辛めのシュガードーナツ(後編)


 高架橋下を抜け、無事裏通りへ着いた二人は一旦走るのをやめた。人目から逃げるように全速力で走ったので、体力よりも寧ろ周囲からの視線に疲れを隠せず名前は嘆息をついた。

「…陣、イライラするからってやたら風は使わないでね?ただでさえ目立つのに、これ以上騒ぎを起こすと霊界から何て言われるか…」
「大丈夫だ!ここならさっきよりも人がいねえし、何も気にならねえだ!」
「それならいいんだけどさ…」
「なぁ名前、俺はやく“ぱっふぇ”っちゅーのが食いてえ!!まだ店にはつかないだか!?」
「この通りを抜けて歩いて行けばじき着くよ。…じゃあ、もう風は使わないでね?」
「おう、あたりめーだ!」

 再び陣と名前の手は繋がれた。
 …これ以上暴れると、いよいよ名前の堪忍袋が切れそうだ。しばらくは大人しくいう事を聞いていた方が利口というものだ。陣は手を繋ぐ傍ら、密かにそんな事を考えていた。
 …無論、先ほどの若い男への仕打ちは、変わらず内密だ。

 裏通りを二人で歩んで行くと、名前の見解通り例のカフェらしき建物が見えてきた。時間も昼過ぎであり、そしてテレビで特集されていた事もあり、店の外にまで行列が出来ている。見れば、女性客やカップルは勿論、家族連れや年配の人も並んでいる。
 陣と名前は店内での飲食を希望し、記名して待合用の空いている椅子に座ろうとした…その時だった。

「あれ、名前じゃん」
「げ、先輩…」
「げってなんだよ、失礼だな」

 腰を掛けた二人の前に現れたのは一人の男性だった。その男は名前のバイト先の先輩であり、顔見知りだった。…そう、ただの顔見知りだったら良かったのだが、生憎彼はバイト先でも女たらしと有名な噂が絶えない人物であった。
 無論名前も彼から誘いを受けその度に断っていたのだが、ここ最近はめげずに何度も来るものだからどう対応したら良いのかいよいよ困る段階まできていた。彼氏がいると言っているのに、いい加減にしろ。と、勢いで拳が出そうなほどだ。
 その男は名前を舐めるような視線で見つめた後、陣を一瞥した。

「…誰?こいつ」
「私の彼氏です」
「は?まじ?お前本当に彼氏いたんだ?」
「だから前からいるって言ってたじゃないですか」
「俺てっきりお前が嘘ついてるのかと思ってたよ」
「…どういう意味ですか?」

 もう、早くどっか行ってくれないかな。
 名前が嫌々その男と話している傍ら、陣はずっと黙っていた。勿論、視線はその男を捉え、睨みを効かせいている。
 だが、男は陣の視線を気に留めず名前に声を掛け続けた。

「名前、今度俺ともデートしてよ」
「先輩とデートなんてしませんよ…」
「だってお前、暇してんだろ?この彼氏だって、本当はセカンドだったりして…」
「ちょっと、いい加減にしてくれます?」
「お、いいねぇその顔。嫌いじゃないよ。なぁ、明日もシフト入ってるだろ?俺もなんだ。終わった後飯行こうぜ」
「だから…!」

 こンのクソ野郎!!陣の前でなんてことを…!と、名前の目つきがいよいよ本気の色に変わった際、男は名前の肩に手を置いた――その瞬間。

「…汚い手で名前にさわんな」

 名前の肩に置かれた男の手は、陣によって捕らわれた。

「あぁ?てめー誰に向かって…い"ぃっ…!!?」

 陣に捕まれている男の手に、人力ではありえないような力が加わる。少しでも動かせば冗談抜きで骨がへし折れそうな、そんな力だ。
 男が苦痛に顔を歪ませ「何すんだ離せよ!」と抵抗するが、陣は手を離さず未だ男を睨んでいる。

「名前に手ぇ出してみろ…殺すべ?」

 陣に耳元でそう呟かれた男の顔は一瞬にして顔面蒼白になり、そして手のひらを返すように何度も頷いた。
 するとそこへ現れたのはケーキの箱を手にした一人の若い女だった。金髪で化粧の濃い、目立った出で立ちをしている。

「ちょっと〜何してんのぉ?やっとケーキ買えたんだからぁ〜早く帰ろうよ〜」

 その女は、男の連れだった。陣が一瞬力を緩めた隙をついて男は手を振り払い、女の元へ駆け寄った。

「…行くぞ」
「あ、ちょっとぉ〜待ってよ〜!」

 並んでいる客を尻目に男と女は店を後にした。
 残された名前は唖然とし、まるで嵐が去った後のような感覚だけが残った。

 そんな折、店員がこちらに来た。

「お客様、大変お待たせいたしました。席が空いたのでご案内いたします」

 店員は申し訳なさそうに頭を下げると、席を案内してくれた。



「おぉ〜!これが“ぱっふぇ”ってやつだな!?テレビで見たのと全く同じだべ!!」

 瞳をキラキラさせ、涎をじゅるりと垂らす陣は早速スプーンを手に取り「いただきまーす!」と元気よく口を開けた。スプーンに掬われた一口大のそれはイチゴとジェラートの二つ。例のアナウンサーが食べていたものと全く同じだ。
 待ちに待ったこの瞬間。陣は八重歯を見せ、掬ったものを口に入れた。口内にイチゴの甘酸っぱさとジェラートの甘さが広がり、その絶妙な味で頬は緩みっぱなしだ。

「うんめ〜!俺、こんなうんめ〜の食ったの初めてだべ!人間ってのは美味いモンをたくさん知ってんだなぁ!?」
「…もう、大袈裟なんだから」

 大喜びで食べ進める陣はまるで子供だ。それを見守る名前もまた、まるで保護者のような気持ちでフルーツタルトを一口、口の中へ運んだ。

 先ほどバイト先の男に絡まれた際、一時はどうなるかと思った。だが、陣はちゃんと約束を守り、そしてあの男に取り返しのつかない仕打ちをしなかったのも、結果としては良かった。
 ただ、自分自身もいつまでもハッキリ断らずにいたのも一つの原因だろう。こちらにも落ち度があったが、正直陣が隣にいて守ってくれたのは助かったし、嬉しかった。
 いつもはやんちゃで我儘な子供みたいな人だけれど。あの時見せてくれた彼の姿は、出で立ち云々全て取っ払い、純粋にかっこよかった。寧ろ、ああやって男らしさを見せてくれたのは初めてだったこともあり、彼の新たな面が知れた良いきっかけにもなった。

 口の中のタルトが飲み込まれ、紅茶を一口啜れば、ふと陣と目が合った。

「…俺、名前の事大好きだべ」

 にかっと笑った陣の顔といったら。口元にクリームをつけたまま愛の告白って、一体どういう事だ。でも、きっとそれが彼らしいのかもしれない。周りから見たら我等も相当なバカップルなんだろうなぁ、と思うが今日は特別。
 名前は身を乗り出し陣の口元をペーパーで軽く拭き取った。

「うん。私も陣の事、大好き」

 それは本心からの言葉だった。そして意外だったのか、陣の顔は一瞬面喰らうが、すぐ満面の笑みに戻った。

 テーブルに残ったパフェとタルトは、残り半分といったところだった。



「へー。じゃあ騒動起こさず無事帰ってこれたってことか。つまんねーの」
「ちょっと、つまんねーのって何?」
「いやー俺としては陣がひと暴れするシナリオが良かったんだけどな〜」
「もう、幽助ってば他人事だと思って!!」
「はははっ。…あ、おっちゃん!生もう一杯追加で!」

 陣とのデートを終えた後日。名前は約束通り幽助と共に居酒屋に訪れていた。
乾杯するや否や「どうだったか教えろ!」と急かす幽助だったが、どうやら彼の予想は大外れで結果惚気話を聞かされる羽目に。幽助としては、魔界で自由奔放に生きてきた陣が人間界でデートだなんて無理に決まっている。どうせすぐ窮屈さに限界が来て大暴れするのではないか、という見解を示していたようなのだが、どうやら酒の肴にはならなかったらしい。
 意外にも名前の言いつけを守り、おまけに面倒な輩から彼女を守ったのだから、寧ろ万々歳なデートだった。ただ、血の気の荒い幽助からしたら少々物足りなさを感じるのが唯一の難点だったようだが。
 幽助が「つまんね〜の」と口を尖らせテーブルに運ばれてきた生ビールに口をつけると、居酒屋のテレビ画面に“凶悪犯罪者を逮捕”というテロップが表示された。

「お、何かワリィ事やった奴が捕まったみたいだな」
「そうなの?」
「ホレ。テレビ見てみろよ」

 幽助に促され、名前はテレビ画面を確認した。
 数日前、皿屋敷駅の改札口で指名手配されていた男が捕まったらしい。当時の状況を見ていた一般の男性がインタビューを受けている。

「いや、本当なんですよ!男性の後ろから急に突風が来て、そのまま改札口まで身体が飛ばされてきたんです!で、見に行ったら駅員さんが指名手配犯だと気が付いて…」

 男が捕まった日にち、場所、時刻。全て照らし合わせると、なんだか身に覚えのあるような…と名前の箸が止まる。そして決定的だったのは、逮捕された男の上半身の写真が表示された時だった。

「…あ!え、嘘…!」
「どうした?」
「この人、陣とデートしてた時私にぶつかってきた人だ…」
「なっ、えぇ!?まじかよ!?」

 インタビューを受けていた一般男性が話していた突風。
 もしかして…と思った、名前と幽助の視線が絡んだ。







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