29 椅子取りゲーム

蔵馬から離れた凪沙はキッチン雑貨の並ぶ棚へ。店内を一周した際、先ほど目に付いた代物があったのだ。…良かった、まだ他の客の手に渡っていない。凪沙は安堵し、それを手に取った。
飛影が部屋を訪れる度に茶を出すことが多く、その都度幻海から湯呑やらカップやらを拝借していたのだが、一層の事彼専用の物があっても良いのではと最近思い始めたのだ。きっと彼はこれからも自分の元へたくさん足を運んでくれる。少しでもほっと一息つける場所になれば、と彼を思いやり、凪沙が選んだのは黒を基調としたマグカップ。…と、その隣に置いてあった同じ種類の白いマグカップだった。彼とお揃いの物を使いたいという、彼女の乙女心が手を動かした。

他にも何か欲しかった物は、と凪沙は再び店内を歩けば、ふと目に留まったものがあった。そこは、写真を基調としたポストカードが並べられている棚。ドライフラワー、海外の街並み、インテリア、スイーツ等、様々なカードが並んでいたが、凪沙が一番惹きつけられたのはコバルトブルーの海の写真だった。恐らく海外かどこかで撮影されたものだろう。
海なんて、子どもの頃何度か母に連れられ遊びには行ったが、正直特別思い入れのある場所ではなかった。だが、何故だろうか…海の深き青に惹きつけられる。そして母の思い出とはまた違う、別の懐かしさや恋しさを感じるのだ。見れば見る程、その青に飲み込まれそうな、そんな感覚を身体中で感じた。

「…凪沙ちゃん?」
「っ!?」

声をかけられ、ハッとした。
見やれば、エプロンを手にした蔵馬が隣に。自身がそうこうしている間にプレゼントが決まったようで、声を掛けに来てくれたのだろう。だが、蔵馬は眉を下げ、凪沙を心配そうに見つめている。

「随分思い詰めている顔してたけど…どうしたの?」
「あ…いや、海の写真見てたら、なんだか目が離せなくて…」
「海…?あぁ、これ?確かに綺麗な写真だね。凪沙ちゃん、海が好きなの?」
「…うん、まぁ、嫌いではないんだけどさ。この写真見てたら海が恋しくなったっていうか…なんか懐かしい感じになって…」
「(…懐かしい?)」

蔵馬は一瞬、凪沙の海を懐かしむ発言に違和感を覚えた。…なんだ?海に惹きつけられるなんて、誰でもありそうなのに。美しい景色や色に魅了されるのは当たり前のはずだが。

「特別思い入れもないんだけどね…。でも、せっかく目についたし、買って行こうかな」
「…うん、良いんじゃないかな」

凪沙はそのポストカードを手にし、マグカップと共に持った。蔵馬はその瞬間、チクリと胸が痛んだ。
彼女の手にするマグカップ。色違いのセットを見れば、彼女が何の目的でそれを選んだか安易に想像出来た。自身の心が彼女に傾きかけている最中、これは正直悔しかった。それはまるで、彼女の隙間に入る余地は無いと言われているようだった。
蔵馬のこめかみがピクリと動くが、表情は変わらず笑顔のまま。凪沙は彼の心情など知らずして、「あ、エプロン決まったんだね!?」と声を掛けた。

「色、ピンクにしたんだ」
「うん。これが一番母さんに似合いそうな色味だったから」
「蔵馬が選んだんだから、間違いないよ!お母さん、きっと喜ぶよ」
「…うん、そうだね」

本当は、君も一緒に来てくれたら母さんはもっと喜ぶと思うんだ。

…その一言が喉の奥で止まり、蔵馬はこれ以上何も話せなかった。

二人は会計を済ませると、駅ビルの屋上へと向かった。そこは公園のように緑が豊かで、カフェが併設されており、とても開放的だった。蔵馬と凪沙はカフェオレをテイクアウトし、ベンチに座った。屋上へ向かう最中、タイムセールをそこら中の店でやっていた事が好じて、幸いな事に人気はあまりない。人混みの中での買い物は少々疲れたので、これならゆっくり休憩出来そうだ。

「凪沙ちゃん、今日は付き合ってくれてありがとう。おかげで良いプレゼントが買えたよ」
「私こそ!ここの駅ビル、学校の友達も話題にしててさ。気になってたから来れて良かったよ。プレゼントも無事買えて良かったね」
「凪沙ちゃんも買い物してただろう?あのマグカップ…」
「え、あ…うん…」

かぁ、と頬を染め、恥ずかしがる凪沙。…今頭に思い浮かばている人物は、きっと一人しかいないだろう。沸々と邪念…妬む思いが蔵馬を駆り立てる。
蔵馬は凪沙がカフェオレのカップを一旦置いたタイミングで、彼女の肩に手を回し身体をこちらに向けた。
突然の事に凪沙は目を丸くさせるが、そんなのは想定内だ。蔵馬は真剣な眼差しを凪沙に向けた。

「凪沙ちゃん、何で俺が今日デートに誘ったか分かる?」
「…え?だってお母さんのプレゼント…」
「うん、それは本当。でも、まだ理由があるんだ」
「ええ?」
「…分からない?」
「うん、ごめん…本当に分からない…」
「…君を、飛影から奪いたいと思ったからだ」
「え、」

何を言っているんだ、この人は。それが率直な感想だった。
飛影から奪う?私を?…蔵馬は、一体何を考えて…?

凪沙の頭上に疑問符が上がった。
蔵馬は「やはり伝わっていなかったか」と彼女らしい反応に、半ば諦め苦笑する。

「はじめは、“幽助の友達として”だったけど、飛影が何で君の事に執着するか、ずっと気になっていてね。…でも、二人で図書館に行った日、凪沙ちゃんのいつもと違う雰囲気にドキッとしたんだ」
「…図書館って、あの日…?」
「そう。女の子らしい一面を見れた事と…あとは今日だね。きっと飛影の反対を押し切って、俺の母さんのために会いに来てくれただろう?プレゼントも真剣に選んでくれて…それが純粋に嬉しかった。いつか、母さんに君を会わせたいとも思った。それくらい、俺は凪沙ちゃんの事、考えていたんだよ」
「…っ!!」

にこり、と優しく微笑む蔵馬に目眩がする。こんな近距離で囁く甘い言葉は、反則としか言いようがない。凪沙は自然と頬が赤くなるのを必死に抑えようとするが、意識すればする程熱は高まってゆく。
蔵馬の綺麗な翡翠色の瞳が凪沙の顔を捉える。彼の瞳に映る自分は、今どんな顔をしているだろう。
そして気が付けば、蔵馬の空いていた手が己の頬を撫ぜ、親指が唇へと伸びた。

「…顔、赤いよ?俺の事ちょっとでも好きになった?」
「…!!く、蔵馬っ…」
「飛影の事は好きなままでもいい。…俺が忘れさせてあげるから。だから、俺と付き合ってくれない?凪沙ちゃんの事、好きになっちゃったみたいなんだ」
「〜っ!!」

言葉に詰まるが、口だけはぱくぱくと金魚のように動いてしまう。この状況、一体どうしたら。…なんて悩んでいる暇は、蔵馬は与えてくれない。
彼の親指は唇からスルリと顎へ落ち、そのまま上を向かされた。そして近づく、端正な美しい顔。瞳が閉じられ長い睫毛を垣間見る。視界が暗くなった。…が。

「―――ッッッごめんっ!!!!」

ふにっという効果音がピッタリだった。蔵馬の近付けた唇は、凪沙の掌によって不発となった。寧ろ、逆に何が起きたのか解せない彼の目がぱちくりする。だが、凪沙は顔の熱さを隠すように俯き、続けた。

「く、蔵馬の…その、気持ちはすっごく嬉しいし、私にはもったいないくらいなんだけど…その、私は、やっぱり、…飛影の事が一番好きで…!!飛影の事、裏切りたくないの!だから…」
「…参ったな。完敗か」

蔵馬は凪沙の手を取りそのまま下ろすと目を伏せた。

「…まぁ、君がマグカップを手にした時からなんとなく予想はついてたんだ。…でも、逆に安心したよ」
「え?」

蔵馬の言葉を疑問に思い、凪沙は顔を上げた。

「凪沙ちゃんも、それだけ飛影の事本気なんでしょう?」
「…!!蔵馬、もしかして試してたの?」
「嫌だなあ人聞きの悪い。俺の気持ちは本気ですよ?」
「いや、そうなんだろうけど、」
「でも、これで終わりだなんて言いませんからね?」
「…え?」
「どうせ後で飛影からお叱りを喰らうと思うから。…ちょっと反抗してやろうかな」

そう零した蔵馬は再度凪沙の手を取り、そして彼女の甲に唇を落とした。
またしても予想に反した事が起こり、凪沙の肩はびくん、と大きく震えたが、蔵馬の表情といったら子供が悪戯をしたような、そんな笑顔であって。

「…チャンスは自分で作るものだからね。俺は幽助と違って諦めませんよ?」
「!!?…何で知って…!!」
「さて、何ででしょうね?」

…今更ながら、飛影が「蔵馬に気を付けろ」と散々零していた理由が、明確になった気がする。初対面で会った時に感じた「敵に回してはいけない」あの雰囲気は、やはり気のせいではなかった。

蔵馬からの言葉で改め飛影への愛を確認した凪沙だったが、どうせこの件も邪眼で見ているに違いない。自身もまた、お決まりのお咎めが待っているであろうことを思うと、頭を抱えた。



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