小説 | ナノ

 本日は晴天。そして蝉が鳴き陽炎が立ち上る夏。しかしクーラーのついた教室で受ける授業は日差しが強いことを抜かしては快適で暑さに茹だる生徒は誰一人としていなかった。

 名前の視線は黒板にも教壇の教師にも向いていなかった。運良くも学生の特等席とも言える窓際一番後ろの席に位置する彼女は、これまたテンプレートに乗っ取って学生の定番とも言える“窓の外を眺めながら授業を受け流し”ていた。尤もただ単に授業が退屈であるからという訳ではなく、普段真面目な可能がそれをするのには彼女にとっては仕方がない理由があった。

 グラウンドでは二年生徒が体育をしていた。女子はテニス。そして男子は陸上。今は走り込みでトラックを回っている。名前の視界には決まって一人の男子生徒がいた。彼女の瞳は彼に合わせてくるりくるりと回っている。

 カイン・ハイウインドは名前の想い人だ。学年は一つ上。背は高く顔立ちも整い、そして陸上部のエース。背面跳びにおいて彼の右に出るものはおらずなんと全国大会に出場した経験もあるらしい。
 彼は恰好良い。それは容姿だけでなく内面的にも言えることである。優しく紳士的な彼は女子からの人気は当然、友人も多く人望は篤い。彼を目で追う名前もまたカインに想いを寄せる一人の恋する乙女である。

 彼は幼なじみであるセシルと共に走り終える。どうやら二人は大変暑いらしくセシルは肩で息をしながら肩の生地で額を拭っていた。セシルは胸の生地を指先で摘みはためかせ風を作って涼み、そしてカインは――

 風は名前の顔周りでも起きた。光のごとき高速で顔は真正面に向きそして急激な温度上昇により爆発が起きた。彼女の心臓はばくばくと大きく波打ち胸中では声にならない悲鳴が轟く。
 名前は思う。額の汗を肩で拭うのは恐らく誰もがすることだろうし、同じく胸元のシャツをはためかせるのも自然なことだろう。しかし今しがたカインがしたのは腹の生地を掴み顎の汗を拭うというものだ。そして、そうすると当然肌が見えてしまうわけで、ただ純粋にカインだけを追っていた視線は自然に、そして不本意に真正面に向き机の上に戻されてしまうのだ。彼のTシャツの腹で汗を拭う癖が直らないかと常々願っているのだが、彼女が本人に直接言える筈もなく。
 教室のクーラーでも追い付かない。手で扇いでみるが全くだ。恥ずかしさに耐え切れず手で顔を覆うが一人ヒートアップした熱はなかなか下がってくれそうにはなかった。

「おい名前、見ろよ」

 前の席にいる親友に声をかけられ自身の顔を覆う手を退かした瞬間名前は実に甲高い悲鳴をあげた。
 彼の手から出て来たのはモルボルだった。勿論人形ではあるのだがゴム製品でリアリティなそれは掌で小さく折り畳まれ開いた瞬間に名前に飛び掛かるようにして跳ねたのだ。

 知らずのうちに椅子から立ち上がっていた名前は自分に刺さる数多の視線に気がついた。見渡せば自分を見つめポカンとしているクラスメート達と、こめかみに血管を浮かべている担任ゴルベーザ。虚しくなり響く授業終了の鐘。

「後で教務室へ来い」

 彼女は授業終了でざわめく教室の中絶望に立ち尽くす。グランドにはもう誰もおらず、彼女の前では事の元凶が腹を抱えて楽しそうに笑っている。名前はがっくりと肩を落とした。


(20100810)