「ねぇ」
「ん?」
「ユーリスお兄ちゃんは、好きな人いるの?」
日に焼けぬように閉ざされた空間である図書館から足を進めている私は、日頃から気になっていたことを隣を歩いてくれているお兄ちゃんにぶつけてみた。温かい春の陽射し揺れるルリ城の廊下、ちらちらと窓から差し込むそれらにお兄ちゃんの銀髪がきれいに反射していて。
若干驚いているような表情を浮かべたユーリスお兄ちゃんは、次の瞬間、とても幸せそうにはにかんだ。今まで見たことないくらい、優しい微笑み。あまりの美しさに心が熱くなるような錯覚に陥る。これは恋のトキメキなのか、はたまた醜い嫉妬なのか、幼い私にはまだまだわからない。
「うん、いるよ」
「えぇ〜…!私がユーリスお兄ちゃんのお嫁さんになるって約束したのに〜…」
「ふふっ…、僕はダイナのこと、大好きだよ?…でも、…それとはまた別に大切な人がいるんだ」
「むむ…っ」
「その人は、こんなに汚れた僕を壊れ物を扱うみたいに接してくれる。時々、その優しさが辛くなるときがあるくらいお人好しなのさ」
ほぅ、とわざとらしくため息をつきながらもユーリスお兄ちゃんは楽しそうに口元には笑みを称えたまま。私はその腕に甘えるように抱きついた。確かに大切に扱わないと折れてしまいそうなこの腕。
「優しすぎて痛いの?」
「うん。たまに」
「その人のこと、嫌いになったりしないの?」
「まさか」
「んんー…、難しいね」
「ふふっ…。ダイナにはいないの?…好きな人とか」
その答えはYESであり、そして回答は貴方なの。でも貴方の世界を彩っているのは私じゃない、誰か。きゅっ、とその腕にすがりついて頬に空気を含んでむくれてみせた。
「私はユーリスお兄ちゃんが好きなの!」
「…そっか、ありがとう」
「私は本気だもん!ユーリスお兄ちゃんのお嫁さんになるもん!」
駄々をこねる私を、お兄ちゃんは困ったように苦笑して頭を撫でてくれる。
その年の割に小柄な掌から生み出される無慈悲な炎は、今までどれほどの命を奪ってきたんだろうとふと考えてみた。世界中を旅してきたという傭兵家業に身を置くお兄ちゃんに対して、私は外界を知らない箱庭の子供。
私の我が儘を受け流しながらもユーリスお兄ちゃんは決して「結婚する」とは言ってくれない。嘘でも言いから頷いてくれてもいいのに、無茶を言うほど私も子供じゃないんだから。
「ダイナ」
「なに?」
「いいこと教えてあげる」
「?なになに?」
「恋する乙女は美しいっていう法則が世の中にはある。証明なんてできやしない、ただ純粋に輝いていて一途な想いはこの世のどんなモノより美しいんだ」
「…そうなの?」
「うん。…って言っても、僕の仲間のジャッカルって人の請け売りだけど」
大広間へ続く階段を降りたところで、遠くからユーリスお兄ちゃんの名前を呼ぶ声が聞こえてきた。私が反応してユーリスお兄ちゃんの服の袖をつんつんと引っ張ってそれを知らせる。顔を上げたユーリスお兄ちゃんがそちらを見ると、大広間の門前で腕がちぎれんばかりに手を振ってくる青年が1人。遠くからでもわかるほどの眩しい笑顔、動きにあわせて彼の亜麻色の髪がふわふわと揺れている。
「迎えに来てくれたんだ」
「もう帰っちゃうの?」
「ごめんね、ダイナ。また来るから」
するり、と解かれた腕。行き場を失った私の両手はただ去っていくお兄ちゃんの背に追い縋ろうと宙を彷徨うだけ。手を伸ばせばたぶん触れられる距離、でも私はそれをわかっていて拳を握りしめて制御した。
幸せそうにはにかんで青年に駆け寄っていくユーリスお兄ちゃんがあまりにもきれいに笑うから。きっとあの青年が、ユーリスお兄ちゃんにとっての「大切な人」、大広間の中心で楽しそうに談笑を少々交わした2人は、やがて自然な流れで小さくキスを交わし、仲良く手をつないでお城から出ていってしまった。
幼いながらも私はわかっていたの。私はきっと、恋をしている自分が好きなんだ。自己陶酔。あの人が誰かと幸せになったって構わない。ただ、私はもう少しだけ子供らしく、「恋」をしてみたいだけなのだということを知っていた。
甘くて時々ほろ苦い「恋」を経験していけば、私はユーリスお兄ちゃんみたいにキレイに笑えるのかな。もっともっと、幸せになれるのかな。…なりたいな、好きな人に「可愛くなったね」っていってもらえるような大人に。そして偽物でもいいからそのキレイな微笑みを浮かべてくれると…、いいな。
(ただ少しだけ手に入れるのが怖かっただけなのかもしれない、幼い私には「愛」というものは些か重すぎるものだったから)