91 燃え尽きたアンドロメダ

 先日の雷雲が嘘のように晴れ渡った空。浜辺では水の音と戻る波に引かれていく砂や石の音が心地よく溶け合い、潮騒のざわめきが生まれている。その遥か向こう側は青海原が広がっており、朝凪でもあるこの時間帯は風がなく波も穏やかであった。
 静まり返った青い海と空。その青海原の沖合に、人影があった。それは潮であり、陸地から幾分離れた事を確認するため、海面に顔を出したのである。振り返り視線を投げれば、遥か遠くに連峰が並んでいるのが微かに見える。ここまでくれば陸地の妖怪達に見つかる心配はないだろう。
 安堵するとそのまま仰向けになり、波の動きに応じて身体がゆらりゆらりと揺れた。朝凪であるこの時間帯は夜行性の妖怪達がようやく静まり返り、そして深い眠りについた妖怪達も目覚める前だ。即ち、陸も海も、全ての妖怪達が身体を休める時間帯でもあり、ここで初めて自由を手に入れられる。人魚族は昔も今も、ずっとそうやって生きてきたのだ。
 東の空から日が少しずつ上り、一日の始まりを告げる。潮は波のベッドに揺られながら、胸元に下がっている氷泪石を外し、掲げた。陽の光に翳され、水晶のような透明感のある美しきこの石は、飛影が言った通り至高の宝というのはこの見た目で合点する。そしてこれを見つめている間は不思議と心が落ち着き、穏やかな気持ちになれる。まるで胸に滞留していた蟠りがすっと消失する感覚、そして代わりに大きな安堵感が広がるようだった。
 だがその一方で、潮には一つの懸念があった。それは、あの日の晩から脳裏に何度も反芻された事でもある。氷泪石を掲げた手が、石を包み込む。掌でじんわり広がるのは、飛影の強靭な妖気だった。
 雷雲、雷鳴が酷かったあの日の晩。飛影の胸の中に抱かれながらこの氷泪石を握りしめた瞬間、今まで見たことのない映像が脳裏に流れ込んだ。あの映像は非現実的であり、そして決して現実で起きてはならない。
 …思い出すだけでも背筋が粟だつ程の恐怖に襲われる。だが、あの晩以来こうして氷泪石を手にしても、頭の中に映像が流れてくることは無かった。
 なんとも不思議な現象ではあったが、潮の見解では、恐らく飛影の強靭な妖気に触れた瞬間、予知夢を見る力がその瞬間だけ急激に飛躍したのではないか、という事だった。この仮説は我が人魚族は妖力に比例して様々な術が使える背景が元にある。だが、あの時は眠っておらず目が覚めた状態であった。それが矛盾点となり、潮は頭を悩ますばかりであった。
 悩みを相談できる年嵩の大婆様は既に他界しており、他の仲間も命を落としたり、生きているのかですら分からぬ者もいる。陸地では、今が飛影が自分の話し相手になっているが、この広い海に出てしまえば結局孤立無援なのだと思い知らされる。それに、一番はやはりあの映像が気がかりである為、胸中に広がる不安は全て払拭される事はなかった。
 私と飛影の未来…一体どうなるのだろう。答えの見つからぬ自問自答は、これまで何度した事か。潮は大きく、深い溜息をつくと身体の向きをくるりと変え、海面の中へ潜った。
 まもなく完全に日が昇る。潮は身を隠すように深海へと進んで行った。



***



 風が吹き、木々がざわざわと騒ぎ立てる。それはまるでひそひそと囁くような木の葉たちの声のようだった。苔深くしっとりとした空気が漂い、樹木が所狭しと並ぶ森の奥に、一つの洞窟があった。入口から奥を覗くと、この森以上の漆黒の闇が続いているのだが、壁に沿って道なりに進んで行くと、じきに来訪者を歓迎する蝋燭がぽつりぽつりと灯してあり、道しるべを作っている。蝋燭の小さき炎が消えぬようひっそりと息を潜めて進んでゆくと、徐々に天井が開けてきて、最奥に一つの大きな空間が広がっていた。
 その中心には黒い巨体が足を休め、身体を丸めて弛緩させている。…我が主の機嫌は、今はいかがなものだろうか。過去に、機嫌を損ねた部下等は瞬く間に目の前で主の胃袋に入ってしまった。あの時の恐怖は未だ拭いきれず、それ以来必要以上に顔色を伺いながら接している。だが、今日は有益な情報を持ってきたのだ。少しは自信を持ってもいいかもしれない。暗雲から一筋の光を見出したも同然なのだから。

「牛鬼蜘蛛様、ただいま戻りました」

 蝙蝠男が羽を縮め、膝間付いた。巨体はむくりと起き上がり、大きな欠伸を一つするとようやく身体の向きをこちらに向けて来た。相も変わらずそのぎょろりとした大きな目玉は、見定めた獲物を一匹足らずとも逃さぬような強い眼力だ。その目玉と視線が絡むと、忽ち身体中に緊張が走る。

「遅かったなぁ…。随分と油を売っていたようだが?」
「大変申し訳ございませんでした。情報が確実なものかどうか周到に調べていましたので…」
「まぁいい…。で、どうなんだ?」
「牛鬼蜘蛛様の狙い通りでした。この森を出て数キロメートル先に人魚が出没する情報がありました。鱗、尾ひれの色は共に翡翠色です。以前、牛鬼蜘蛛様が見定めた人魚の仲間かと思われます。…ただ、一つ気になるな点がございまして」

 蝙蝠男の言葉に、牛鬼蜘蛛の眼力が更に強まる。「なんだ、それは。早く言え」矢継ぎ早に質問する牛鬼蜘蛛の威圧的な態度に思わず身震いしてしまう。

「はっはい…。実は、以前牛鬼蜘蛛様と手合わせした少年がございましたでしょう?その少年と見た目がそっくりな者が、ここ最近森の中で見たという話が幾つかあるのです。しかも、その少年の強さは尋常ではない。手合わせしたものは歯が立たず皆殺されてしまったとの事です。そしてその少年が、人魚が現れる海岸に何度も足を運んでいるという噂もありました。ここからは我々の見解ですが、もしかしたら少年と人魚は繋がっている可能性があります」

 恐る恐る、牛鬼蜘蛛の顔色を伺う。彼は舌なめずりをしながら、何か黙考していた。
 牛鬼蜘蛛が“少年”と言われて思い浮かんだのは、以前崖先で手合わせした目つきの悪い紅い瞳をした一人の男だ。刀を巧みに扱う技量、それに伴う瞬発性溢れる格闘センスと強靭な精神力。それらを兼ね揃え、自ら海に落ち命を絶ったとばかり思っていたが、心のどこかでは「あの程度では死にまい」と少々期待していた。今までにない程の好戦的な態度と状況判断力を持っていたので、生き延びる図太さも持ち合わせていたのかもしれない。その僅かな期待がまさか現実となり、ましてや、狙い定めていた人魚と接点がある可能性も秘めているとは。
 牛鬼蜘蛛の目尻が下がり、不敵な笑みが浮かんだ。そして喉の奥を鳴らし、次第に静かに笑い声が上がる。

「あの…牛鬼蜘蛛様?」

 蝙蝠男がおずおず尋ねる。だがその瞬間、蝙蝠男の身体が何かに力強くくるまれ、掲げられた。瞬く間に、歪で足元の悪い地面が視界に広がり、身体は締め上げられる最中謎の浮遊感を感じる。蝙蝠男が息を呑んだ瞬間、ようやく自分が牛鬼蜘蛛の尻尾に捕まり振り上げられている事を解した。

「ぎゅっ、牛鬼蜘蛛様、何を…!?」

 半泣きで尋ねる蝙蝠男の脳裏には、恐れていた事態が過った。機嫌を損ねた部下等はこうして彼の尻尾に捕まり、命は牛鬼蜘蛛の胃袋へと消え行ったのだから。だが、自分は機嫌を損ねたつもりなど毛頭ない。寧ろ、有益な情報を提示したのだから好転すべきはずなのに、どうして。
 そんな不安を汲み取ったのか、牛鬼蜘蛛は舌なめずりをしながら蝙蝠男の身体を目の前まで移動させた。尻尾にくるまれている蝙蝠男は涙を流し、顔面蒼白だ。全身でひしひしと恐怖を味わう彼の表情は最高だった。

「ひっひっひ…。蝙蝠男よ、よくやった…。俺が欲しかった情報以上の土産を持ってきた事、褒めてやるぜ」
「でっ、っででで、でしたら、なにゆえこのようなっ、こと、を…!?」
「がっはっはっはっは!!喜べぇ…お前はこれから俺様の血となり肉となるのだ…光栄だろう?」
「えっ、えぇ!?どうしてですか!!?私はしっかりと、命令通り情報を…」
「あぁ、そうだ。お前は大変有能な部下だ。だがな、お前以上に有能な奴は魔界にはごまんといる。人魚さえ喰えれば俺は次なる地へ行く。即ち、お前との関係は今日限りって事だ。移住先ではもっと出来の良い部下が俺の元につくだろうから、お前は安心してあの世へ行きな」
「そ、そんなぁ…っ!?」

 蝙蝠男がかぶりを振り、どうにか逃げようとしている。無駄な抵抗というのは本人が一番よく分かっているだろうに。それでも、顔面蒼白の中、この状況に屈せずにいる姿は以前食べた人魚とまるで同じだった。あの人魚は散々犯した後にも関わらず、心術を使いこちらの意図を読み取って一緒にいた仲間を海に逃がした。あの時向けられた眼差しは女にしては力強く、そして固く強い意思や精悍さをも感じるほどだった。だが、所詮人魚は人魚。戦闘力の欠ける種族など敵ではない。血塗れになって悔し涙を流したあの人魚の味は、まさしく美味であり、格別であった。あの味、そして強靭な力が手に入るのならなんだってする。まるで麻薬のような中毒性を感じる程だったのだから。

「じゃあなぁ…」
「牛鬼蜘蛛様、お許しくださっ…!嫌だァアアア!!」

 満面の笑みで大口を開けた牛鬼蜘蛛。蝙蝠男の断末魔が洞窟中に響いた後、血や骨を貪る音が後を絶たなかった。



***



 日が既に暮れ、夜空が広がっている。珍しく風も吹かず雲一つない、そして深夜に行動する妖怪達の雄叫びや奇声ですら一切聞こえぬ、やけに静まり返っている夜でもあった。この妙な静けさが、どこか不気味さをも醸し出している。まるで嵐が来る前触れのようだった。
 そんな最中、飛影はいつものように海岸に向かっていた。表情は、いつも以上の仏頂面で少々固い。その背景には潮の事があった。
 ここ最近、潮は元気がない。…いや、態度や雰囲気はいつも通りなので多少の語弊はあるのだが。時折、虚空を見つめてぼんやりしたり、不安そうに眉を下げる事がある。それを尋ねても「なんでもない」の一点張りなので、それ以上責めることも出来ず、気付けば自分も蟠りが生まれていた。
 潮には、簡易的ではあるが自分の生い立ちは話した。元を辿れば、彼女が問うてきたからそれに応えただけ、なのだが。飛影の中では自分の生い立ちを話す事は、即ち潮に心を開き無意識のうちに寄り添って欲しい願いも含まれていた。勿論、潮も同じように生い立ちを飛影に話した。二人は互いのこれまでの人生を共有するうちに、心も徐々に歩み寄り、いつのまにか寄り添う形へと変化していったのだ。
 そんな最中、潮に隠し事をされているのは、正直気が気ではない。飛影が唯一思い当たる節は、先日の天気が荒れた日の事だった。雷光、雷鳴が酷かったあの日の晩、潮に己も宝でもあった氷泪石を渡した。だが、彼女はそれを握った瞬間、酷い頭痛と唸りを上げ涙を流した。あの時から、潮の表情に変化が生じたのは間違いない。
 あの日の晩、彼女の身に一体何が起きたのだろう。飛影もまた、答えの見つからぬ自問自答を繰り返しては胸中が攪拌されていた。

 いつものように岩石を降り、海鍾洞の入口に着いた。不思議な事に、波も穏やかだ。聴こえてくるのは、潮騒の音。繰り返す波のリズムが心地良い。…だが、海の静けさもいつもとどこか違うような気がする。何が、と問われれば具体的には分からぬのだが、己の第六感が何かを訴えているような、そんな感覚だった。…何の確証もない事を気にする達ではないので、飛影は踵を返し海蝕洞の奥に入った。
 そこにはいつものように潮が焚き火を見つめ、腰を下していた。焚き火のやり方は、飛影から教わった。雷が酷かったあの日の晩、飛影が「出来るようになっておいた方がいい」と告げたからだ。
 潮は膝を抱えながら揺らめく炎をぼんやりと見つめている。飛影が隣に座ると、ようやく顔を上げた。珍しく考え込んでいた為か、気配だけでは気付かなかったようだ。

「…随分と思い詰めているな」
「…そんな事、ないよ?炎が揺れてるのが綺麗で、見とれていただけ」

 絶対嘘だ。飛影は直感で思った。いつもの潮なら自分が海鍾洞の入口に来る時点で気配を察する。その余裕がないほど、何か黙考していたに違いない。…だが、彼女の性格上、それを問うても「なんでもない」と返ってくるのは既に承知している。
 飛影は嘆息をつくと、潮に倣って視線を炎に投げた。めらめらと揺れ動く炎の動きをぼんやりと眺める最中、やはり心のどこかで何かが違うと内なる声が訴えている。ここ最近の蟠りも、潮の顔を見れば割と気にせず過ごせていたのだが、何故だか今日はそれが出来ないのだ。それに、今宵は陸も、海も、あまりにも静かすぎる。まるで何かが起きようとしているのではないか。らしくなく、そんな不安が生まれた。

「飛影、話したいことがあるの」

 潮の声で、ハッとした。飛影と潮が対峙する。彼女の両手は水を掬うように氷泪石を収めている。飛影の目が一瞬見張った。

「…これ、飛影の大切な宝物だったんだよね。私に譲ってくれてありがとう。…でも、やっぱりこれは私が持つべきじゃない。飛影が持ってるべきだと思うの。だから、返すね」

 飛影の瞳が震え、頬が引きついた。潮の真っ直ぐな視線はそれをしっかりと捉え、同時に「嗚呼、やはり傷つけてしまった」と少々後悔した。だが、飛影はしばし黙考した後、潮から氷泪石を受け取り首にかけた。

「怒らないの?」
「何故怒る必要がある?」
「だって…」
「潮がそうしたかったのなら、俺は何も言わない」
「…ごめん。ありがとう。…ねぇ、飛影」
「今度はなんだ」
「お願いがあるの。…私と約束してほしい」

 飛影を見つめる潮の瞳からは真摯な思いが伝わる。だが、飛影の心のどこかでは何故か嫌な予感がした。そんな約束、聞きたくない。そんな叫び声が止まなかった。だが、それをここで話すのは気が引ける。故に、飛影は訝しむ事しか出来なかった。
 潮が飛影の胸の中に自ら寄りかかった。自然と、飛影の腕も潮の背に回る。普段はこうすると互いの温もりを感じられ、大きな安堵感を得られるのだが、やはり今日は違う。互いの体温は感じていても、心は満たされぬままであった。

「…飛影。これから何があっても…絶対に私の後は追わないで」

 飛影の胸の奥が何かに鷲掴みされるような感覚が走った。同時に、動悸が激しくなる。潮は一体何を言っているのだろう。

「おい、なんでそうなったかちゃんと説明しろ」

 必死に平然を装うが、声は微かに震えている。掌にはいつの間にか脂汗が出ていた。だが、潮は今の言葉に弁明も否定もしない。

「氷河の国の事も、氷泪石も、…牛鬼蜘蛛を倒してくれることも、…全部、全部ありがとう。嬉しかった」

 潮がようやく顔を上げた。その瞳には涙が溜まり、頬には大粒の雫が幾つも伝い地を染めている。飛影は、もはやわけが分からなかった。何故、今になって感謝の弁を述べ、そして涙しているのだろう。まるで最期の挨拶のような事を、何故今行うのだろう。
 …最期?それに気付いた瞬間、飛影の瞳が大きく揺らぎ思わず潮の肩を掴んだ。だが、潮は涙を流しながらも柔らかく微笑み、両手で飛影の頬をそうっと包んだ。この優しい笑顔は、飛影が最も好意を寄せた表情でもあったからこそ、当惑する他なかった。

「飛影、好きよ。大好き。…ううん、そんな言葉じゃ足りないくらい、愛してる。私と一緒にいてくれてありがとう」

 そう述べた潮の語気は柔らかく、そして切なかった。飛影の眉が下がり、肩を掴む力が僅かに緩んだ瞬間、潮は自らの唇を近付け、飛影の唇に触れた。潮の指先はひんやりと冷たく、だが唇からはしっかり熱が伝わった。彼女が何を思い、どんな意図でこうした言葉を投げ、口づけを交わしてきたのか、本当は目を逸らしたかった。認めてしまえば、全て悟るも同然だった。
 だが、潮の胸の奥には願いに満ちた光が宿っている。その眩い光からは決して逃れられなかった。
 飛影は片手を潮の背に回し、もう片方の手は彼女の後頭部に添えた。飛影が唇の角度を何度も変え、次第に舌で唇を割り潮の口腔内に入った。互いの舌が絡まり、唾液の混ざる水音が海鍾洞内に響く。飛影が潮の舌を銜え吸い付けば、隙間から彼女の甘い声が漏れた。

「んっ、はぁっ…」
「口、開けてろ」
「やっ、待って…」
「誘ってきたのは潮だろう」
「そうだけど…。でも、今日はこうしてたいの」

 ぽすん、と再び飛影の胸の中に飛び込む潮。背中にはか細い腕が回っている。飛影はある意味、深い嘆息をつくと渋々彼女の体躯をいつものように抱きしめた。しばらくの間、そうしているうちにここへ訪れた時の不安はほぼ払拭されたも同然だった。あの胸騒ぎも、静かすぎる夜も、所詮は気のせいだったのだろう。そう、信じたかった。

「そろそろ寝るぞ」
「うん。…飛影、ずっとこうしててね?」
「…言われなくてもそのつもりだ」
「ふふっ。…ありがとう」

 寝床に着き、腕の中で微笑む潮。それに倣い、自然と飛影の目つきもどこか柔らかく、瞳は穏やかだった。…自分の中でこんな感情があったとは思いもしなかった。潮を出会わなければ、一生知らないままだったかもしれない。
 こんなにもいつくしみ大切にしたいという思いは初めてだった。これが、誰かを“愛する”という事なのだろう。

 飛影の中にあった、もう一つの蟠りがようやく腑に落ちた。潮を抱き寄せ、一生離しまいと固く誓った。
 …その瞬間。今まで経験したことのないような強靭な妖気と冷え冷えとした殺気で身体が奮い立たされた。潮を庇うように前へ立ち、咄嗟に抜刀の構えを図る。どうやら潮にもこの嫌な気配は十分伝わったらしく、飛影の腰にしがみついている。必死に掴む腕からは震えが伝わり、彼女もまた恐怖心と戦っているのが分かった。
 この妖気は、知っている。忘れもしない、アイツの妖気そのものだった。入口から岩を削るような豪快な音が聞こえ、それが段々と近づいてくる。そして洞窟入口の天井部分から、逆毛と共に角の生えた大きな顔を覗かせた。

「見ぃ〜つけたぁ〜〜!」

 にやりと笑う大きな口。ぼたぼたと汚らしく垂れる涎。天井部分に突き刺さる大きな前足。
 月光に照らされ、姿を現したのは牛鬼蜘蛛だった。



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