18 母の言葉と大切な人

「来週から、学校に行っていいよ」

その言葉は、凪沙の箸を止めた。「え?」と聞き返したいところだが、白飯を口に入れ、味噌汁を啜り、筑前煮に箸を伸ばす幻海はまるで何事もなかったかのように食事を進めている。彼女を見つめ、その意図を探ろうとする凪沙は期待が高まった。

「おばあちゃん、学校行っていいってことは…」
「言った通りだ。ここ数週間でだいぶ霊気のコントロールが出来るようになってきたし、たとえ低級妖怪が襲ってきても対抗出来る力が十分ついた。そして何より…」

幻海の目は、ようやく凪沙の瞳を捉えた。
寺に来た頃に比べると、この短期間で凪沙の顔つきが少々変わったのだ。普段の様子は以前とそう変わらないのだが、引き締まった身体、表情は肉体と共に精神を鍛えてきた証拠だろう。

「…心も、強くなったはずだ。ちょっとやそっとの事じゃへこたれないと思うよ」
「うん、それは私も思う…。おばあちゃんに鍛えてもらってから、強くなった気がするんだ」
「まぁ、あまり自分の力を過信しすぎないことだね。短期間の修行は終えたが、幽助や桑原に比べれば、お前なんて月と鼈だ。継続は力なりだから、学校に通いながらの鍛錬は続けるよ」
「えぇ!!?」
「たわけ!!甘ったれるんじゃないよ!!平日は学業に専念し、休日は修行だ。いいね?」
「…はぁ〜い…」

学校に通う、イコール修行が終わるなんて、そんな虫の良い話しがあるはずなかった。半ば、死刑宣告されたような気分にもなった。…だが、考えてみれば、今のように四六時中修行をしてその合間に家事をすることを思うと、学校に通うことは生活にメリハリもつくし心身共に切り換えられる気がする。前向きに捉え、己を納得させた凪沙は再び箸を進めた。

食事と入浴を済ませた凪沙は自室に戻った。今日も忙しい一日が終わり、ようやく一息つけるこの瞬間。…たまらなく最高だ。お気に入りの曲をかけ、ドライヤーを済ませた髪にヘアミルクとオイルを馴染ませるこの時間が、凪沙は好きだった。心地よい曲と甘い匂いに包まれる空間に浸り、ふと机上を見やる。
視界に飛び込んできたのは、幻海邸に引っ越してきた際幻海から受け取った母からの遺書だった。引っ越しを終えた日の晩、初めて手紙を読んだあの日から、凪沙はそれを何度も読み返した。今日もまた、自然と手が伸びた。
三つ折りにされている便箋を広げると、見慣れた母の字が羅列している。母の字体は、彼女のまっすぐな性格を表すかのような達筆なものだった。“凪沙へ”と記されているところから目で追っていった。


“――凪沙へ。

貴女がこの手紙を読んでいる時、恐らく母さんはこの世にいないでしょう。突然、こんな手紙を送ってしまった事、どうか許してね。
どうして私がこの世にいないのか、そしてどうして貴女が幻海さんのところへ来ることになったのか…。恐らく幻海さんから詳しく聞いていると思うの。勿論、あなたの力の事もね。
母さんはね、本当はこんな形でこの世を去りたいわけじゃなかった。実は、凪沙が大人になったら、力の事を打ち明けて幻海さんの元でお世話になろうと思っていたの。大人になれば、いつか私の元を離れる時が来る。その時、あなたが自分の持つ力の事で悩んで苦しんで欲しくなかったからね。…でも、そのタイミングは思ってたよりも早く来たみたい。

凪沙、どうか力を持って生まれたことを責めないで。母さんは、あなたを生んで、そして出会えて本当に幸せだった。父さんも亡くして独りぼっちになった私を助けてくれたのは、凪沙の存在だったんだよ。生前父さんが望んでいた通り、明るくてよく笑う子に育ってくれて嬉しかった。

…でも、本当はね、ずっと隣で凪沙の成長を見守っていたかった。これからたくさんの晴れ姿を見ることが出来たのに、それが叶わなくなってしまった。とても残念でならないけど…神様から与えられた運命に逆らうことなんて出来ないのよね。だから、母さんは天国からずっと、凪沙のことを見守っているよ。
…大丈夫。あなたは母さんの子。涙を流すことがあっても、必ず立ち上がれる強さを持っているわ。それに、凪沙の周りには貴女を支えてくれる仲間や友達がきっといるはず。どうか、その人達を大事にしてあげて。そしていつか、心から大切に思える人と幸せになってね。凪沙の幸せは、母さんの幸せでもあるんだよ。

母さんは、ずっと凪沙の味方。そして大切な宝物。それだけは、絶対に忘れないでね。

――お母さんより。”


「(…お母さん、ありがとう)」

読み終えた頃には、瞳に薄ら涙が浮かんでいた。
…大丈夫。私は強くなった。お母さん、どうか天国で見ててね。私、不思議な力を持って生まれて来たけど、お父さんとお母さんを責めないよ。
だって、その力のおかげで出会えた人がたくさんいるんだ。幻海のおばあちゃんは勿論、幽助、桑ちゃん、蔵馬、螢子、そして…

「…また手紙を読んでいたのか」
「っ、飛影!!」

ぱっと顔を上げると、いつもの如くしかめっ面をした飛影がそこにいた。
先日の修行から、毎日とまではいかないが、彼はこの時間になるとちょこちょこ凪沙の部屋を訪れるようになった。そして、今日も。
飛影は凪沙の目に涙が浮かんでいることに一瞬息を呑んだが、彼女が手にする手紙を見やると、納得した。彼女が母からの手紙を読む時は、毎回母を思い涙していることを知っていたからだ。
飛影は何も言わず静かに凪沙の隣に腰を下した。

「…何も、聞かないの?」
「聞かなくとも、その様を見ればなんとなく予想はつく」
「…うん、そうだよね。ありがとう」

それは、何も聞かずとも隣にいてくれるその事実に対しての礼だった。
この頃、飛影との関りが多くなってきて分かってきたことがある。それは、元々彼は口下手で言葉足らずなところがあるのだが、今のように黙って凪沙の隣にいてくれるのが、彼なりの優しさだった。そして時には、凪沙が何か話し出せば鬱陶しい表情はするものの、なんやかんやちゃんと聞いて相槌もしてくれる。
いつの間にか、夜にこうして飛影と何気ない会話をしたり一緒にいる時間もまた、凪沙にとっては心地良いものになっていた。そして、脳裏に過る先ほどの母からの言葉。

“心から大切な人と幸せになってね”

なんとなく。何の根拠もないのだが。
その相手が飛影だったら。私は…。

「…なんだ、じっと見てきて。言いたいことがあるなら言え」
「あ、いや、なんでもない。…今日も飛影が来てくれたの、嬉しくって」
「…!よくそんな恥ずかしい言葉が出るもんだな…」
「だって、本当の事だし」
「フン。…感情が忙しい奴だ」
「…あ、本当だ」

気付けば、涙は止まっていた。
…涙を止めてくれる最良の薬は、この人かもしれない。
凪沙は心の隅で、そんなことを密かに確信した。



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