夢喰い花の幻想(前編)


 街の雑踏が徐々に静まる深夜。煌びやかな電光掲示板の光が落ち、行きかう人々もまばらになって街灯の仄かな明かりのみが町全体を包み始めていた。
 終電間際の時間帯でもあるからか、皿屋敷駅周辺には忙しく地を蹴り改札口へと向かうサラリーマンやOLがちらほら見受けられる。駅前花壇には酔いつぶれた中年男が一升瓶を抱きかかえて寝転がり、コンビニ前には若い男数人が集まって煙草をふかし、缶チューハイを片手に談笑していた。これら全て、何ら変わりない日常の光景だ。
 幽助もまた、彼等の日常と同じようにラーメン屋台の後片付けをしているところだった。最近の売り上げは可もなく不可もなく、平行線を辿っている。景気が波打たない、見方を変えれば実に面白みが欠ける実態だった。今まで散々命を懸けた戦いの場に身を投じていただけに、どうも平和ボケしているこの日常が退屈だと思ってしまう。周りから言わせれば「なんて贅沢な悩みだ」と咎められそうなのだが、生憎刺激を強く求める性分な故、仕方ないと言えばそうなのだが。
 魔界統一トーナメント後、煙鬼のおかげで魔界の秩序も安泰している。そのためか、人間界と魔界の間の、そのスジの仕事も最近はめっきりだ。これもまた、実に色よい現実なのだが、やはり心の奥底のどこかで常に危険と隣り合わせになりたいと望む自分がいるのを否定出来なかった。
 平凡な日常の中、なんでもいい。何かスパイスを加えたい。そんな思いをここ数日抱いていた。

 流し台やコンロ台等を屋台に積み上げ、ようやく目途がついた。ふう、と深い吐息を漏らせば額から一筋の汗が流れる。「さて、もうひと頑張りするか」と汗を拭っていた、その時。背後にふと気配を感じ、幽助は振り返った。一人の男が直立不動でそこにいたのだ。
 長身痩躯なその男は目深に帽子を被り、コートの襟を立て、顔立ちや表情がまるで見えなかった。帽子から足元までは全て黒で統一しており、夜の闇に溶け込みそうな、そんな不気味ささえ感じる程だ。何より、近距離であるのにも関わらず、気配がまるで感じられなかったのが幽助としては訝しむ一方だった。

「…ワリィなお客さん。今日の営業は終わっちまったんだ。また明日の夜来てくれねーか?明日もここで屋台出すつもりでいるからよ」

 幽助は得意の営業スマイルを振りまき平然を装った。無論、胸中ではこの男が一体何者なのか、疑いの目を光らせている。だが、幽助の言葉に男は何も反応しない。

「…腹減ってるなら、この時間までやってる店紹介するぜ?駅から少し離れた所に俺の行きつけの居酒屋があるんだ。朝まで飲んだっくれしかいねえから退屈はさせねえと思うんだけどよ…」
「…お前が浦飯幽助だな?」
「――ッ!」

 腹の底から湧き上がるような、低い声だった。男が呟くと目深に被っていた帽子を少々上にあげ、目元が表れた。男と幽助の視線が絡む。その瞬間、幽助の身体が全身で訴えた。
 己の、今までの経験が全てを導いている。これは間違いなく妖気だ。
 先程の笑顔とは一転し、眉根が上がり視線が鋭くなった。

「…テメェ、何者だ?俺になんの用だ」
「まぁ、そう警戒するな。戦いにきたわけじゃねぇ。俺はお前のファンだからな?」
「ファン…だと?」
「強いて言えば、今は亡き雷禅様を崇拝していた輩の一人さ。そのご子息が今や平和ボケた人間界で過ごしてるって噂を聞いたモンだからな」
「冷やかし目的か?そりゃ遠い所からわざわざご苦労ってモンだ。おめーみてぇな妖気駄々洩れの妖怪なんざ、すぐ霊界の目にも留まっちまうぞ。用が済んだら大人しく帰れ」
「そう急かすな。とっておきの贈り物を用意してきたんだからよ」

 男はコートのポケットに手を入れると、何かを取り出した。小さな何かは、男の掌に収められている。

「…なんだよ、それ」
「手を出せ」
「はあ?お前、馬鹿か。得体の知れないモンをそう簡単に受け取るわけねぇだろ」
「…名字名前」
「ッ!!?」

 幽助の眼が大きく見開いた。何故この男は名前の事を知っているのだろう。まさかとは思うが、自分の知らぬところで名前に手を下したのでは。そんな疑念で攪拌されるようだった。
 男は幽助の表情が一変した様が滑稽だったのか、目元が微かに緩んだ。襟の下に隠れている口元も、恐らく口角が上がっているだろう。

「てめぇ、なんで名前の事を知ってんだ?」
「私が望むのは貴方一族の子孫繁栄だ」
「はぁ…!?」
「魔族の血を絶やさず延々と生き延びて欲しい。その手伝いをさせてはくれぬか?」
「…断ったらどうすんだ」
「さぁ、どうすると思う?」

 男の目からいたずらそうな笑いが湧くようだった。言葉の背景には「どうなってもいいんだな?」という意味が隠されているも同然だった。
 幽助は今すぐにでもこの男を一発殴りたい衝動に駆られた。だが、男の仲間がどこでどう監視しているか、更には名前を人質にとってる可能性も否めないが故、握った拳を振るわせるほかなかった。
 しばらく思案を巡らせた幽助は意を決し、改めて男を見据えた。

「…分かった。受け取る」

 幽助が右手を出す。男は手中にあった物を幽助の掌に収めた。渡されたのは赤茶色の小瓶だった。中には液体が入っているようだが、瓶が色づいているため、どういった色かは分からない。

「なんだよ、これ」
「言っただろう。子孫繁栄の手伝いをさせてくれ、と。そのままの意味さ」
「いやだから…あっ、おい…!?」

 まるで説明になっていない旨を言ってやろうとしたのに。男は二、三歩下がると夜の闇に消えていった。幽助の右手には謎の小瓶だけが残った。


「…って事がこの間あってよ」
「それがこの小瓶だと?」
「あぁ。こんな事頼めるの蔵馬くらいしかいねーからさ。頼むわ」
「少々時間はかかりますが、やってみましょう」
「サンキュー、助かるぜ」

 頼りがいのある仲間の言葉ほど、安堵するものはない。幽助は胸を撫で下ろした。
 先日謎の男から貰った小瓶。そして目的とされる「子孫繁栄」。本来ならば、こんな得体の知れない物を手にするなど言語両断なのだが、どこで情報を仕入れたのか、名前の名を出されては大人しく従う他なかった。
 名前は霊界探偵をやっていた頃、補佐員という形で幽助とタッグを組んで任務を遂行していた仲間だ。歳は幽助と同い年なのだが、隣町に住んでいたので任務の度に顔を合わせていた。名前は元々霊感が強く、独自の修行の元霊力を格段に上げ、そこそこの強さを手にした女でもある。
 百戦錬磨とまではいかぬが、幽助と共に幾多の霊界探偵の任務を遂行し、阿吽の呼吸での攻撃スタイルはコエンマも瞠目する程の実力も持っている。だが、それ以外は人間の少女らしい魅力を持った子でもあった。且つては仕事上での仲間であったが、大人になってから改めて関係を築き、恋仲に発展するまでそう時間はかからなかった。
男の実態も掴めぬまま、名前の身に何か起きてしまっては遅い。その懸念から、男から小瓶を受け取るしかなかったのだ。
 だが、小瓶の中身が一体なんなのか。それを解明すべき足を運んだのは、戦友の一人でもある蔵馬の元だった。黄泉軍に身を置いた蔵馬は、黄泉から特別に研究室を与えられたらしい。白衣を羽織り、小瓶の液体をスポイトに移すその様は、本物の研究者さながらのようだ。長身で端正な顔立ちであるからか、白衣もまたよく似合う。これは魔界と人間界の女性が見れば発狂モンだろうなあ、と幽助は頭の片隅で呑気にそんな事を考えていた。

 小瓶の液体を調べ始めて小一時間経った頃。蔵馬は、研究室の片隅に置いてある簡易ソファーでうたた寝をしていた幽助の肩を軽く叩いた。

「…ん?あ、蔵馬…」
「終わりましたよ。全く、呑気なモンですね幽助は…」
「まじ!?流石、仕事が早え!で、どうだった!?」
「少々話が長くなります。まぁ、コーヒーでも飲んでゆっくりしましょう」

 蔵馬はソファーの隣に置いてある小さな戸棚から、インスタントコーヒーの瓶を出した。中身をカップに入れ、お湯が注がれると、香ばしい良い匂いが二人の鼻腔を掠める。
ソファー前に置いてある小さなテーブルに二人分のコーヒーが置かれた。幽助が礼を言い、一口飲むと蔵馬もそれに倣う。二人はカップを机上に置いた。

「…さて、では説明しますね」
「ああ。頼む」
「単刀直入に言います。あの小瓶に入っているのは媚薬でした」
「び…やく…?」
「要は、性欲を催させる薬です」
「なっ、…えぇええ!!?」
「落ち着いてください。コーヒーが零れます」
「いやだって、何で、えぇ!?」
「その男が“子孫繁栄”がどうたらって言ってたんですよね?その時点で大まかな予想は…。…その様子だと出来なかったんですね」
「全ッ然分からなかった…」

 蔵馬が呆れる中、幽助の頬は紅潮し、驚愕や羞恥やらで頭を抱えた。己が無知でどうしようもないことはともかく、性欲を催すとは…。だから名前の名を出されたのも合点がいく。

「でも、問題はそこじゃないんです」
「え?」

 予想に反した蔵馬の言葉。幽助は勢いよく頭を上げた。

「その媚薬に使われている成分というのがですね、最近魔界の裏ルートで話題になっている麻薬の一部だったんです」
「な…え?ま…やく…?」
「えぇ。俺も最近知ったんですけどね」

 どこまでも広がる魔界。その世界は様々な植物が生存しており、中には麻薬のような中毒性のある物が生息していても珍しい話しではない。最近、その麻薬に該当する新種の花が見つかったそうだ。

「その花の名は“夢喰い花”といいます」
「夢…喰い…花?」
「安易な話しです。男の欲望を叶えさせてくれる魔法の花というのが、その夢喰い花ってやつですよ。女性の色香を増幅させる作用があるんです。ただ、その花を追い求めると身を滅ぼすと噂を聞きましたから、決してオススメはしませんけどね」

 蔵馬は再びコーヒーに口をつけた。
 表向きは夢喰い花と幻想じみた御伽噺に聞こえるが、結局のところ男の欲を満たす為だけに作られた花なのではないかと勘ぐってしまう。恐らく裏ルートで売買されている女妖怪へ使う為に開発してされたのだろう。それが広がり、こうしてそのスジで薬を売買している妖怪共の手に渡った結果が恐らくこれだ。
 魔界で名を馳せてる幽助にこの話を持ってきたのも、恐らく子孫繁栄が目的ではない。この薬の効果効能がどれほどものか定め、人身掌握をすることだろう。
だが、隣にいるこの男はそこまで考えているとは到底思えない。蔵馬はカップにあるコーヒーが半分を切った頃、幽助を一瞥した。

「…そんな…夢みてえな花があったんだ…」
「…え?」

 ぽつりと呟いた幽助の声。蔵馬は己の耳を疑った。

「幽助…まさかとは思いますけど、使ってみたいと思ってませんよね?」
「まっ…!まっ、まっさか!!ハハハ、蔵馬やめろよな!そういう冗談言うの!!」
「…」
「…嘘です。ちょっと興味ある」
「…はあ」

 幽助は目を泳がせつつも、正直に答えた。「馬鹿に塗る薬なんて無い」と飛影が言いそうな展開に、蔵馬は頭を抱えた。







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