氷塊の巣


 ハッ、と目覚めると、視界にいの一番に飛び込んできたのは、いびつな形をした天井だった。それは、見たことのない情景であり、咄嗟に身体を起こそうと地面に手をついたのだが。

「――っ!!?」

 背中に走る衝撃。痛み。苦痛に顔を歪ませると、再び背面は地についた。そして目が冴えてくると同時に迫りくる倦怠感。…なんなんだ、今の痛み。瞼の重みで視界がまた闇に呑まれる。そしてぼんやりとした頭で記憶を巡らせた。
 …そうだ。修行の成果を試そうと思って新境地へ足を運び、そこで新たな敵と手合わせをしたのだ。闘ったことのない戦闘スタイルを魅せる相手は、確かに強かった。こちらも負けじと技を繰り出したが、格差は埋まらなかったのだ。そしていつの間にか崖まで追い詰められ、最後は――…

「――目が覚めたのか」
「…!?」

 聞き覚えの無い男性の声。身体を自由に動かせないので目だけで確認した。
 洞窟の入口に一人の男性が立っている。氷のような冷たい目をしたその男だったが、鋭い目つきとは裏腹に表情は穏やかだった。雰囲気から察すると敵ではなさそうだ。
 男は手に木の実をいくつか抱え、傍に置くと、膝をついてこちらを見下ろした。

「怪我の具合はどうだ」
「え…?」
「なんだ、覚えてないのか。崖から落ちて背中を強打していたんだぞ」
「…で、貴方が助けてくれたの?」
「まぁな。かなりひどい傷だったから、勝手ながら手当させてもらった。…その、悪いとは思っているが」

 罰が悪そうに男は目を逸らした。心なしか、頬は少々紅潮している。その様を見て、察する。恐らく手当の際、己の衣服に手をかけた事を詫びているのだろう。こちらとしては命を救ってもらっただけでもありがたいというのに。義理堅く正直者なこの男に、自然と頬が緩んだ。

「…全然、気にしてないよ。助けてくれてありがとう。私、名前っていうの。貴方は?」

 問いかけると、男は口角を上げ、そして優しい眼差しで答えた。

「…凍矢だ」

 それが彼、凍矢との出会いだった。


 名前の傷の具合は思っていたよりも早く回復した。凍矢が介抱し、そして名前の看病に熱心に向き合ってくれたおかげであった。
 身体をある程度自由に動かせるようになるまで、名前と凍矢は互いの生い立ちやこれからの事をよく話した。会話に花が咲き、気付けば互いの心は寄り添い、そしていつしかかけがえのない存在とまで関係は育まれた。
 
 ある日、名前は凍矢に問うた。

「どうして助けてくれたの?」

 凍矢は照れや恥ずかしさを隠す際、いつも目を逸らし頬を指で掻く癖があった。無論、その質問が飛んできた際もその仕草を見せた。
 そしてぽつり、ぽつり、と口ごもる。

「…その、なんだ。俺もあの日修行をしてて、崖の麓にいたんだ。そしたら血を流した女が突然空から降ってくるだろう?森に落ちた時はすごい音だった。…で、そこへ行ったら…」
「私が半分天に召された状態で、そこにいたのね」
「あぁ。俺たちよりも妖力が格段に低く、打ち所を間違えればあの世行きだった。いくら妖怪といえども、血を流した女を見捨てるわけにはいかないだろう…」
「へぇ、じゃあもしその場にいたのが私じゃなかったら、その女を好きになってたって事?」
「あのなぁ…そんな事誰も、」
「嘘、冗談だよ。凍矢、優しいからつい意地悪したくなっちゃって」

 にやり、と名前の口角が嫌らしく上がった。凍矢の可愛らしい反応が見れたのと、単純に照れ隠しが相まって頬が緩んでしまったのもあるが。
 助けてくれたのも、彼の優しさが恐らく身体を動かしたのだろう。見ず知らずの女妖怪など、その辺にゴロゴロいるだろうに。その中でも己を見つけ、そして手を差し伸べてくれたこの運命も悪くない。新境地に出向いたのは、きっと凍矢と出会うためだったのだろう。
 だが、名前が脳裏でそんな事を巡らせている間、凍矢の目の色が変わった。そこには、いつもの穏やかで冷静な彼はいない。氷を操るあの時のような、凍てつく色をしていたのだ。

「…俺も舐められたものだな」

 ずい、と名前の目の前に身を乗り出した凍矢。彼らしからぬその様子に、一瞬たじろいでしまう。名前はぱちぱち、と瞬きをすると、凍矢は静かに口角を上げた。

「…傷を負っている女に手を出す趣味はない。だがな、」

 凍矢の掌が名前の頬に添えられ。そして親指が彼女の唇に触れる。つつ、と優しく触れるその指の感覚に、不覚にも心臓が大きく跳ねた。

「名前の身体が完全に復活したら…その時は覚えているんだな」
「…!」

 にやり、と嫌らしく口角を上げた凍矢は、今までに見たことのない表情をしていた。あれは、完全なる男の顔だ。
 その言葉の意味を解した名前の頬が、完全に紅潮する。形勢逆転を見事に図った凍矢は満足そうに微笑んだ。

「どうした?顔が赤いぞ?」
「…気のせいだと思うけど」
「すまないな。あんまり名前が可愛いもので、つい意地悪を言ってしまった」
「はぁ…負けたよ」

 完全な、お手上げだ。調子に乗るとロクな事がありゃしない。寧ろ、良き教訓になった。
 名前が目を伏せ、手を上げると凍矢はその手をそっと握った。

「…この手は誰にも譲らん」

 無論、名前の隣も、だ。

 そう呟き頬に軽く口づけを落とした彼に、心は既に捕らわれていた。
 優しさの中に眠っていた狼が目を覚ましたような、そんな姿だった。

「愛してる、名前」

 耳元で囁く凍矢の低い声。それに応えたく、自然と己の腕は彼の背に回していた。







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