23 決意と覚悟

「…もう行くのかい」
「あぁ。…わりーな、ばあさん。俺じゃ上手くいかなかった」
「いや、いいんだ。…あんたの気持ちは十分伝わったと思うよ」
「…おう、さんきゅう」

ぎゅ、っと靴紐を結んだ幽助は立ち上がった。振り向けば、眉を下げつつも「しっかりしな」と視線で訴える幻海がそこにいた。彼女の隣に凪沙は、いない。未だ部屋で涙しているであろう彼女を思うと胸が痛んだが、これも凪沙自身が決めた答えだった。
幽助は幻海に「じゃあな」と軽く挨拶をし、玄関から門へ続く石畳へと歩みだした。

ごめん、と何度も謝る凪沙の肩は震え、涙を拭いすぎて目の周りが赤くなっていた。嫌いなわけじゃな。寧ろその逆だった。だが、幽助への思いはやはり飛影には及ばず、こうした答えしか出せぬ凪沙は己を責めた。そんな彼女を最後の最後まで抱きしめた、あの感覚は忘れられぬものになった。
幽助はゆっくり歩きながら掌を見やり、先ほどまで感じていたぬくもりを思い出していた。…結局、飛影には敵わないのか。悔しさは勿論あったが、凪沙の幸せを一番に考えるのが今自分に出来る唯一の事なんだろうか。葛藤の渦が消えず、幽助は怪訝そうな顔つきになった刹那。ふと前を見据えれば、そこには門に寄りかかる飛影が。幽助の足は自然と止まった。

「…全部、見てたんだろう?」
「だからなんだと言うんだ」
「凪沙のこと、本当に大事に思ってるなら…分かってるよな?」
「…貴様に指図される筋合いはない」
「へーへー。そうですか」

頭の後ろで腕を組み、天を仰いで幽助は不貞腐れた。次いで漏れるのは大きな溜息。飛影はその様子を黙って見つめていた。

「…凪沙ってさ、弱味を見せるのが苦手じゃん?そういうとこ拾ってやらねーと、多分いつか壊れるんじゃねーかって思うんだ。普段笑顔しか見せねー分、色々我慢してることも多いだろうし…。飛影、そういうとこ分かってるんだろうな?」
「…愚問だな」

ピリ、と空気が凍った。幽助の眉がピクリと上がり、天を仰いでいた顔はゆっくりと飛影の方へ向いた。飛影の表情はポーカーフェイスを保ち、動じる様子は無い。
凪沙への理解は絶対的に俺の方が長けてると思ってたのに。どこからそんな自信が沸いてくるのだ。…これが幻海邸へ引っ越してから何度も凪沙の元へ足を運び、関係を築いていった結果なのだろうか。
思いを巡らせていくうちに幽助の表情は険しくなる一方だった。やはり、すぐになんて切り換えれらえない。再び嫉妬の念が彼の心を蝕んでゆく。

「…まるで俺より凪沙の事、分かってる口じゃねーか」
「否定する気はない」
「…へぇー。じゃあさ、凪沙の苦手なもの、知ってるか?」

このまま引き下がるのは癪だった。どうにかして、飛影にギャフンと言わせてやりたい幽助は、形勢逆転を図る。
凪沙が家を訪ねて来た時の事は、誰も知らない。それにここ最近、あの日程天気が崩れ荒れた日はなかったはずだ。となると、これはやはり自分だけの秘密。飛影がこの事を知るものか。と、幽助は一人優越感に浸るのだが。

「…雷、だろう」
「え、」

飛影の返答は、予想外だった。何故、どうして、そのことを知っている。
面食らった幽助の顔を滑稽だと嘲笑う飛影は、続ける。

「…俺の事を舐めるな」

飛影の睨みが強まり、幽助は思わず一歩下がった。

「今回は凪沙の涙に免じて見逃してやる。だが、次に凪沙に手を出してみろ…分かってるだろうな?」

本当は、分かりたくなかったのだが。
飛影の気迫、そして凪沙への思いの丈が彼を奮い立たせるのであろう。幽助は素直に応じた。

「分かった、分かったよ…。…あのよ、ひとつ確認なんだけど」
「なんだ」
「凪沙が初めて俺ん家来た時、飛影って寝てたよな?絶対に爆睡してたよな??邪眼使ってないよな?」
「…だからなんだと言うんだ」
「じゃあなんで、凪沙が雷苦手な事、知ってたんだよ?」
「…同じだったからだ」
「え?」
「これ以上は言えん」

それだけ応えると飛影は跳躍し、木々を伝い森の中へ入っていった。
同じだったって…誰と?
幽助は頭の中で彼の言葉をぐるぐる巡らせると、ある仮説に辿り着いた。もしや、以前彼が教えてくれた“凪沙と瓜二つの知り合い”とやらだろうか。…その知り合いとは一体。

「…本当、言葉足らずだよなぁ」

幽助がぽつりと呟いた言の葉は、風と共に流れていった。



その日の晩。凪沙は泣き腫らした酷い顔をしていたが、幻海は何も聞かなかった。…いや、聞けなかったのだ。幽助からある程度、何があったのか小耳に挟んでいたのもあるが、凪沙の性格上大きな罪悪感と闘っているであろうと察していたからだ。

「…凪沙、食事を済ませたらさっさと風呂に入りな。片付けはあたしがやっておくから」
「…うん、ありがとう」

この状態では、食の進みも悪かった。凪沙は箸を置き、台所を後にすると浴室へ向かった。
幻海が腰を上げ皿を片し始めたその時、ある気配を察知した。珍しくはない客だが、正直顔を合わせるとぶん殴りたい衝動に駆られそうだった。凪沙の悩みの種である人物に間違いなく、彼の言葉足らずに振り回される孫娘を思うと、当然の感情だった。だが、わざわざここを訪ねてくる、ということは…。

客人はこちらの気など知らず、悠々と台所と廊下を仕切る戸を開けてきた。

「…なんの用だい、飛影」
「…凪沙は?」
「風呂に行ったばかりだ」
「フン。…そうか」
「…腹、括りにきたのかい」

図星だったのか、幻海の言葉に飛影はピクリと肩が震えた。こういう反応を見ると、不器用なくせに変な所で素直だなぁと、幻海は改めて思う。幽助のように真っ向からぶつかれない性分で損する事の多い彼が、初めて自分の気持ちと向き合う姿勢を見せてきたのだ。煩い小言は、今は必要ない。

「…手ぇ出すんならお互い合意した上にしな」
「…!チッ…余計な世話だ…」

荒く戸を閉めると、飛影は凪沙の自室へと向かった。
ここへわざわざ顔を出したのも、彼なりの覚悟なのかもしれない。恐らく、幽助の一件で飛影もまた、踏み出そうとしているのだ。
色恋沙汰が落ち着けば、凪沙も元に戻るだろう。修行が今までタイムロスしていた分、どんなメニューにしていこうか、と幻海は思案し始めていた。



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