守りだった。

「飛影、ここにあんたの妖力を入れてくれないか」
「…なんだと?」
「あんたが言った通りさ。希少価値の高い妖怪の血を引く人間がいる、なんて事実が妖怪共に知られたら凪沙に危険が迫る。…あの子の母もこうして力を注いで守ろうとしたんだ。あんたが普段やってることは、あの子の母親と同じ思いだからね。正直、あたしの霊力をとも思ったが、妖気となれば話は別だ。あたしよりも格段に強き者の力の方が安心して任せられる。…やってくれないか?」
「…」

飛影は収められているお守りを見つめ、眉間に皺を寄せた。
妖力など、いくらでもつけられる。だが、脳裏に過る不安の念が手を動かせずにいた。
もし、あの時のように…潮を助けられなかった、あの過去のようになったら?二度とこの手で凪沙を抱けなくなったら?
迷いが判断を鈍らせ、飛影の表情は険しくなる一方だった。…だが。

「…飛影、あんたは強い。その強さは己を奮い立たせるだけでなく、弱き者を守るためにも必要な力だ。過去に何があったかは知らないが、ここで動かなきゃ絶対に後悔するよ。…凪沙のこと、大事なんだろう。それはあたしも、あの子の母親も、幽助や蔵馬、桑原だって同じだ。みんな、あんたと凪沙の味方なんだよ」

幻海の言葉に、胸を打たれた。
…今度こそ、俺が守る。そう決めたはず。ここで動かねば…でなければ、過去からいつまでも脱却できない。そんな気がした。

飛影はようやく手を伸ばし、お守りを受け取った。

「…極上の妖力でやってやるぜ」

挑発的な視線を返した飛影の表情に、迷いはない。
幻海は安堵し、「…任せたよ」と口元に弧を描いた。



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