003: アルギュロス・アリシダ・アーデイン

003-1: incubus × person(人間)

(手元の厚い文庫本の頁をめくる、紙の擦れる音だけが思い出したように響く夜半の寝室。光源はただ一つ、光度の低いデスクライトが点るのみだが、それでも夜目の利く淫魔には十分すぎるほどで、上等な生地で誂えた白いドレスグローブに包まれた指が綴られた文章を間違いなくなぞっていく。黙々と読み進め、夜が深まる途上で、静謐に満ちた空間に突如として大きな欠伸による間の抜けた声が聞こえて、見開いた目をそちらに向ければ夜長の読書を遮ったのは今にも睡魔に陥落しそうなこの家の真の住人。懸命に眠気と格闘しているらしいが、こっくりと船を漕いではハッと意識を取り戻す相手の有り様に、呆れたような、はたまた愉快そうな、どちらかと言えば後者の気が強い笑みを口元に刷いて)
なんだい、眠いのなら寝たまえ。君が私に付き合う必要はないのだよ。
(ぱたりと本を閉じて机上に置き、座していた椅子を軽く引いて相手のほうへ体の向きを変える。細められる目の中で、かたわらの照明を受けたワインレッドの虹彩が柔らかく光り、そのために感情も常より読み取りやすいだろうか。面白がる色をありありと映した双眸が、ベッドの上で辛うじて体を起こしているといった様子の相手を束の間観察していたが、組んでいた足を解いて椅子から立ち上がり、すぐ横のベッドに静かに腰を下ろすと相手へと手を伸ばし)
別に嫌ではないけれどね。だが君の場合、明日……ではなく、もう今日か、今日の予定に響いてしまうぞ。
(その髪の流れに沿って頭を撫でてやりながら、手のひら全体で押すように、軽く力をかけて相手をベッドに沈めてしまう。そうしても起き上がる素振りを見せないあたり、いよいよ眠気に抵抗するにも限界が近いと見え、そこにあえて優しく撫でる手を止めずに追い討ちをかけ。夜行性の淫魔にごく普通の人間が合わせようとは最初から無理があるとしか思えないが、もしかすると自らの薄情なまでの移り気な性がこんな行動を起こさせた要因の一つなのか、相手の指先に服の裾を捕らえられて瞬間的に動きを止め、続いて降参とばかりに芝居がかった動作で肩を窄めて両手を挙げ)
ああ、分かった分かった、君が寝ている間もここにいるとも。約束しよう。……さあ、そしたらもうおやすみ、可愛い君。よい夢を。
(淫魔などという特殊な生き物の居候を許すだけでなくこのように引き留める相手の真意は計りかねるも、それを興味深く受け取ってしまうのが己の気性であり、相手に対してか己に向けてか微苦笑を浮かべつつ宥める口振りで告げたのち、相手の前髪を掻き分けて現れた額にやんわりキスを落とし)

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