辛めのシュガードーナツ(前編)
「では、次のトピックスです。先日、皿屋敷市内に新たなカフェがオープンしました。入口はボタニカルな緑に包まれ、店内に入ると真っ先に目に留まるのは美味しそうなジェラートボックス。その隣にはショーケースに並んだ彩り豊かなフルーツケーキが並んでおり…」
テレビ画面からアナウンサーの楽しそうなレポートが聞こえる。マイクを片手に店内や商品を丁寧に紹介する声に、陣の煎餅を持つ手は止まり、そして顔は自然と画面に引き寄アナウンサーのレポートはまだ終わっていない。
「こちらがお店自慢の、フルーツパフェです。季節のフルーツをふんだんに使っており、そして先ほど紹介しましたジェラートも乗っていて、ボリューム満点ですね。では、さっそくいただきます!」
レポーターがスプーンでイチゴとジェラートの両方を掬った。一口大のそれはゆっくりと彼女の口へ運ばれてゆく。その動きと同時に陣もまた口を大きく開け、まるでレポーターの食べる分を奪ってやるかのよう、彼のトレードマークである八重歯を見せた。…のだが。スプーンに掬われたそれは当然陣の口には入らず、画面越しのアナウンサーの口の中へ。頬を緩ませ「美味しいです〜!」とレポートする様に、気付けば陣の口の端からは涎が一滴垂れていた。
そして欲に塗れた身体は我慢出来ず、手にした煎餅を無理やり口の中へ放り込むと。
「――っ名前!!これ食いてえだ!!!」
「…は?」
サイドテーブルでネイルの手直しをしていた名前の手が、陣の声によって止まる。見やれば、だらしなく口の端から涎を垂らしながら煎餅をぼりぼり食べ進める愛しの彼がそこにあった。
…あれ、私のダーリンってこんな間抜け面、してたっけ?
「…っていうのが一昨日の話しでさ」
「はぁ〜。なるほどな。陣って意外とミーハーなところ、あったんだな」
「いや、たまたまテレビ見てたからだと思う…。いつもは決まった煎餅しか食べないし」
「ふーん。…お、終わったか!へぇ、なかなか様になってるじゃん」
寝室から出てきた陣の出で立ちに、幽助の表情はぱあっと明るくなる。その一方で未だ怪訝な顔をする名前の眉間には皺が出来ていた。
陣の「パフェを食べたい!」という要望に付き合うことになったきっかけは、先日テレビで見たニュース番組だった。最近皿屋敷市内にカフェが新設され、話題のスポットだと巷で騒がれていた場所でもある。そういえば螢子がそんな事を言っていたような…とニュースを見ながら記憶の片隅を探っていたところ、陣からの熱い思いに根負けし、結果そのカフェに付き合うことになったのだ。
…と、なれば色々な準備が必要なわけで。彼に人間界や街中でのルールを叩きこむと同時に、衣服の調達も要することとなり、飲み代奢るからという交換条件で二人は幽助の元へ訪れた。
そして今現在、陣と名前は浦飯家へお邪魔しており、ちょうど陣の着替えが終わったところだった。
人間界では目立ちすぎる角と赤髪を隠すためのグレーのニット帽、インナーは白いロングティーシャツ、羽織物はアクセントとなる小さめの刺繍を施したカーキ色のスカジャン、そして黒いパンツを履いたその出で立ちは、幽助らしさが垣間見られる反面色合いはシンプルな服装だった。仕上げに某スポーツブランドのスニーカーを履けば、完成されたも同然だった。陣の細身であるが筋肉質な体型が、よりスタイルの良さを出している。
着慣れない格好ではあるが、陣の瞳は期待でいっぱいだった。こんな事、魔界では到底経験出来ないことだからであろう。全身鏡を見つめ、頬を緩ませ瞳を輝かせるその様はまるで初めてお洒落な世界に一歩踏み出した少年のようだった。
「なぁ、名前!かっこいいだべか!!?」
「あ、うん…とても似合ってるよ…」
「くぅうう〜っ!!人間って楽しい事、たくさん知ってんだべな!俺、早く行きてえ!」
「…だってさ。名前」
「分かってるよ…」
肘で小突く幽助の表情はニヤついてた。何故なら彼もまた、陣の性格や行動パターンをよく知っているからこそ、だった。その一方で、名前の表情はやはり晴れない。幽助の嘲笑にイラつきながらも、今日一日が無事終わることを願う他なかった。
衣服とスニーカー、おまけに時計やバッグ等の小物まで貸してくれた幽助には頭が上がらなかった。
…これ、次飲みに行った時、絶対高い酒を奢らせる気だ。名前は、なけなしのバイト代が一瞬にして消える未来を嫌でも予知してしまう。
「んじゃあ幽助、行ってくるだ!」
満面の笑みで手を振る陣の傍らで、名前はげっそりとした顔をしていた。無論、ベランダから手を振って見送ってくれた幽助の笑顔は、紛れもなく名前への嘲笑であった。
幽助の家を出た後、名前は陣と手を繋いで商店街を歩んでいた。お目当てのカフェは駅裏の路地を少し進んだところにあるらしい。徒歩で行けば三十分程度の場所だ
そしてこの日を迎えるまで、名前が懸命に陣にルールを叩きこんだことだけあり、今は大人しく肩を並べて歩いている。チラリと見上げれば、ちょうど陣と目が合った。
「…どした?名前」
「ううん。なんでも…」
「…もしかして、俺の事かっこいいって思ってたべ?」
「…!ば、ばか。自惚れすぎだよ」
「ははっ!名前ってば分かりやすいな!ぜーんぶ顔に出てっぞ!」
悔しいが、陣の言葉は図星だった。幽助の家で衣服を組み合わせ、着替え終わった彼を見て一番に出た率直な感想は“かっこいい”だったのだから。服に負けていないというか、幽助らしさが出そうな組み合わせであったが意外と似合っていたのだ。
名前の反応に満足したのか、陣はしばらくの間は上機嫌だった。だが、駅の方へ徐々に近づくにつれ、行き交う人が増え始める。時折、忙しいサラリーマンやよそ見をして歩く若者などが陣の肩にぶつかってくる程混み合っていた。
無論、相手には悪気など一切ない。だが、陣の眉間にはだんだんと皺が寄り始めてきた。
「…ごちゃごちゃしてイライラするだ」
ぽつりと呟いた陣の足元から、ふわりとした風が舞い上がった。それに気付いた瞬間、名前の顔色が急変する。
「陣、ちょっと落ち着いて!説明したでしょう?駅前は混んでるかイライラしないでって…!」
「そんな事、分かってるだ。…でも、抑えられねぇ。こんなの、空を飛べばひとっ飛びなのによ…!」
「そうだけど!ここは人間界なんだよ?」
名前が必死に宥めるが、陣のこめかみには青筋が増え始めた。
名前が懸念していたのは、普段何の隔たりもない大空を気持ちよく飛び回っている陣だからこそ抱えるストレスだった。人間が多く行きかう地上では、彼がのびのびと風と共に生きてきた環境とは全く違う。おまけに周囲への警戒…とまではいかぬが、妖怪特有のセンサー的なものが働くのか、変に警戒心が働いているのも心配だった。
足元から舞い上がる風が徐々に大きくなってゆく。まるで陣の機嫌と比例しているようだ。
不味いな。早く駅裏の方まで行かないと。高架橋下を抜ければ、人通りのない抜け道が確かあったはず。そこまではどうにか我慢してもらわないと…。と、名前が思案を巡らせていると。
「…っわ!?」
突然、名前の左肩に衝撃が走る。瞬時に前方を見やれば、若い男が電話をしながら自分たちの前を通り過ぎて行った。よそ見をしていたのか、もしくは邪魔だったのか。その男はこちらを一瞥すると睨みを効かせ、足早に駅へ向かって行った。
「もう、失礼しちゃうよね。…陣?」
「名前、もう我慢出来ねえ…あいつ、ぶっ飛ばしてきていいだか?」
ぶわぁっ!と一回り大きな風が陣の足元から舞い上がった。辺りは木の葉や砂埃が舞い、周りを行きかう人々も突然の突風に戸惑い足を止めている。当然、風が発生している陣の元に視線が集まった。
「(げ、やばい!!)陣、行こう!私は大丈夫だから!ほ、ほら、早くいかないと店が混んじゃうかもしれないし、ね!?」
陣は若干腰を屈め技を出そうとする体制に。それを無理やり止め、名前は陣の手を取って駆けだした。
…あぁ、やっぱりこうなると思った。人間界での生活はやはり陣にとっては窮屈すぎる。いくらルールを叩きこんだとはいえ、それを真面目に守れるような彼ではなかったのだ。
二人が足早に駆けていると、先ほど名前にぶつかってきた男の背が見えた。名前は高架橋下に向かっているが、男は駅の改札へと歩んでいる。陣は名前に引っ張られながらも、空いた手で拳を作り、その男の背に向かって狙いを定めた。
「(…くらえっ!)」
陣の意志により拳からは小さな風の塊が放たれ、見事その男の背に直撃した。
男は、背後からの突然の衝撃に耐えられず驚愕した声を上げると、身体は風と共に改札口へと放り込まれた。すると駅員や周囲の人々が奇々怪々な現象に驚き、ざわつき始めた。
ちょうどその頃、名前と陣は高架橋の下を通ろうとしていた。後方でざわつく声を微かに捉えたのか、名前が振り返るが、何故か陣の顔は満面の笑みだ。
「…何で笑ってるの?」
「いや、楽しくなってきたと思ってな!」
「…?」
名前の疑問は解決せず、視線は前方へと戻った。疑問符を上げている彼女は、よくわからないが陣の機嫌が戻ったのならもはや何でもいい、という様子だ。
その一方、陣は振り返り駅の方に向かって舌を出した。してやったりの仕返しほど、気持ちの良いものはない。
「(へーん!ザマみろ!)」
名前と陣とのデートは、まだ始まったばかりであった。