66 最期の闘い(後編)

「おい、仙水!起きろ!目ぇ覚ませこら!もう一回戦うぞ!聞いてんのか、おい!?」

 幽助が仙水を起こそうとしているその後方で、一行はプー助の背から降り、また蔵馬も着地した。凪沙は飛影に横抱きされていた。

「何素っ頓狂な事言ってんだァ!見事圧勝だったじゃねーか!」

 桑原が声を掛けるが、幽助は仙水の胸倉を離さなかった。

「あれを撃ったのは俺じゃねえ!俺だけど…俺じゃねえんだ!俺が気が付いた時には、もうぶっ放してたんだ…!」
「うっ…ぐぁあっ…!」

 仙水が吐血すると、幽助は蔵馬を一瞥した。

「蔵馬!なんか、薬草ねえのか!?体力を回復するようなやつは…!」
「闘いながらほとんど使ってしまったからな…。気休め程度の痛みを和らげることしか…」
「じゃあ、凪沙は!?まだ力残って…って、んな事頼むわけにいかねえよな。お前もだいぶ頑張ってたしよぉ…」
「ごめん幽助。これ以上は、もう…」
「そうだよな…。仕方ねえ、蔵馬!その薬草ってのを出してくれ!」
「…その必要はない」

 突如聞こえた男の声。その元へ一行が見やると、突如空中に円形の扉が現れた。漆黒の穴から身を乗り出して出てきたのは、右半身に一本の傷跡を残した樹だった。

「忍はそのまま死なせてくれ」
「はぁ!?ふざけんな、お前はすっこんでやがれ!!なんとしてもリターンマッチだ!このままじゃ納得いかねえんだよ!」
「…忍はあと半月足らずの命なんだ」

 樹の言葉に衝撃が走り、一行は言葉を失った。

「忍の体内は悪性の病で既にボロボロなんた。ドクター神谷のお墨付きだから間違いないよ。普通の人間ならとっくに墓の中だそうだ」
「…マジなのかよ」
「あぁ…本当さ…」

 蚊の鳴くような声が下から聞こえた。
 見やれば仙水が空を見つめ、静かに呟いたの分かる。

「負けた言い訳にはしない。最後の力、あれは数段君が上だった…」
「なっ…違う!あれは俺の力じゃねえ!俺はあの時、意識がなかったんだ!」
「使いこなせなかった力を、無意識の中でマスターして戦ったんだろう…。明らかに君が放った力だ」
「だめだ、やっぱり納得出来ねえ!痛み止め打ってでも俺と戦え!半月ありゃ十分だろう!」

 まるで子供が駄々をこねるように幽助は言い続ける。その様を見守っていた飛影だったが、表情は呆れていた。同時に気が抜けたのか、黒龍派を連出した反動で強烈な睡魔が彼を襲う。

「…やれやれ、まだ戦うつもりか…」
「あ、ひえ…わっ!」

 ぐらりと飛影の身体がよろけたと同時に、凪沙も一緒に倒れそうになった。だが、寸でのところでプー助が飛影の首根っこを掴み、凪沙は蔵馬に支えられらがら共に地に腰を下した。
 飛影はプー助の背に乗せられると、静かに寝息を立て始めた。

「コエンマ、お前の力でなんとかならねえのか!?」
「魔封環に溜めた霊力があればこの場での治療も可能だったが、忍に全て吹っ飛ばされてしまったからな…。それに、洞窟の途中でもかなり力を消費してしまったしな」
「何っ…!?どういう事だ?」
「…天沼を助けるためじゃ」
「…!そうだったのか…」
「はっはっは…」
「――!?何がおかしい!?」
「計算通りだったからさ。あんたの魔封環が最後の難関だったからな。魔封環を使われる前に、霊力を無駄遣いさせる必要があったのさ。…トンネルを開いて魔界へくるためにな」
「忍…何故そうまでして魔界の穴にこだわるんだ?こんな苦労をしてまで来なければならなかった理由とはなんだ?」

 コエンマが問うと、仙水は凪沙を一瞥した。
 仙水の目は今まで見た殺伐とした雰囲気や闘いに染まった色は既になく、どこか穏やかだ。

「魔界は、俺がわけも分からずに殺した妖怪達の故郷だ」

 …小さい時からずっと不思議だった。どうして自分にだけ見える生き物がいるんだろう。どうしてそいつらは自分を嫌っているんだろう。どうして自分を殺そうとするんだろう。答えが分からないまま、戦い方だけが上手くなった。
 きっと自分は選ばれた正義の戦士で、アイツらは人間に害を及ぼす悪者なんだ。そんな安易な思いに疑問も持たなかった。
 だが、違っていた。守ろうとしていた人間は最低の生き物だった。自分のやってきた事に疑問が生じ、それじゃあ今まで殺してきた妖怪達はどうなるんだろうって無力感に襲われた。もう時間が残されていないと知った時、一気に気持ちが弾けた。そう思ったら是が非でも、ここへ来たいと思ったのだ。

「…立花、」
「…!」

 名を呼ばれ、ぴくんと肩が跳ねる。
 仙水と視線が絡むと、脳内に少しずつ画面が浮き出てくような感覚が走った。徐々に見えてくるその映像…それは、一人の少年と人魚の女が対峙しているような情景だった。
 仙水の記憶に導かれるよう、凪沙は膝立ちをすると彼の元へ向かおうと手を伸ばし前傾姿勢になる。その意を察した蔵馬は凪沙の身体を横抱きし、仙水の傍らに下した。
 凪沙は手を伸ばし、仰向けになっている仙水の指先にそっと触れた。その瞬間、ぼやけていた映像が鮮明に色づかれ、声までも聞こえてきたのだ。

 少年である仙水が訪れていた、とある洋館。そこは深い森の中にひっそりと佇んでいた。館内はどの部屋も埃や蜘蛛の巣だらけで、家具や小物は破損し、散乱していた。天井や壁も所々穴が開いていたり、ドアが外れていたりと、とにかく直近で誰かが足を踏み入れた形跡など一切なく、まさしく妖怪達の隠れ家にはもってこいの場所だった。
 埃塗れの薄暗い廊下を歩んで行くと、突き当りに大きな扉を見つけた。重厚な扉であったがドアノブは既に壊れており、得意とする蹴り技をひとつお見舞いすればあっという間に扉は開かれた。
 そこは大広間で、噂通り数多くの妖怪達の剥製が所狭しと無造作に置かれていた。
 詐欺まがいの金銭トラブルや不貞行為を行い剥製をマーケットに売り出していた主犯妖怪と、それに関連する連中を仕留めた後、噂で聞いていたその剥製を確認するため、この部屋に足を踏み入れたのだった。
 ぐるりと目を配れば、天井まで届きそうな巨体や夥しい猛獣、大きな牙が特徴的な者等、多種多様な姿形がそこにあった。
 仙水は背筋にゾクリと寒気が走った。剥製になった妖怪達は全員死んでいるはずなのに、尚も息をしているかのような、この洋館とはまた違った不気味さを感じたのだ。
 随分と悪趣味な…と毒づく中、ふと見つけたのは部屋の隅に追いやられていた白い塊。目を凝らすと、それは白い布であり、剥製に被せられていると気付いた。この独特な室内で更なる異彩を放つそれに、ふと疑問が過る。何故、布が被せられているのだろう。仙水は赴くまま近付いて行った。
 不気味な空間にそぐわぬ白い布に隠されているそれは、身長は自分よりも幾分低いくらいだろうか。今回の首謀者を仕留めたのだから、もう何をしたってかまわないだろう。コエンマも、これくらいならお咎めは下さないはずだ。と、勝手に論づけたが、本当はこの布の下に何が隠されていたのか、好奇心が疼いたからだった。
 仙水は布を勢いよく取り払い、目の前に現れた剥製をまじまじと見つめた。

「…これは、!」

 まるで、息を呑むほどの美しさだった。
 滑々しい白い肌、腰まで伸びる黒い長髪、曲線に描かれる女性特有の体つき、ぷっくりとした唇、ほんのり桃色に染まる頬、そしてまるで海を連想させるような蒼い瞳。
 この女性が本当に妖怪なのかと信じ難かったが、仙水の視線がゆっくりと下されると合点した。

「人魚…?」

 噂では聞いていたが、本当にいたのか。
 随分と昔、絶滅したと聞いていたのだが。腰から下半身にかけて伸びる魚体、桃色の鱗、薄桃色の尾ひれ。それが何よりの証拠だった。
 絶滅した人魚の剥製となれば、闇市に出れば金額もまるで別格だ。おそらく重宝されてたからこそ、布に隠されていたに違いない。
 仙水はその人魚を上から下まで、改めてまじまじと見やった。他の剥製もそうなのだが、この人魚は特にそうだった。…まるで今にも息を吹き返し、その美しき身体で海の中を優雅に泳ぐ姿が目に浮かぶようだった。死んでいるはずなのに、人魚と視線が合うとその蒼き瞳に吸い寄せられるような、そんな不思議な感覚が仙水を覆う。これが人魚の色香なのだろうか。
 仙水自身気が付いていなかったが、彼の頬は微かに紅潮し、自然と心音も高まっていた。

「君が生きているときに、会ってみたかったな…」

 人魚の美しさに魅了されたからだろうか。妖怪達の命を奪い汚れたこの手が、心が、まさか同じ妖怪によって洗われるとは。仙水の手もまた、ゆっくりと伸ばされた。そして、人魚の指先と己の指先が触れた…その瞬間。

「…まさか、こんな形で夢が叶うとはな」
「え…?」
「生きてる人魚に…会えてよかった」

 仙水の言葉と共に映像が途切れ、気付けば凪沙の瞳からは涙が伝っていた。
 何故。どうして。思考がまるで追いつかず、涙は止まらず尚も頬を伝ってゆく。
 この男の指先から感じたのは、少年の頃に抱いた淡く純粋な恋心に近い感情。それが弾けて消えた瞬間、憎しみと憎悪が彼の心を蝕み染めていった。心の奥底で「苦しい」「助けて」と訴えていた声は今まで誰にも拾われず、いつしか彼自身がその思いに鍵をかけてしまったのだ。

「…本当の目的は、魔界で死ぬこと」

 そして、君と、飛影との関係が、…ちょっとだけ羨ましかった。だが、それは言葉には出さず、視線は再び空へ向けられた。
 仙水の指先がピク、ピク、と微動し、徐々に力が抜けていく。

「それも、妖怪に殺されて死ぬことさ。勿論それで倒されてきた妖怪達が浮かばれるわけじゃあないが…。…浦飯、闘っているときの君は本当に楽しそうだ。俺もほんの一瞬だが、楽しく戦えた」

 …ありがとう。

 仙水の目がゆっくりと閉じられてゆく。そして瞼が完全に落ちると、凪沙が触れていた指は地についた。…仙水は静かに息を引き取ったのだった。

 一行が見守る中、雷鳴が激しく轟く。重苦しいなんとも言えぬ雰囲気の中、深遠な仙水の言葉だけが脳裏に残されたような感覚が走った。

「忍…!」

 コエンマが仙水に近付く。だが、「近づくな!」と樹に制され、足を止めた。

「忍の望みは、魔界の妖怪の中で最も強い奴に殺されること。その相手が魔族として蘇った浦飯だった。忍にしてみれば本望だったろう。自己矛盾に耐えるために作られた七人の人格者を乗り越え、最後には一番純粋な少年のままの忍に戻っている。忍の魂も少しは救われただろう…」

 樹は妖気で辺り一帯を幻想的な空気に染め、仙水の身体を浮遊させると横抱きにした。彼等の背後には漆黒の丸い穴が出来ている。コエンマが「何をする気だ!?」と問うた。

「俺が死んでも霊界には行きたくない…。これが忍の遺言だ。お前たちの物差しで忍を裁かせはしない。…忍の魂は渡さない!お前たちはまた別の敵を見つけ戦い続けるといい…俺たちはもう飽きた…これからは二人で静かに時を過ごす…」

 そう告げると、樹は仙水を抱いたまま静かに漆黒の穴の中へ姿を眩ませた。

「くっそ、なんだか勝ち逃げされたみてーだな…!」
「そうだな…。最終的に奴は目的を遂げたんだ」

 悔しそうに幽助が呟くと、蔵馬が見やった。

「おい、それよりも浦飯!おめー、身体はなんともねえのか?」
「あぁ、別に…。そういや背中が何か鬱陶しいような…あ?ああ?あぁぁ〜っ!?なんだ、この頭は、この模様は――ッ!?」

 幽助がようやく自分の出で立ちに気付くと、桑原は呆れた。そして補足するよう、コエンマが話し始める。

「…幽助、お前の先祖はS級妖怪のようだ。先祖といっても、魔界のどこかで生きているだろうがな」
「そっか…そいつが戦いの最中俺の意識を奪いやがったな…!」
「…?何の事だ?」

 蔵馬の言葉に、一行も疑問に思う。

「いや実はよ、戦いの最中妙な声が聞こえたんだ。そいつが喋ったと思ったら気ィ失って…気付いた時には霊丸ぶっ放してたんだ。…桁違いのパワーだった。今の俺には出せねえ…!よし、これからそいつを探しに行くぜ!」
「はあぁ!?」

 幽助の突拍子のない発言に桑原は再度呆れ、コエンマ、蔵馬、そして凪沙は驚いた。

「…幽助、よく考えて決めるんだ。今人間界では、特防隊が必死になって穴を塞ごうとしている。彼等だって無能ではない。二日もあれば穴は塞がってしまうだろう。穴が塞がれば人間界には戻れん。ここに残るか、人間界に帰るか…二つに一つだ。お前に考える時間をやろう」

 魔界に残ることは即ち、もう人間として生きられないという事と同じだ。
 幽助は何か黙考した後一拍程置き、凪沙の前で腰を屈めた。凪沙の目尻には涙の跡があり、それをそっと親指で拭う。

「…幽助?」
「俺、やっぱ前言撤回しようかな」
「え?」

 ぽかんとする凪沙を尻目に、幽助は彼女の頭にぽん、と手を乗せる。

「…帰ろうぜ。人間界に」

 振り向きざまにそう答え、一行にようやく笑顔が戻ったのであった。



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