96 鬱りゆく日

「閻魔様の部下を知りたい、だ…?」

 眉根を寄せ、怪訝な表情をする大竹。宥める様に、そして怪しまれぬように苦笑いを続ける舜潤は、内心途方に暮れていた。
 コエンマからの指示で大竹の元を訪れた舜潤は、命令通り閻魔大王が過去に関わっていた部下の事を尋ねた。…と、言っても全容は明らかにしておらず、「気になることがある」としか説明できぬものだから、大竹が訝しむのも無理はなかった。何の前触れもなく、唐突にそれだけを尋ねられれば当然疑われるはずだ。だが、下手に閻魔大王本人を嗅ぎまわるよりも、長年側近で働いていた大竹の方が情報を得やすいと目論んだのだ。
 仙水の一件から第一線を外れた大竹は今は役職には就いておらず、仕事は自粛して気が向いた時に修行を重ねる日々を過ごしているらしい。彼の元を尋ねるのは容易かったが、さて…この先はどうしようか。舜潤の中で再び迷いが生じた。

「…実はコエンマ様の命令でして。仙水の件で、何か気になることがあったようです」
「今更仙水の件を掘り返してるのか?それがまた何で閻魔大王様と関係が…?」
「さ、さぁ…。私にもよく分かりませんが…。…もしかしたら、今後あのような事が起きぬよう、霊界に戻られた際対策を練る為ではないでしょうか。閻魔大王様の過去の業績や有能な部下をお育てになられた事を参考にしたいのかもしれません」
「だったら閻魔大王様本人に尋ねたらどうなんだ?」
「そこは何と言いますか…。親子だから故、気恥ずかしさもありなかなか踏み込めずにいるのかもしれません。コエンマ様を陰でサポートするのも我々の役目でもありますから。今後の霊界の為だと思って、一つお願いします。大竹隊長」
「…私はもう隊長ではない。それはお前の役割だろう」
「ですが、私の中では隊長は貴方しかおられないのです」
「…はぁ。分かった。ちょっと待ってろ」

 舜潤は静かに胸を撫で下ろした。…我ながらよくそんなでまかせが出たものだ。だが、幸いな事に大竹は舜潤の言葉を鵜呑みにしている。舜潤は普段ここまで踏み込んだ会話をしない分、大竹の中で響くものがあったらしい。彼には少々申し訳ないが、今後の霊界の為という点では間違いはない。
 大竹は鼻下の髭を指先で撫でながら、黙考し始めた。戦いの場を離れても尚、髭の手入れは怠っていなかったようだ。「…気になるのはとある人物の件です」舜潤が続けて例の男の名を出すと、大竹の目の色が変わった。

「そいつの名はコエンマ様が?」
「えぇ。でも、詳細は知らない様子でした。過去を辿るとその方の業績が気になられるようです」
「ふむ…そうか。…ワシから話せるのも大したことではないが…」

 大竹の話しは、以下の通りだった。
 その昔、人間界に妖魔退治を生業としていた敏腕の妖術者がいた。その者の一族は遥か昔から代々多大な霊力を受け継ぎ、その力で人間界を魔の手から守っていた。その一族と霊界は昔から関りもあり、互いの利害が一致する事から手を組み共に戦ってきたらしい。
 ある年、一族に一人の男の赤子が生まれた。その赤子は生まれ持った霊力が群を抜いて高く最高峰だった。男は物心がついた頃から一族から様々な戦術や霊術を叩きこまれ、やがて霊界と手を組み妖魔退治を始めた。当時はその男が一番力を持っていたらしく、霊界の戦士達も歯が立たぬほどの実力だったようだ。
 だが男が成人を迎えた頃、流行り病で両親を亡くした。男はそれを機に人里を離れ、海の近くに住み始めた。人里に住み続ければ、男の巨大な霊力を嗅ぎつけて妖怪達が襲ってくる為、周りに危険が及ぶのを防ぐ為だった。
 男は両親を失った後も妖魔退治を生き甲斐とし、人間界を守ろうと日々戦いに明け暮れていた。その業績が称えられた事から霊界から声がかかり、ついに閻魔大王の直属の部下として任命されたのだ。
 だが、ある日をきっかけに男はぱたりと妖魔退治をしなくなり、突然海に身を投げた。原因は不明だ。男の死を聞きつけた霊界が男の遺体を探したが、ついに見つからずに終わってしまった。

「生前、彼と一度だけ会ったことがある。…と言っても、廊下ですれ違った際挨拶を交わした程度だが。それだけでも、凄まじい霊力を持って生まれたというのは合点した。すれ違いざまに強い霊気を感じ取ったのを覚えているからな。それに、挨拶と言っても網代傘から顔を覗かせただけだったが…なかなかの男前で真面目そうだったぞ」

 あんな実力者が何故海に身投げをしたのか…霊界が逸材を失ってしまったのは残念でならなかった。閻魔大王様もさぞ悲しまれたらしい。と、大竹は続けた。

 舜潤は礼を伝えると大竹の元を去った。
 大竹の話しを反芻する最中、どこかで聞いたことのあるような話に感じ取れたのだ。…そう、まるで凪沙の生い立ちをコエンマから聞いた時と重なるような気がしてならない。
 大きな霊力を生まれ持った、という点がずっと頭の隅で引っかかっていた。



***



 飛影が足場の悪い山岳地帯を歩むのは随分と久しかった。森中を駆け巡り、砂浜を踏みしめていたあの日々が懐かしく思える程、気が付けば時間が経っていたのかもしれない。…あれから、どれくらい月日が過ぎたのだろう。
 生い茂る草木を掻き分けて進んで行くと、茂みの奥に一軒の屋敷が建っていた。手元にある地図と場所を確認すると、そこで間違いなさそうだ。地図をポケットにしまい、呼吸を深くすると敷地内に足を踏み入れた。

 飛影が訪れたのは、魔界の名医であると噂の時雨という者の家だ。ここを訪れるまで随分と日数がかかったが、時間という代価を払ってでもここに来ねばらぬ理由が三つあった。
 数か月前に牛鬼蜘蛛との戦いが終わり、浜辺に打ち上げられた飛影は潮の行方を捜す為に戦いの場でもあった崖へ再び足を運んだ。崖から海を見下ろせば、あの晩には想像もつかぬほどの穏やかな波が水平線まで続き、潮騒や煌びやかに光る海面の美しさに改めて目を奪われたのをよく覚えている。
 長い日数をかけ、朝晩何度も崖から海を覗いたり海鍾乳洞を訪れたりしたが、結局潮が見つかることはなかった。それに加え、主に森の中で情報収集もしていたのだが、人魚狩りに関してはしきりに皆口を閉ざした。聞けば、牛鬼蜘蛛が関わっていた事が大きかったようだ。
 牛鬼蜘蛛は潮の仲間であった人魚を食べた後、森の中でそれなりに名を馳せていたらしい。そして彼のアジトまで辿り着いたのだが、洞窟の中はいくつもの白骨や木くずが散らばっているのみであり、結局有益な情報は得られずに終わった。
 そして情報を収集しているうちに気付いたのだが、牛鬼蜘蛛と潮が共に海に落ちたあの日から人魚狩りの噂もぱたりと止んだ。それ故、暗礁に乗り上がったままこれ以上ここにいても変化はなさそうだった。…と、なれば。必然と、もっとよく見える目が必要となる。飛影は潮と出会った海岸や修行を積んだ森を離れることを決意した。

 再び流浪の旅を続ける最中、とある村で魔界の名医について情報を得た。聞けばその名医は“邪眼”の手術を請け負う人物らしい。その人物に会うべく、再び旅を続けた。だが、その道中危うく命を落としかける出来事が何度もあった。土地が変われば敵も変わり、その強さも同じように比例する。時雨の屋敷の場所に近付けば近づくほどそれが増し、その度に何度も剣を振るってきた。だが、崖先でとある敵と手合わせした際隙を突かれ、首に下げていた氷泪石を切られてしまったのだ。我が身も共に崖から落ちたのが、こんなことで命を落とすほど軟弱者ではない―――すぐに反撃し、返り討ちは成功したが、氷泪石は川に流されてしまった。
 本来ならば潮の行方を、と思っていたが、そもそも氷河の国の女共を皆殺しにするという目的が脳裏を過った。潮との関りの中で過去に抱いた憎悪が薄れていたのは間違いなかったが、それが完全に消えたわけではない。…どうせ“よく見える目”が手に入るのならば、ついでだ。

 そんな思いから、邪眼を手にする目的が三つになったのだ。
 飛影は時雨の屋敷の入口に立った。玄関の扉越しにもひしひしと伝わる強い妖気。それが何を意味するのかは愚問だった。流石は魔界の名医と称される事だけある。…寧ろ、そうでなくては。期待や緊張が交錯する中、飛影は扉を開けた。
 中は灯りが点いておらず薄暗かったが、すぐ正面に一人の男の背があった。その男は腰を下しているのだが、衣服越しに鍛え上げられた背筋や肩から覗く上腕二頭筋の形がよく分かり、そして肌全体で感じ取れるような強き妖気が漂っている。彼こそが時雨なのだとすぐ合点した。時雨はこちらに気付いているのだろうが、見向きもせず何かを手入れしている。逞しい腕が動かされる度に、高く結われた髪がゆらりと小さく揺れた。

「…貴様が整体師時雨か。邪眼の手術をしてほしい」

 飛影は声を掛けるが、時雨の動きは未だ止まらない。

「貴様、聞いているのか!?」

 ここで初めて時雨は振り返った。
 鋭い骸骨顔でオールバック、額から頬に掛けた傷跡、そして額や顎につけられた輪、そこにかけられた鈴――逞しい身体、その一方で顔は装飾品が目立っている。時雨はそんな出で立ちをしていた。
 だが、時雨はその鋭い目で飛影を一瞥すると再び姿勢を戻した。

「…お前如き小僧に耐えられる痛みではない。諦めて帰るんだな」

 まるで相手にする価値などない。そんな物言いだった。
 飛影の眉尻が上がり、眉間に皺が走った。咄嗟に抜刀したその瞬間、時雨はその気配に気付き振り返ったのだが、思わず目を見張った。
 飛影の刀は左の掌を貫通しており、表情は痛みに耐え歪んでいる。鮮血が掌を伝い床にぽたぽたと落ち始めると、ようやく刀を引き抜いた。

「ハァッ、ハァッ…!覚悟の上だ…!」

 ここで初めて時雨は飛影に興味を示した。
 自分と比べて年端もいかぬこの少年は一体何を思い、何を背負ってこの覚悟を決めたのだろうか。純粋に、気になったのだ。
 
「ワシが手術の依頼を受けるか否かは条件がある。ワシがその患者の人生に惹かれるかどうか。…つまり、お前の送って来た人生がつまらんものなら手術はしない。…話してみるがよい」
「…フン。話すにも値しない。反吐が出る程のものだ…!」

 時雨は手入れを済ませた耳当てを装着すると立ち上がり、ここで初めて飛影と対峙した。

「ついてこい」

 時雨が歩み出すと共に鈴の音がリンと鳴った。飛影は彼に倣い後について行った。

 案内されたのは奥の部屋だった。居住スペースの一角であろうか、テーブルや椅子が部屋の真ん中に置かれているのだが、その周りには部屋を囲うように棚が置かれている。腰ほどの高さのある棚の上には分厚い本や古びた箱等、様々な物が並べられているのだが、更にその奥に並べられている物に思わず息を呑んだ。
 それは硝子瓶一つ一つに微生物や、どこぞの妖怪の内臓や目玉、妖植物の一部等多種多様なものが液体漬けされており、非日常的な光景だった。おまけに硝子瓶を通して薄い青や緑の光が当てられているものだから、より不気味な雰囲気が増している。お世辞にもインテリアの一部と言えないその内装だが、その一方である意味絵に描いたような医者の住まいだと合点した。
 飛影は「悪趣味な野郎だ」と内心毒づく中、硝子に収められている物を一つ一つ見た。時雨は更に奥の部屋に行ってしまったので、戻ってくるまでの暇つぶし程度に、と軽い気持ちだった。
 ドクドクと脈打つ心臓を彷彿させるのは何の妖怪の内臓だろう。三白眼に血走る目玉はどの妖怪からくり抜いてきたのだろう。硝子瓶の中を見やるたびに素朴な疑問が生まれたが、自分には関係のない事だとすぐ片付けていた。だが、隅に置かれている硝子瓶を目の当たりにすると目を見張り、そして息を呑んだ。
 そこには淡い緑色をした鱗状の、長方形に切り取られた皮が入っていた。一瞬見間違いかと思ったが、そんなことはないと確固たる自信があった。その鱗の模様は既視感しかない。
 …まさかとは思うが、時雨も人魚狩りに関与していたのだろうか。

「その瓶に興味があるのか?」

 飛影が声のする方を向くと、再び時雨が現れた。一応客人をもてなす気があったのだろう。手にしている盆にはカップがあり、そこから薄く白い湯気が上がっている。
 時雨は椅子に座ると盆に乗せてあったカップを手に取り啜った。対面側にはもう一つのカップが置かれている。「飲め」時雨は声を掛けたが、飛影は睨みを強めただけだった。まるで「そんなものいらん」と表情で語っている。

「お前、名を聞いてなかったな」
「…飛影だ」
「飛影よ。その瓶に目を付けるとはなかなか目が高いな。盗賊か何かやっていたのか?」
「…何故貴様にそんなことが分かる?」
「それがこの部屋の中で一番高価な物だからだ。今まで何人もの患者もこの部屋に通し、まじまじと瓶の中を覗いていたが、その瓶に興味を示したのはお前だけだ」

 これで何を意味するか分かるだろう。時雨は一言添えると再び茶を啜った。だが、飛影は時雨の言葉に見向きもせず硝子瓶に収められた鱗を見つめている。

「…そんなに人魚の鱗が気になるか?」

 飛影の瞳が揺らぎ、頬が引きついた。虚を衝かれたも同然だが、飛影は尚も硝子瓶から視線を外さない。時雨は立ち上がると飛影の横に立ち、鱗が収めらている硝子瓶を手に取った。

「我々…医者の世界では一時噂になった事がある。“人魚の血肉で、不老不死の薬が手に入る”…と、な」
「不老不死の…薬?」
「人魚の治癒力、強靭な妖力を開花させる力…これらは有名な話だが、いつの間にか不老不死になれると噂話に尾ひれがついたのだ。闇市で巨額の金が動くのも、そんな背景がある。だが色々と調べたところ、そのような話は所詮御伽話にすぎんと証明された。…この鱗は闇市のおこぼれだ。医学の学びの為、ここに置いてあるにすぎない」

 時雨は硝子瓶を飛影の前に渡した。

「気になるのなら気が済むまで見ていればよい」
「…いらん」
「ほう、そうか。じゃあ、ここに戻しておくが、気が向いたら好きにしろ」
「いらんと言っているだろう」
「つれない小僧だな」

 時雨は瓶を戻しながら飛影を一瞥した。
 本来、盗賊ならば“人魚の鱗”という言葉だけで、荒々しい欲に塗れた表情や羨望の眼差しを向けるはずだ。だが、この飛影という少年はそんな興奮を一切見せず、寧ろ別の感情を抱き、思いを馳せているように見えるのは気のせいだろうか。

「…それじゃあ、お前のこれまでの人生を話してもらおうか」

 邪眼を欲するのも、これが背景にあるのかもしれない。
 時雨は再び席に着くと、飛影に顎で示した。

「話すにも値しないと言っただろう」
「じゃあ、手術の話しは無しでいいんだな?」
「…なんだと?」
「左手も包帯を巻き直そう。さ、手を出せ」
「…チッ」

 飛影は渋々席に着き、出血した左手を出した。



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